まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

インドのバス

2010-02-28 | 日常

 インドにはボロバスしかないようである。

我々のバスもご多分にもれず しっかりボロである。

8人のお仲間にも 暑がり、寒がりと色々な方がいるため 

座席ごとに小さな扇風機が付いてはいるが動く気配はない

暑い~!、寒い~! にクーラー(エアコンではない)を点けたり消したりするわけであるが、

これがやっかいである。

クーラーを切ってください・・・・と言っても簡単にはいかない。

車を道路脇によせてエンジンを止めてから クーラーを切る。

クーラーを入れる時も同じく車を道路脇に止めエンジンを切ってからクーラーを入れる。

クーラーを入れるとガンガン冷える、吹き出し口の調節は出来ない。

頻繁にお願いしては悪いから・・・と

添乗員さん持参のガムテープを吹き出し口に貼って冷風をシャットアウト・・・

また夜やその日によっては 窓の隙間から冷たい風が吹き込むこともある。

そんな時は 今度はクーラーの吹き出し口に貼ったガムテープをはがし 

窓の隙間に貼る・・・バスに乗っているだけとはいえなかなか忙しい。

たまにすれ違ったり追い越したりする 乗合バス? ときたら人間様の詰め込みようが
半端ではない。

すし詰め なんてもんじゃない、ギュウギュウ詰めである。

すし詰めといえば オート力車(オート三輪のタクシー)は2人乗りであるが
何と10人くらい乗せていることもある。

インドは何しろ詰め込むのが好きなのか、まあ 安く乗るためでしょう。

我々ときたら 1人4座席くらいの悠々、申し訳ない次第である。

インドへは何回来てもボロバスには悩ませられる。



インドの子供たち

2010-02-27 | 日常
 我々がバスから乗り降りする所へは大人もであるが 子供たちが集まってくる。

まとわりつくことはないが 何かを求めているのは当たり前

ある所では 3~8歳位の子供たちが大勢で細い道の両側に並んで

澄んだ大きな声で 歌? らしきものを合唱してくれた。

 ♪ブッダム サラナム ガッチャミー♪

 ♪ダンマム サラナム ガッチャミー♪

 ♪サンダム サラナム ガッチャミー♪ の繰り返し

リズミカルで とてもキレイなハーモニーであるため歌かと思ったら 

ガイドさんから曰く サンスクリット語のお経と・・・。

日本では 南無 帰依仏
      
       南無 帰依法

       南無 帰依僧 と唱える 三帰と知りビックリ

日常かかすことなく手を合わせ 般若心経と共に唱えているお経を

ここでは子供達が 身近に歌のようにして唱えている姿には驚きであった。

この大勢に ご褒美を・・・と思えどどのようにしてお金(それしか持ち合わせはない)

をあげればいいか 困っていたらガイドさんはいつの間にやら沢山のバナナを買っていて

ひとりひとりに配っていた。

彼はいつもスマートにお金や物をさりげなく渡している。

慣れているということもあるだろうが 分け与える の精神が徹底している・・を痛感する。






クシナガル

2010-02-24 | 日常
 クシナガルはお釈迦様入滅の地である

お釈迦様が荼毘に付され 遺骨、遺灰が8つに分配された場所の

ラーマーバルストゥーパを見学する。

大涅槃堂には金ピカの大きな涅槃釈迦が安置されていた。

入り口で求めた蓮の花を供え手を合わせる。

夫は 何故かこみ上げてくるものがあり この地が自分の原点では? を感じた・・・と

沙羅双樹の大きな木が2本立っていたが葉は泰山木の葉に似ており

花は? いつ咲くのかガイドさんも花は見たことがない・・・と言っていた。

日本では夏ツバキのことを沙羅双樹ともいうが、

スリランカの沙羅双樹はインドのものとは木の形、葉の形も違うが 凄く綺麗な花を付ける。

友人がカンボジアの沙羅双樹の写真を送ってくださったがスリランカと同じ花であった。

お国によって沙羅双樹もいろいろなのかな?

夫がこの地の物でなければ・・・とガイドさんに依頼して探してもらい 

菩提樹の実で作られた数珠(腕用)を求め 

時計以外の物は身に付けない夫がそれ以来シッカリ手首に付けている。

きっと お釈迦様の御利益間違いなしでしょう。

(写真は友人からのカンボジアの沙羅双樹の花)



ビハール州

2010-02-22 | 日常

 ケサリアの観光を終えるとビハール州ともお別れであるが

ここビハール州は 今日に至って奴隷制度が残っている所である。

ビハール州はインドの数ある州の中でも貧しい人が多い州とか、

貧しい農家の人々は文字など読ず 金持ちの地主からお金を借りるのであるが 

その証文の文字、数字が読めないから言われるままに判を押す。

証文には一桁どころか二桁も多く0をつけておき

その証文を盾にして 借金を払えない農民を永久にただ働きさせる・・・

二桁も増やされた借金はいつまで経っても返済出来ず

孫子の代までタダで働かせる・・・という悪質なやり方をするとのこと

警察も金持ちの地主からワイロを受け取るため 取り締まりをしない・・・とか

何とも 可哀そうな現実の話です・・・とガイドさんの説明であった。

その反面 ビハール州は優秀な人が多く

デリーの医大にはビハール州出身者が多いそうである。


相変わらず道路の悪さときたら天下一品 

いい気でおしゃべりしていたら舌を噛んでしまいそうである。

外が暗くなった頃 バスから眺める民家といえばランプかロウソクの生活である。

道端のお店(戸板位の上に何がしかの物が少しある程度)もロウソクを1本灯しているだけ。

かろうじて ガソリンスタンドらしき所は電灯らしきものがあるが・・・・

12億の国民の半分が電気のない生活と聞くが 否が応でも納得しないわけにはいかない。

この国の半分の人に地球温暖化 CO2削減 と言っても何のことやら・・・の世界でしょう。 




ケサリアのストゥーパ(仏塔)

2010-02-20 | 日常
だだせさえ悪い道であるが さらに悪い道のためジープに乗り換えケサリアへ 

なるほどガタガタ道である。

お釈迦様が涅槃に向かうのを悲しだ人々が小さなストゥーパを作ったが

その後増築に増築を重ね、高さ45メートルの世界最大規模にまで拡大したストゥーパである。

レンガを積み上げたストゥーパのぐるりには 沢山の窪みがあり

その窪みの一つ一つに仏像が安置されているが 全部の仏像に頭は無い。

草原の中に大きなストゥパがポッツリあるが、その脇を水牛に乗った少年が通り過ぎていく姿

また道端では一日草を食べさせたヤギを家に連れ帰ろうとする女性の姿

何とも言えない長閑な光景である。

記憶の何処かにあるような、夢の中にいるような不思議な感覚であった。


インドの結婚事情

2010-02-19 | 日常

 南インド旅行の時はいたるところで象を見かけたが今回はサッパリであったが

バスで移動中に象を見かけた。(何でか分からないが象を見ると嬉しくなる)

グブタさんに聞いたら結婚式があるから・・・・???

結婚式に象? 何故?

インドでの結婚は99パーセントがお見合い結婚で 

生涯未婚で過ごすと言うことはあり得ない・・・とのこと。

男性も女性も100パーセント結婚をするわけである。

それも 同じカースト同士でなければならない、

お見合いと言っても バラモンが占いとかお互いの色々を調べ組み合わせる。

相手の顔も分からず結婚・・・ということもある。
(日本でも昔は珍しくなかった)

都会では新聞広告に出したり、インターネットでということもあるが

それは一部の人達の話、バラモンが仲介するのが当たり前とのことであった。

そのせいか 田舎では離婚は無い・・・とグプタさんは言っていた。

結婚をして女の子が生まれると親はガッカリするそうである。

それと言うのも 結婚をする時は花嫁の方が持参金を持って行かなければならないし

その上 式の費用も女性側が持たなくてはならない。

親は女の子が生まれるとその時から持参金用の貯金をしなくてはならず大変だ・・・とグブタさん。

お金持ちはベンツの車だったり、中流なら国産車、貧しければ自転車とか

家柄で持参する乗り物が決まるようである。

前記の象は結婚式の時、花婿が象に乗り花嫁を迎えに行く時の乗りもの・・・とか

安い方の馬をつかう人もあるとか・・・ 

楽隊と共に象に乗った花婿を先頭に花婿の一族が行列をして

花嫁の家に向かうとのことである。

以前のインドの旅で結婚式に飛び入りで参加したことはあるが行列は見たことがない。

この旅行中にめぐりあいたいものである。


バイシャーリー

2010-02-17 | 日常
 クムラハールにてアショカ王の石柱が1本だけ残っている遺跡を見た次は

お釈迦様に深く帰依していたリッチャビ族の国16大国の一つバイシャーリーへ

ここのストーパーにはお釈迦様が亡くなられた時8つに分けた仏舎利の1つが納められた大変意味深い場所である。

柱頭の獅子像ともども石柱がほぼ完全な形で今なお本来の場所に立っている。

8つに分けた仏舎利は その後84000に分けられインドはおろか

世界中に分散したわけである。(その一部は日本にもある)

スリランカの仏歯寺にはお釈迦様の歯が納めてあると・・・
(仏歯を見ることは出来ないが大変立派なお寺であった)

お釈迦様の遺灰はそれだけ有難いものであるということである。 

聞くところによると 世界中の仏舎利を集めると 

何トンにもなると聞いたことことがあるが・・・それってどういうこと?

パトナ州立博物館

2010-02-16 | 日常

パトナ博物館には沢山の仏像があります。

まず 入場に際してガイドさんが写真撮影の交渉をしている間入り口で待つ。

相当な待ち時間のあと写真撮影OKの許可がもらえた。(これはなかなか頂けないらしい)

展示室に入り最初に目に入るのが美しい女性の裸体像、これはヤクシ(女性の観音様)

豊満な胸、くびれた腰の線 本当に美しい像である。

館内では仏像、ヒンズーの神の像、ガンダーラの仏像、ジャイナ教の像等々沢山見る。

我々の誰もが写真を撮るため 他の入館者達が 写真はダメでは? の素振り

特別の許可を知って 我々の写真を撮る姿を羨ましそうに眺めていた。

写真の許可はまず出ないのが当たり前でとのことであるが、

そこはガイドさんの努力でもらえたようである。(ワイロかな?)

お陰で写真撮りまくり ガイドのグブタさん ありがとう!




ナーランダ大学跡

2010-02-14 | 日常
 霊鷲山から帰り 朝食は お粥、それに味噌汁、梅干し、おしんこ、海苔、

お浸し、玉子焼き等々ここは何処? 日本では? と錯覚するくらいである。 

朝食後は 仏教大学が栄えたナーランダへ出発

ここナーランダは紀元前5世紀頃に創設された仏教の学院(今日で言う大学)があった。

1万人もの学僧が学んでいたと言う最大級の大学である。

教師の数も1000人とも1500人とも言われている。

ここには9階建ての校舎の他、6つの寺院、7つの僧院があり

図書館には500万冊に及ぶ蔵書があったという。

大学は12世紀イスラム勢力のインド征服により完全に破壊されインドの仏教の衰退が始まった。

僧達の部屋には 石で造られたベッドがコの字型になっており突き当たりのベッドは

先輩だか、先生だか忘れたがベッドの大きさが違う、

生徒の僧のベッドがシングルとすればセミダブルの大きさである。

破壊から逃れた図書館の1階部分の部屋がズラリと並んでいた。

あっちこっちで中学生? 高校生? らしい女の子ばかりの団体をよく見かける。

よほど我々に興味があるのか物珍しいのか 強い眼差しを感じる。

我々は動物園のお猿さん状態である。



霊鷲山

2010-02-13 | 日常
 早朝暗い中 懐中電灯を翳して1時間の道を霊鷲山へ登る。

この霊鷲山への石段も ビンビサーラ王自身がお釈迦様の説法を拝するために造ったという。

その道が ビンビサーラ道 という名で今日まで残されている。

ここはお釈迦様が晩年を過ごされた聖山、そして瞑想に励んだ山である。

この山から朝日を拝する予定が残念ながら雲が邪魔して見ることができなかった。

何処かの国の信者さんらしき一団が揃ってお経を唱えていた。

祭壇らしきものが作られており その前に賽銭台が作ってある。

バラモンらしき僧が一人居て指をさす。

そこには日本円の1万円札と100ドル札が重石をして置いてあり(飛ばないように)

また ご宝前 ○○会 と書かれた日本ののし袋が立てかけてあった。

日本でもお賽銭と言えばたいてい10円~100円位のものである。

100ルピー(約200円)を出したら不服そうな顔をして 

脇の発砲スチロールの箱の蓋を開けここに入れろ・・・のしぐさ。

これはツアーのお仲間の誰もがそうされた様子、何とも気分の悪い感じであった。

見本を置き 万札や100ドル札を出せ・・・と言わんばかりの態度である。

あくどい金儲けである。

インド政府の方から何回注意されてもなかなか止めない・・・とガイドさん曰く。

お釈迦様が雨の日に瞑想したといわれる 岩穴を覗いたりして山を降りたが

朝から何とも気分よろしくない思いである。