いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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教育勅語と教育の自由。 educational rescript and freedom of education

2017-04-04 19:55:28 | 日記
 (1)教育の自由(freedom of education)が保障されている日本で何を教えようが構わないが、問題は「教え方」だ。
 そういう理念からすれば、義務教育で国が定めた学習指導要領にもとづき国の検定を受けた教科書内容による初等、中等教育というのは、憲法で保障された教育の自由に抵触しないのかと考えさせられる。

 「教え方」が問題だと書いたが、今、疑惑火中、渦中の森友学園の幼稚園では園児に「教育勅語」(educational rescript)を唱和、暗唱させて、安倍晋三首相を讃えて応援コールを指導強制していたことが話題、問題になった。

 (2)教育の自由が保障されているからといって、園児に教育勅語を唱和させ、思想に近い安倍首相に応援エールを送るなどとは「自由」の概念とはほど遠い強制、偏向、ゆがみ(bias)教育であって、憲法の保障する公序良俗の自由の概念を逸脱している。

 まして善悪の判断基準が定まらない園児に対して、園理事長が自らの理念、思想、信条を強制的に指導することは一種の児童虐待とも受け取られる範疇(はんちゅう)である。

 (3)多分に初等、中等教育が国の学習指導要領にもとづいて、国の検定教科書内容で行われるのは、そうした偏向、ゆがみを排した基礎的教育概念によるものだろうが、義務教育に名を借りた国家統制的な教育指導方法論(methodology)が感じられなくもない。

 冒頭に何を教えようが構わないが問題は教え方だと書いたが、教育勅語も戦前の軍国主義政治に貢献する国民運動に使われた経緯、歴史として現在の民主主義政治、国民意識との比較考証論として使われることはそれなりに教材としては意味はあるだろう。

 (4)安倍首相や稲田防衛相のように保守的思想、理念、主義から、教育勅語が親孝行とか家族愛とか「大変すばらしい理念が書いてある」(安倍官房長官時代の発言)から学校教材として使うことは問題はないでは、国の理念としては一元的(都合のいい部分だけを主張)であり偏向したゆがんだ教育姿勢ということになる(教育勅語では親孝行、家族愛は「天皇国家のため努力する」ためのものである)。

 ひとつ間違えれば戦前の不幸をくり返す教材にもなり、ただでも安倍政権になって安倍首相の保守的思想、理念、主義が色濃く政策に反映されて、国会でもこれまでの憲法理念を無視して拡大解釈して数(議員)の優位の力で強行的に法案成立、推進される政治状況にある。

 (5)教育勅語に書いてある中身、内容の比較考証論ではなくて、都合のいい部分を捉えて「大変すばらしい」として主張、実践されることの独断性、独裁性が危険、問題であり、パラドックス(paradox)として教育の自由を形がい化、阻害するものである。
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