もう少し、あと少し

いろいろ欲しいんだ、しょうがないじゃん。

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ケント&ブルーマウンテン

2006年06月16日 08時02分21秒 | Weblog

 シカゴ発のユナイテッド航空853便は定刻より30ほど早く成田空港第一ターミナルの11番ゲートに到着した。俺は座席を立ち上がり、バックパックを肩に引っ掛けて荷棚からバックを降ろす人々の合間を掻き分けるように出口へと向かう。機体を出てターミナル内に入ると「入国審査」の看板が見える。脇目も振らずに長い廊下を早足で進む。重いスーツケースを引きずっている人々を次々と追い抜かす。入国審査の長蛇の列に駆け込むように割り入り、スタンプを押した入国管理官の手からパスポートを奪い取るや俺はたまらず駆け出す。手荷物受取所まで辿りつき、一瞬で自分のスーツケースを引っ張り出し、カートに乗せて最高速まで加速する。そのままのスピードで税関を突破し出迎えの人々でごった返すロビーを何人か引き倒しながら突っ切る。売店に駆け込んでケントのスパーライトと缶コーヒーを棚から掴み、レジ台に叩きつけ、財布を開いてドル札しかないことに気づき、180度身体を反転させて向かいの両替所まで全力疾走し、20ドル札を銀行員に握らすと同時に2千円を奪い取り、もう一度さっきの売店までロビーを駆け抜けて煙草と缶コーヒーを買い、お釣りをポケットに突っ込みながら首をぶん回して「喫煙所」の看板を探し出すやいなやその方向にダッシュを掛ける。喫煙所に頭からダイブしながら煙草の封を切り缶コーヒーの蓋を開け、左手でライターを擦る一方で右手でコーヒーを口に流し込む。甘とっろく鉄の匂いが少し混じった懐かしい感覚が脳天を突きつけ、両膝がガクガク痙攣するのにも全く気にせず煙草を一気に肺の底まで入れる。

 ケント・スーパーライト&ブルーマウンテン・コーヒー
 
 10ヶ月間遠ざかっていた至福の時。ああ、帰ってきたんだ。

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2006年夏、オハイオ

2006年06月11日 12時38分23秒 | Weblog
2005年夏のオハイオは、まるでピザ釜の中にすっぽり入ってしまったかのような暑さで、僕は額を下る汗を拭いながら真新しいスーツケースを引っ張っていた。

夢中で、必死で、右も左も前も後ろも分からないまま歩き続けた。

とはいえそれが自分で選んだ道だった。
道は時に険しく、時に暖かだった。
いろんな物に出くわし、いろんな事に驚き、些細な事に泣いて笑った。
孤独の中に、多くの人の支えがあった。
この世界の秩序に漏れず、夜と昼があり、晴れと雨があった。
そんな中で俺の心はまるで満ち干く大洋のように鬱と爽を繰り返し、体はその繰り返しに疲れ果てながらも一回り逞しくなった。


人生の意味を失いながら、それでも少しずつ、少しずつ、生きることの意味を噛み締めた。


言葉の壁は人知を超える高さで自分の前に聳え立っているかのように見えた。
文化と習慣の深淵では夏の日差しさえ影に屈していた。

すべては少しずつだと思った。
小さな針でほじくるようにその壁を壊していった。
その壁の破片で深き谷間を埋めていった。

目の前に壁に小さな穴が開いた時、深淵にも底があると知ったとき、俺は大笑いした。

とはいえ壁はいまだに強固に立ちふさがり、深淵の底に光は差さない。
だけど、もはやそれらは俺の行く手を遮る物でははない。


最後の期末試験、最後の論述問題、残り時間5分。
最後の単語を綴り終えた俺の右手は解答用紙にピリオドを打ち付けた。
長時間に渡る論述問題だった。右手の人差し指がきりきりと痛む。
席を立とうとして、立ち眩みとは少し違った目眩が押し寄せた。
三学期間、吐くほどの勉強量に耐えた結果だと思った。
まだ胃に詰め込んだだけだ。消化はしてない、けれどここで吐くわけにはいかない。自分の血と肉にしなきゃいけない。
俺は口元押さえて解答用紙を提出した。




その夜。
キャンパスの近くの友人の家。
夏のオハイオの昼は長く、九時過ぎまで明るい。
肉を焼くバーベキューの煙が漂う裏庭には鮮やかな夕日が差し込む。

そこで俺は愛する人たちと、愛してくれた人たちと、アメリカ一の酒を飲み交わした。


ねえお前ら知ってるか?
俺はパーティーでは笑顔でいつもの酔っ払いを演じてたけど、今こうやって一人でパソコンの前で泣いてるんだぜ。もう俺の部屋は空っぽで、真ん中にスーツケースがぽつんと置いてある。明日の朝にはここを去る。空っぽだよ。なにもかも。もう終わっちまった。小便みたいな味のするナティー・ライトも、マーケットプレースの油まみれのスパゲティーも、ユニオンの激辛ヌードルも、毎日通ったケネディ・コモンズも、ジョイズもヤオも、馬鹿みたいに愛想の悪いUDFも、迷路みたいな巨大な図書館も、ジョシ&オーエンズの筋トレも、RPACのプールとサウナも、日向ぼっこしたオーバルも、スケートリンクも、モリソンの自販機コーヒーも、動物園も映画館も、ハイストリートの霞んだ街並みも、マットの家のバルコニーも、ジェフの家のリビングも、ビアポンも、ナベも、ファック・ザ・ディーラーも、さんみゅくさんみゅくも、あれもこれも、みんなみんな終わっちまった。もう取り戻せない。二度と戻れない世界だ。
 記憶はどんどん変わっていくだろう。辛かった事は然るべき時期を経て消去され、良かった事だけが思い出として残る。そして俺は留学時代を思い出し、「よかったなあ」なんてため息をつく。違う。違う。俺はそんなもんのためにここに来たわけじゃないんだ。


ねえお前ら。
これで最後にするからもう少し叫ばしてくれ。
ブライアン、ブラッド、キャッシー、駿平、デイビット、ルナ、ジャンミン、アン、ジュディー、ジャッキー、チンチン、ジュン、アリス、アヴィス、アンドレ、ショーン、カルロス、たくろうさん、まさおさん、ケイ、チェン、カイル、ちか、みさ、ジョン、アラン、クリス、シー、ケビン、マット、

デイビット。
ジェフ。
さきこ。
ジュリー。君みたいな女がまだこの世界にいた事が分かって、俺はほんとに幸せだ。
ライアン。お前はなんでこんなろくに英語もしゃべれない日本人と仲良くなろうとしてくれたんだ。

みんな、どうもありがとう。
どいつもこいつも馬鹿で考え足らずで考えすぎで楽天家で努力家で優しくて気が利かなくて憎たらしくて魅力的で大好きだよ。



そんな風にして2006年夏、俺は短かった留学カ生活に終わりを告げる。

帰るべき場所に戻り、俺の愛する人たちと、待っていてくれた人たちと、日本一の酒を酌み交わそうと思う。
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壁谷に倣い 涙涙

2006年04月06日 09時16分29秒 | Weblog

今だから言うが、俺も飯を食いながら泣いたことがある。
それもマックで。

大学二年の秋だ。
あっけなく終わった恋にずいぶんと病んでいた。
家庭教師に向かう道すがら、県道沿いのマクドナルドに寄った。

ビックマックのセットを注文し、席に座る。
客は俺を含めて三人。
一人は現場から上がったばかりという様子の労働者。
もう一人中年女性。
二人とも孤独にハンバーガーを齧っている。
店内は静かで、バイト店員の話し声と、毒にも薬にもならないポップソングだけが耳についた。

特においしくもないハンバーガーをむさぼりながら、五秒に一回くらい溜息をつく。
ふと、肘がポテトに触れ、床に落ちた。
ポテトが足元に散らばった。

「なにやってんだ、俺」そう呟きながら、床にかがみ込み、ポテトを拾う。

一本一本、拾い上げる。
なんやってんだなにやってんだなにやってんだ、俺。

散らばったポテトから視線を逸らすように顔を上げる。

テーブルに頭頂部をしたたか打ち付ける。
痛みを無視するように、ひたすら残りのポテトを拾う。

そしたら、泣けてきた。
なんやってんだなにやってんだなにやってんだ、俺。

席に戻ることが恥ずかしくて、ポテトをそのまま拾っている振りして泣き続けた。
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実存主義

2006年04月05日 01時04分13秒 | Weblog

徹底した合理主義とマクロな視点を併せ持つヘーゲル思想一辺倒の当時の大陸哲学にあって、キルケゴールは主観性と個々の生の重要性を強調して実存主義の端を開いた。


今学期は、この実存主義に足の指先から首の付根までどっぷりになる。

キルケゴール、ドストエフスキー、ハイデッガー、ニーチェ、サルトル、そしてカミュ。


君は何なのか?君の人生は何なのか?なぜ生きるのか。生きてる意味は何なのか?この人生は生きるに値するものなのか?


彼らはこうした問いに挑んだ。
もちろんのこの探求自体は実存主義に特異なものではない。
ただ、彼らは客観性と同時に主観性を重んじ、理性に比して感情を強調し、マクロな見方ではなく一人の人間に着目した。


授業は極めて濃密である。
リーディングの量は目尻が赤くなるほどだが、教師と生徒側の両方に熱い意気込みを感じる。
特に生徒側の風貌たるや、人生を半分降りちゃったような奴が多くて好きだ。
他のクラスと雰囲気がまったく違うのだ。
男子学生の半分以上が肩までの長髪である。
たまに匂いが変なので困る。


ところで、この授業だけは日本語で取りたかったと強く思う。
それは時に難解な哲学書を英語で読むのが手間だからではない。
英語で議論したりレポートを書くのが億劫だからでもない。


俺は日本人として、日本語でこの21年を生き、日本語でほとんどの出来事を経験し、日本語で悩み、日本語で考えてきた。

だから、こうした根本問題を考えるに際しては日本語を使いたいのだ。


まあ、ないものねだりしてもしゃねえな。
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大きな物語が欲しい

2006年04月03日 13時41分25秒 | Weblog

幸せだよね。
難もなく大学まで進学してさ。
それもなかなか悪くない大学だしさ。
そこで好きな勉強やって。
気の会う友達たくさん作って。
いろいろ学んでいろいろ喋って。
悩むことも多いけど、たぶん人生は順調で。

おまけに留学までさせてもらって。
ちょっとだけ、コースをはずれてみる、周り道とかしちゃう感覚を味わって。

いろんな体験をして。
いろんな人と知り合って
いろんな人と酒を飲んで。
馬鹿騒ぎして笑って。
一緒に悩んで語り合って。

幸せな瞬間がたくさんあって、それだけで、ああいい感じ、と思える。
小さな幸せを積み重ねていって、それで恒常的な不満足感を拭い去れる。


だけど、やっぱり、大きな物語が、欲しい。


目の前に閉ざされた扉があって、その向こう側に何かが待っていて、きっときっとて動かされる、そういう生き方には少しだけ、うんざりする。
未来への不確定性、その不確定性から来る期待感や好奇心を糧に生きるのは、悪くはないけど、浮かれたりへっこんだりで、疲れる。

大きな、一本の、物語が、欲しい。
自分の人生を物語る何かだ。

この考え方は、ある種、危険だ。
時にそれは、宗教だったり、イデオロギーだったり、とにかく極端な形を取る。
うーん。困ったね。





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同じ同じ

2006年03月28日 09時11分04秒 | Weblog

 昨夜は新学期の開始を祝って友達数人と飲んだ。
 パーティーとかではない、気の知れた友達が数人集まっての飲みだから、ソファーに深く座ったまったりとした飲みになる。

 で。
 話の展開、事の次第が日本での飲みとまったく同じ。
 宿舎時代に高尾の部屋のあつまって、俺と○○と××と△△あたりでやったのとまったく同じ事が起きるの。

 まずは普通に他愛のない会話で始まる。
 まあ小一時間。酔いが全体に染み渡るまで。
 
 で、ここで誰かが言う。
 「女っ気がねえなあ」
 見渡せば、男四人がテーブル囲んで飲んでいる。
 うん、女がいない。

 「おい、誰か呼ぼうぜ」とまた誰かが提案する。
 ここでサクサクと女友達を呼べたら苦労はない。
 どうやって呼ぶか、誰を誘うかで喧々諤々の議論となる。

 「おい、お前あいつの事気に入ってんだろ?誘えよ」
 「いや、あの女は俺のこと好きだって」
 「今度一緒に飲もうねってあの子に言われたんだけどなあ」
 
 ・・・などなど、妄想誇張が入り混じった挙句、でもみんながみんな「でも自分はできるなら誘いたくない、お前がかわいい子見つけて来いよ」的フリーライダー思考だから、ちっとも話は前に進まない。
 
 結局何かゲームか一気飲みかの敗者が誘うことになる。
 昨夜の敗者はジェフ君。
 で、ジェフがお気に入りを誘うも、もちろんやんわり断られる。
 一同ため息。
 
 そっからは、80%が妄想で出来た恋話が進む。
 
 で。
 さらに酔いが回ってくると、誰かが「よし、あの子をデートに誘う」と言い出すか、もしくは「おまえあいつにメール送ってみろ」という酔っ払い展開になる。
 白熱した議論の末にメールの文面を書き上げ、異様な盛り上がりと共に送信。
 
 返信。
 「じゃあ今度ご飯でも(笑)」

 で。
 この「(笑)」(原文では"hehe")の意味することを巡って、さらに議論は加熱。
  
 「やったじゃん」
 「いやこれは社交辞令って言うの。建前ってやつだよ」
 「え?アメリカ人も建前と本音を使うんだ~ふーん」

 そんな風にして夜は更けていく。

 もうね、二年前の宿舎での飲みと同じ展開。
 やってることが一緒。
 俺はその類似が楽しくてしょうがなかった。 
 こういう事がある度に、俺は友達をアメリカ人と思えなくなる。 

 
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「好き」

2006年03月27日 05時10分10秒 | Weblog
 やはり「落ちたらそれまで」「好きだから好きになる」のであって人を好きになるのに一般原則としての理由やら原因やらはないし、この種の感情を巡る現象を論理的に分析したところで一般的な意味は持ち得ない。それでも我々はこの「好き」に振り回されるし、振り回されて浮かれて悩んで落ち込んで傷つき傷つけ、しかしそれでも「それが好きってもんだよ」と堂々巡りを繰り返すのではさすがに苛々してくる。ここらで「人を好きになる」とは何か、その定義は何なのかを考えてみることは、もちろんそれは不毛な言葉遊びにすぎないとしても、この忌まわしき「好き」を巡る感情論に対するささやかな抵抗くらいにはなるだろう。

 まず一般的な意味での「好き」とは何か。
 「りんごが好き」
 「阪神タイガースが好き」
 「サッカーするのが好き」
 「トルコが好き」
 「ホルターネックが好き」

 上の例を見てしばらく悩んでみたが、まあ単なる言い換えとして「気に入っている」ということになるだろう。「好き」の対象に心が向いていて、「好き」の対象を思い浮かべるとき、あるいはその対象を行うとき、手に入れるとき、食べるとき・・・、我々の心は幸せな、満ち足りた状態になるか、少なくてもそれに近づく。

 さて、これを恋愛における「好き」にそのまま適用できるだろうか。
 できない、と俺は考える。
 
 「りんごが好き」であるとき、その対象物のりんごを買ったり食べたりしたときに、以前の状態より自分が幸せになる。 
 「トルコが好き」であれば、トルコに行ったり、トルコ人と友達になったり、トルコの写真を見たりすると、まあハッピーになる。

 この意味で「誰々が好き」と言ってしまうと、それは恋愛における「好き」にならない。
 「赤根谷先生が好き」という時、赤根谷先生の授業を取ったり、ゼミに行ったり、先生と話したりするとやはり嬉しくなるが、それはもちろん恋愛とは違う。
 「吉田君が好き」ってのも、たしかに吉田を抱いたり吉田を食べたりすると、一人で部屋に居るのに比べればずいぶん幸せを感じられるが、それでもそれは友達として好きであるに過ぎない。

 「程度の問題だろう」というかもしれない。まあそうだろう。確かに気持ちの強さという見方は妥当だ。でもなんかその他に、大きな違いはないだろうか。

 
 恋愛における「好き」に特有なのは、好きの対象に自分の事を好きになって欲しいと強く願う気持ちではないだろうか。
 あなたがA子ちゃんを好きなとき、あなたはA子ちゃんにあなたの事を好きになって欲しいと思わないだろうか。少なくても俺はそう願う。
 でもあなたがりんごを好きなとき、まさかりんごにあなたのことを好きになって欲しいとは思わないだろう。
 まありんごには他者を好きになる能力が備わってないからこの例は不適切だとしても、俺が吉田を好きであるとき、確かに俺は吉田に自分を気に入ってもらいたいが、しかし別に気に入ってくれなくても構わない。まあ嫌われなければ構わない。そして重要になるのは、いくら俺が彼を好きといっても、俺が異性愛者である以上、俺が彼に俺のことを好きになって欲しいと思う範囲には上限がある。
 つまり、友達としての「好き」も、その対象に「自分を気に入って欲しい」という気持ちは抱くのだが、①それは比較的切実なものではないし、②必要以上に好きになってもらうと困る、と言える。
 対照的に、恋愛としての「好き」は、好きな相手に自分を好きになって欲しいと強く思うし、もしそうならいくら自分を好きになってもらったところで構わない。求める「好き」に上限はないのである。


 
 言うまでもなく、これは一般論ではない。俺の個人的な話である。
 そしてこんな事を言っていても、落ちたらそれまで、である。
 みなさんは、どうだろうか。
 
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季節の記憶

2006年03月26日 12時20分08秒 | Weblog
 俺が写真を撮らない理由は全部で36個くらいあるけれど、そのうちの一角を占めるのが「季節の記憶」だ。

 例えば春の、あの遠慮のない暖かさとか目に眩しく咲き誇る花々とか湿った土の匂いだとか、そういう春に特有の雰囲気は過去の同時期にあった出来事を思い出させる。

 高校入学後、少し緊張しながら見学に行ったハンドボール部
 大学入学直後の浮き足立った期待感
 大学二年の充実感と忙しさに酔いつつ奔走した新歓
 
 夏の夕暮れ時の、あの諦めに似た涼しさは、りーちの部屋のベランダで飲んだ発泡酒の味。
 午後の照りつく太陽と虫の鳴き声は、プールの監視員バイト。

 凍てつく冬の朝、白い息は、缶コーヒーと一限から始まる計量経済学

 それは思い出すなんて生易しいものじゃない。
 瞼の裏側に、頭の真ん中に、心の内側にもろに蘇ってくる。
 いろんなディーテルが、それに伴う感情を引き連れて大暴れしてくれる。
 ふとしたきっかけで、その季節の匂いを嗅ぐと、どわっと、まさにコップから水が溢れ出るみたいに、その時の自分とか出来事とか雰囲気とかが心の中に広がってしまう。

 もちろん、一つの季節や一つの音楽がそれぞれ一つの記憶を象徴しているわけではない。春も秋も、スピッツもミスチルも、それぞれたくさんの記憶を代表している。複数の記憶がいっぺんに呼び起こされることもあれば、一つだけの時もある。

 そしてこれからもどんどん記憶を重ねていくはずだ。
 
 そういう記憶たちは、自分の意思で呼び起こせない代わりに、力強く、直接的で、突拍子がなく、遠慮もない。
 俺はこういう記憶たちがものすごく好きで、だからというわけじゃないけど、俺は写真を撮らない。
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ラディカリズムとしての将来像

2006年03月25日 11時38分59秒 | Weblog
 自分の将来の姿というか、進むべき道について考えを巡らせた時、やはり確信を伴った答えとか断固とした希望とかを見出すのは難しい。ほとんど息が詰まりそうになる場合がほとんどだ。
 ここは一つ考え方を変えてみる必要があるかもしれない。
 単なる思考実験として。

 ここでは次の二つの点について従来の思考からの転換を図りたい。一つは時期的なもので、普段僕が進路について考えるときは直近の未来、すなわち大学卒業後すぐの社会人としての生き方に焦点を当てるが、今日はそうではなくて、だいたい35歳くらいの自分の将来像について考えてみたい。35歳前後の時期において自分が何をしていたいか、どうありたいかを見つめてみることで、その前段階である大学卒業後の進路を見定めようという試みである。
 二点目は我々が暗黙のうちに身に付けている社会的了解みたいなものを一度捨て去ってみようというもので、結婚とか家庭とか子育てに関する前提だとか、労働と生計の関係だとか、とにかくそういう「なんだかんだ言っても、働いてお金を得て暮らしていくしかないし、そういう暮らしの中で結婚して子供を生んで家庭を築いていって、それは100%の幸せではないかもしれないけどその中でそこそこの満足を求めていく、そうすることがやっぱり普通という自然なんじゃないか」みたいな規範から脱却してみたい。

 それで、35歳の時点で僕が何をしていたいかというと、5歳くらいの子供が一人いて、仕事はしていないか、仕事をしていても家で細々とやる程度というのがいい。仕事をしていない場合は当然結婚していて、奥さんは外で働いて収入を得ているということになる。したがって僕は家事全般を担う。空いた時間は子供と遊び、犬と散歩し、本を読む。とはいえ僕は自分がこの時勢において結婚生活をまともに継続できるほどの男とは思っていないから、きっと早い段階で離婚する。離婚しても子供は断固として自分の手に残す。父子二人のささやか暮らしなど、別れた妻から毎月送られてくる養育費と自分の細々とした仕事でなんとかなると思っている。ここでやりたい仕事というのは文筆に関わる業務で、なにか雑誌や本の下請けでもいいし、情報誌のちょっとしたルポ記事でもいいし、それこそ男性週刊誌の後ろの方に載ってる官能小説でもいい。あるいは英語から日本語への翻訳でもいいと思う。とにかく文章を書いてお金を貰いつつ、時間を縛られなければいい。
 子供が大きくなるに従ってやはりいつまでもこんな事をしているわけにはいかなくなるかもしれないけど、それについて考えるのは今日のテーマからは外れているし、そうでなくても自分の35歳以降の人生について考えるなんてほとんど不可能だ。まあうまくやればフリーのライターか翻訳者として食っていけるようになるかもしれないし、あるいは仕事をしながら作ったコネが役立つかもしれない。

 さて、もし30代の後半をこんな風に生きるとしたら、大学卒業後はどうするべきだろう。ふと、考えるのが楽になる。どうして勤め人をやるのは十年ぽっきりだ。それ以降は牧歌的な生活が待っている。ならなんでもいいから十年間はばりばり働いてみよう。業種なんてどうでもいい。どうせ十年で終わるのだから。企業のパンフレットかホームページを見て、面白いと思ったところにすればいい。第一志望も第二も第三もないし、大手とマイナーの選好もない。面接に落ちまくったっていい、どこでもいいから一箇所さえ内定を貰えば。

 現在進行形で就職活動に励んでいる人たちはこんな考え方を嘲笑うか無視するだろう。別に俺だって本気でこんなことを考えているわけではない。でも幸か不幸か俺にはまだこんなことを考える時間的・精神的余裕があるのだ。
 
 なんにせよ、常にこうしたラディカルなアイディアを心に留めて置きたいと思う。そしてそういうラディカルさを目睫に捕らえつつ、現実的な思考をしたい。そうでないとどんどん色々なものを見失いそうだし、いらないところで妥協しそうだ。
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おばあちゃんからの手紙

2006年03月24日 11時56分37秒 | Weblog

 祖母から手紙を頂いた。
 縦書きの便箋に、古風な文体で書き連ねられた、やや崩した文字が美しい。

 差出人の欄。
 
 「日本帝国 群馬県伊勢崎市境米岡○○-○」とある。
 
 返事はこのままの住所で返そうと思う。
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お知らせ

2006年03月18日 09時14分38秒 | Weblog


ネット環境を離れるため、明日より一週間ほど更新を停止します。
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今日のおすすめ

2006年03月18日 09時10分49秒 | Weblog
春休みで寮の食堂が閉まっているため、今日は朝飯兼昼飯に近所のイギリス料理店に行ってきた。
イギリス料理店などど書くとなんだか堅苦しいが、ようはただのブリティッシュ・カフェである。

そこのBLTサンドが絶品である。
日本のコンビニに置いてあるような、あるいは地方の県道沿いにある喫茶店が出すようなBLTサンドとは雲泥の差である。
もはや同じ言葉で呼ぶのすら愚かしい。

BLTサンドとは言うまでもなくB=ベーコン、L=レタス、T=トマトをパンで挟んだサンドウィッチである。

まずベーコン。
カリカリに焼きあげたベーコンが、はみ出さんばかりに挟んである。
前歯が少しベーコンに触れるだけで、ポッキっという感触ともに口の中に転がり込んでくる。
もちろんアツアツである。
油はよく切られているので、全くしつこい感じがしない。
塩気は他の野菜やソースの風味を殺さない程度に抑えてある。
そして、その控えめな塩気のさらに奥に、肉そのものに由来するほのかな甘みを感じることができる。
主役としての存在感を如何なく発揮しながら、時に周囲への配慮も忘れない、そんな心憎い奴である。


トマト。
赤く完熟したトマトは、少々刺激的なすっぱさと、その上に薄くかぶさるような甘みが持ち味である。
それぞれの食材が個々の持ち味を他の食材との協調・協力の中で発揮していくBLTサンドの世界において、トマトは少しアウト・ローな存在である。
時にベーコンと衝突しそうになるその存在感。
ベーコンのカリカリ、レタスのシャキシャキ、トーストのサクサクの中で一つだけ大きく異なった食感。
時々赤い汁をベーコンやパンにこぼしてしまうその粗暴さ。
しかしこんなトマトだからこそ、BLTサンドには欠かせないのである。
トマトなしでは、なんと味気ない、なんとつまらない、なんと没個性的なサンドウィッチになっていたであろうか。
遊び心に満ち、食する者の心を刺激してくれる、愛くるしい存在である。


レタス。
眩しいばかりの緑色である。
そのシャキシャキとした歯ごたえはベーコンのカリカリ感にいじらしいくらいに従順である。
水気はよく拭き取られてあり、カリッと焼き上げられたパンやベーコンを湿らすことはない。
同じ野菜であるため、トマトの相性は抜群である。
しかし、トマトとタッグを組むことはせず、ベーコンとトマトの間のバランス・オブ・パワーに徹する。
BLT三要素の一角を担いながらも、自己主張を控え、BLT全体を見渡した広い視野にたって貢献するレタスは、まさにBLTにおける船頭のような存在である。


パン。
ベーコン、トマト、レタスという並々ならぬ役者たちを上下から挟んで一まとめにしてしまうその包容力なくして、このBLTサンドは空中分解してしまうだろう。
表面が軽く焦げる程度にトーストされたバンのサクサク間はベーコンのカリカリ感、レタスのシャキシャキ感と抜群のコンビプレーを見せる。
しかし同時にアウトローなトマトにも優しさを忘れない。
時に粗暴な面を見せるトマトがその汁をパンにこぼしたとしても、むしろその甘酸っぱい汁がパンの風味を奥深いものにしてしまう、そんな器の大きさがある。


繊細な巨人・ベーコン
愛しき一匹狼・トマト
♪一人はみんなのために♪・レタス
母なる抱擁・パン


彼らが口の中で織り成す芸術は、きっとあなたに笑顔をもたらすでしょう。

コロンバスにお越しの際は、ぜひご賞味下さい。
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♪韓国にまけた~いいえ、お酒に負けた~♪

2006年03月16日 16時16分41秒 | Weblog
負けましたね。
WBC。
もうね、悔しくて悔しくて。
白いシーツに爪を立てながら、ピンクのハンカチ噛み締めてます。
よりによって韓国ですからね。

なんかやっぱ韓国を格下だと思ってる部分があって、それに加えてあの観戦態度やら試合後の傍若無人さを見ちゃうとね。
悔しさ三割増しですよね。

まあ実際韓国強いね。
投手陣が充実してるし、継投もいいタイミングだったし。
なんか選手全員に気合が満ちてる感じで。
WBC辞退した選手も日本ほどはいないようで。

それに引き換え日本は・・・と思い始めると面白くないので、ここは韓国に責任転嫁。論点ずらし。


で、試合終了時点で俺はビール二缶と日本酒四合を空けておりました。
かなり酔っててね。
イチローが最終打者の三振の後で「ファーック」と叫ぶと同じタイミングで俺も「ファック」と喚くぐらいは酔ってましたね。


で部屋に帰ったら誰かがメッセンジャーで話しかけてきたじゃないですか。
もうね、負けていらいらしてるし酔ってるしで、相手が誰かも確認しないまま文句たれましたよ。

いわく
あの韓国に負けた。
あのファックな韓国に負けた。
なんだよあの応援態度。
今日勝ったからまた調子に乗るぜ

・・・等々、2chや右翼顔負けの暴言を吐いてました。

そしたらね、話してた相手、韓国人だったよ。


血の気がすーっって引いたね。
酔いもすっかり醒めた。
それからとりあえず平謝りと言い訳ですよ。


ああ、俺カッコわりぃ。
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達成感?

2006年03月15日 17時08分12秒 | Weblog

・・・to functioning democracy.

とレポートの結論を結んで、俺の冬学期が終わった。

思えばとてつもない学期であった。
テスト、レポート、プレゼン、リーディング。
まさに休むまもなく次から次へと襲ってきた。

2年次の1学期に、比較政治学、アジアの国際関係、国際政治経済学I、政治過程論、平和紛争論I、国際政治学IIのレポートに同時多発的に見舞われるという事態が発生した。
あの時は、これ以上勉強に追われることなんて以降の人生であり得ないだろうと思った。

甘かったね。

まあそれがあったから今回乗り切れたのかもしれんが。


で。
最後のピリオドを打った時、腹の底の方から湧き上がる衝動みたいなものを感じた。最近感情に名前をつけるが億劫になっているが、まあこれが達成感って奴なんだろう。

達成感。

いいよ。なかなかいい気持ちだよ。こいつは。
それがきちんと待っているから、苦しみながらも走り続けられるんだ。
苦しみながら走り続けた奴だけに、こいつは抱擁をくれるんだ。

で。
レポートを提出した足で、自分に褒美でもやろうと思って近くのショッピングセンターに向かった。
道すがら、何を買おうか考えた。
パンツを買おうと思った。下着ね。
腰周りのゴムがゆるくなってるのが一つあるからね。
やれやれ、けなげな苦学生だぜ、ご褒美に下着とは、とか思いながら悦に浸っていた。

で。
そしたら達成感が消えていた。
もう跡形もなく去っていた。
ただの天気のいい午後に、ショッピングセンターに向かうただの俺だよ。

ねえ、俺はこの学期の後半、二ヶ月間も頑張ってきたんだぜ。
ねえ、それなのに君はたった一時間半で去ってしまうんだね。


いいんだ、いいんだ。それでいい。

限界効用低減の法則だよな。
金でも何でも多すぎるとインフレ起こして価値が下がるしな。

まあ君の感触はわずかな記憶として残ってるよ。
そいつを胸にまた走るとするかね。
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京都風俗博物館

2006年03月14日 08時13分16秒 | Weblog
あれは確か、中学三年の、五月の大型連休直後の事でした。
ロング・ホームルームの時間、一ヵ月後に迫った修学旅行について話し合っていた時のことです。
班ごとに分かれて、自由行動の時間に京都のどこを回るか計画を立てていました。

金閣寺、清水寺、竜安寺。
有名どころが次々と予定に組み込まれていく中、メンバーの一人がガイドブックを皆に見せながら、言いました。

「風俗博物館ってのがある!!」
彼は半ば叫んでいました。
彼は普段はおとなしい方で、このときの話し合いでもそれほど積極的に意見を言ってはいませんでした。その彼が。

しかしその当時の僕たちは、そんな彼の豹変振りに構っている余裕はありません。

「「「「フーゾク!?」」」」

そう、僕たちは中学三年男子でした。

「おっぱい」という字を見るだけでチンポコが硬くなるような年頃です。
「フーゾク」と聞いた僕たちは、一種の条件反射、思考停止、集団陶酔の中にいました。「フーゾク」という言葉、そしてそれに付随する勝手なイメージばかりが僕たちの頭の中で暴れます。
 
 普段は女子に頭の上がらなかった僕たちでしたが、この時ばかりは一致団結して女子の反対を跳ね除け、予定に組み込みました。
もちろん教師に提出する計画書には偽の行き場所を記しておきます。



 そして修学旅行。自由行動当日。問題の風俗博物館に入った僕たちは、そこで生きる事の厳しさを学びました。
 この場合の「風俗」とはもちろん「一定の社会集団で伝統的に行われている生活上のならわし」のことであります。

 僕たちは京都の伝統的な着物やら農業器具やら遊び道具やら炊事用具やら祭りの神輿などをうつろな目で眺めながら、「人生って甘さ控えめだよな」と呟いていました。
 こうして僕たちは、またひとつ大人になったのです。
 



 でね、アメリカの中学生たちはこんな経験ができなくてかわいそうだな、と思っていたら、ありました。ニューヨークに。
  Museum of Sex
 人類学的、社会学的な性についての研究発表の場だってさ!!





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