いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

国家と個人。 a nation and an individual

2017-07-14 20:20:44 | 日記
 (1)ノーベル平和賞を授賞した中国の民主活動家の劉暁波さん(61)ががんによる多臓器不全(報道)で亡くなった。
 「自由な中国」(同)を望み、自由や民主の尊重を求める「08憲章」の起案を主導(同)した。

 共産主義国家で民主主義、自由主義国家のような自由、民主、個人の権利を求めるとなれば、それは共産主義国家ではなくなる、否定するということだから土台無理な方法ではある。

 (2)共産主義国家で自由、民主運動を展開すれば国家転覆主義、革命として処罰の対象になるのもまた必然のことだった。
 では共産党一党独裁国家中国で個人の自由、主義、主張、表現を求めることはできないのかといえば、これまでの思想家、活動家の辿(たど)ったような国家的粛清の中をひたすらに自由、民主を求めて民主的(非暴力主義)な活動を続けるしかない。

 共産主義国家中国としては、これに反逆、抵抗する民主活動家は国家転覆革命運動として弾圧、粛清の対象となるのも国家統治機能としては当然の正当行為だ。

 (3)民主主義、自由主義国家から中国の自由な個人、思想、主義を求める声に人権保障問題として介入することを内政干渉として拒絶するのは、こうした理由からだ。
 共産主義国家体制に武力を持って転覆革命を起こすということになれば、国家としても当然の統治行為、自衛手段としてこれに対抗して武力弾圧することも国家機能として必要な統治手段である。

 しかし共産党一党独裁国家でこれに対抗する政治的組織、集団が認められずに、個別に民主活動家が民主的な方法(非暴力主義)で対抗することを不当に国家が弾圧するということになれば、これは国家犯罪といえるものだ。

 (4)劉暁波さんらが共産主義国家中国で個人の自由、民主を民主的な方法(非暴力主義)で求めることは、これまた極めて国民的なひとり、ひとりの自由、思いでもある。
 これが民主活動として共産主義国家体制を覆す革命としてとらえられるとすれば、共産主義国家体制としては受け入れられないものだ。

 こうして今回、劉暁波さんは国家政権転覆煽動罪で懲役11年の刑が確定して収監されていた。問題を世界的に深刻化した共産主義国家中国も中国なら、民主活動家の劉暁波さんも劉暁波さんで、収監されることも民主的闘争のひとつでもあったはずだ。

 (5)こうして国家、社会、世界はどうすることが人類、人間にとってよりよいことであるのかを考えさせ、判断することになる。
 中国に自信と度量がある(generous)ならば、劉暁波さんのような民主的(非暴力主義)自由活動家を国家利益を損なうとして国外追放にする方法論(methodology)はあった。

 国家体制の善し悪しを決めるのはその国民であり、他国が関与、干渉するものではないし、だからこそパラドックス(paradox)として個人もまたその国で自由に民主的に(非暴力)主義、主張、思想を述べることができる。

 (6)国家と国民、個人の関係とはそういうものだ。国家と国民があっての国家だ。
『政治』 ジャンルのランキング
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 米国軍縮大使。 a disarmamen... | トップ | 成果型労働制。 labor system... »

あわせて読む