月と猫

旅行や趣味の話を書いていきます。
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さよならクロちゃん

2007-06-28 22:53:12 | 猫の話
ありし日のクロちゃんとトラちゃん↑



外猫のクロちゃんが亡くなりました。

クロちゃんは、ウチのちょびのママであり、
もこ&りょうのお姉さんです。

4年前、兄弟猫のトラちゃんと一緒に、
ノラ母に連れられ、家の庭にやってきました。

いずれは我が家で飼うつもりで母が世話をしていたのですが、
結局人になつかず、ノラ猫になってしまいました。
それからずっと、母や、近所の人たちが世話をしてきました。

穏やかで、物静かで、気の優しい猫でした。


今週、私は父の法事で実家に帰っていました。
昨日のことです。

朝、母が猫たちに「ごはんだよー!!」と声をかけたとき。
ちょびともこちゃんはすでに台所でごはんを食べていたのですが、
なゆちゃんとりょうちゃんは廊下にいました。

外で車のエンジンの音と、なにか「バン!!」という音がしたので、
廊下に出ると、なゆちゃんとりょうちゃんが玄関の方をじっと
見ています。誰かが来たのかと思い、玄関を見ましたが、
変わった様子はありませんでした。

母が台所で何度もなゆちゃんとりょうちゃんを呼びますが、
なゆちゃんは台所に行かず、窓からじっと
玄関の外を見ていました。

なゆちゃんが外に興味を持つのは珍しいことではないので、
私もスルーして新聞を読んでいたら、隣の奥さんが
「ママが死んでる!!」と駆け込んできました。

そのただならぬ気配に、パニックを起こして
走り回るりょうちゃん。
母について玄関に出てみると、家の前の道路に、
クロちゃんが倒れていました。

車に轢かれ、即死でした。

私や母が聞いた「バン」という音が、
車にぶつかった音だったのでした。

なゆちゃんがずっと外を見ていたのも、
クロちゃんが轢かれたことを知っていたからなのでしょう。
なゆちゃんとクロちゃんは、よく網戸越しに
コミュニケーションをとっていたので、
クロちゃんの死に、何か思うところがあったはずです。

同じく事故を感知したりょうちゃんも、
とても怯えてしばらくは逃げまわっていました。

な~んにも知らないちょびは、私たちがバタバタしているので、
一人はしゃいで走り回っていました。
ママが死んだというのに。

「一度も撫でさせてくれなかったから」と、
クロちゃんの背中を撫でている母の姿を見ると、
泣けてきてしまって、それ以上は見ていられませんでした。

それにしても、たった4年の命。短すぎます。
兄弟のトラちゃんも、とっくに姿を見せなくなっていたし、
クロちゃんの子供(ちょびの兄弟)たちも、
子猫のときに死んでしまいました。

やっぱりノラ猫の寿命は短いです。
ノラ猫じゃなくても、外出自由で飼っている猫には、
同じリスクが伴います。

こんな不幸な出来事が少しでも減ることを祈ります。


中欧旅・おじいさんと犬

2007-06-12 20:51:42 | 
ブダペストで遭遇したわんことおじいちゃん。

ペットボトルをくわえて嬉しそうに歩く
わんこが可愛くてひゃ~ひゃ~言っていたら
おじいちゃんが足を止めて、写真を撮らせてくれた。

っていうか、このおじいちゃんのオシャレさと
カワイさは何!?

さりげなくモノクロでまとめたファッションも、
白黒柄のわんことコーディネートされていて、完璧。

まるで映画のワンシーンのよう。
ジャック・タチの世界。

「かわいいおじいちゃん好き」の私としては
テンションのワンシーンでした。

父の日

2007-06-11 01:00:09 | その他
今度の日曜は父の日。

毎年この時期になると必ず思い出すことがある。
それは、7、8年前の父の日のことだ。

「お父さんにちょっといいワインを買ったので、
猫吉からのプレゼントだって渡しておくから」と、
母からFAXが届いた。
(その頃はまだ母は携帯を持っていなかったので、
連絡は電話かFAXだった)

母は気の回る人で、帰省して親戚の家に行くときなど、
私名義で菓子折りなどを用意しておいてくれたり、
祖母の誕生日に「私から」と言って祖母の喜びそうなものを
見繕って渡してくれたりすることがしょっちゅうあるのだ。

それは助かるのだが、あとで私が代金を払おうとしても、
「いいから」と言って受け取ってくれない。
それは困る。それでは、私があげたことにならないし、
もらった人に嘘をついていることになってしまうではないか。

このときもそうだった。私はすぐに母に電話をし、
「じゃあ帰ったときワイン代渡すから」と言ったのだが、
母は「いいから」と軽く流し、すぐに父に電話を代わってしまった。

何も知らない父は「ありがとうね」とお礼を言ってくれたのだが、
私はとても複雑な気持ちだった。

「どういたしまして」と素直に言うこともできず、
曖昧な返事をすると「お母さんに代わって」と
早々に会話を切り上げてしまった。

そして、電話口に出た母に「どうしてプレゼントを買ったなら
事前に言ってくれないの!私は自分があげてもいない
プレゼントのお礼なんか言われたくない」と
キツい口調で言い放つと、電話を切ってしまった。

実は、私は、父があまり好きではなかった。
小さい頃は父と仲良しで、魚釣りや虫採りなど
男の子のような遊びが好きだった私は、父にくっついて
よく遊びに連れて行ってもらっていた。

が、性格が似た者同士なのが災いし、衝突することも多かった。
私は子供のくせに生意気だったし、父は気が短く、
生意気な子供の言うことを「ははは」と受け流すような
器の広さは持っていなかった。

おまけに父はひどく気分屋で、前に言ったときは
笑っていたような軽口でも、機嫌の悪い日に同じことを
言ったら激怒される、というくらい感情の起伏が激しい人だった。

父の機嫌の悪い日は、家の中の空気がピリピリしていた。
私たちは早々に別の部屋に引き上げ、小言を言われないように
するしかなかった。

そんなだったから、私が父を疎ましく思うように
なったのは無理もない。

よく「女の子は思春期に父親を疎ましく思うようになる」
というが、すでに思春期に入る前にそんな状態だったし、
思春期には「早く実家を出たい」という一心だった。

高校を卒業し、東京で一人暮らしを始めると、
親のありがたみというものを知るようになるのは、定石通り。
距離を取ったことで、帰省した際などには、
少しは父とも会話をするくらいに歩み寄るようになっていた。

それまで、母や姉の誕生日、また、母の日には必ずプレゼントを
贈っていたのだが、父の誕生日や父の日はずっとスルーだった。

その出来事があった7、8年前頃は、収入も得ていたし、
さすがに誕生日には「これで何かおいしいものでも」と、
お金なんかを渡していたような気がするが、
父の日は、相変わらずスルーだった。

それを知っていた母が、先回りして、出先で見つけたワインを
「私から」のプレゼントとして買っておいてくれたのだ。

そこまではいいのだが、母は相変わらず私から代金を
取ろうとしなかった。私は私で、適当に話を合わせて
「口に合うかどうかわからないけど、飲んでください」とか
言っておけばいいものを、父に対してそんな風にスマートに
話すこともできず、なにより「自分があげてもいないのに」と、
意固地になってしまったのだ。

父の日のことなどすっかり忘れていて、プレゼントを
用意していなかった自分に対しての負い目があった
からかもしれない。逆ギレだ。


それから数年後、父は入院した。

お洒落だった父のために、明るい色のアスコットタイを
探しまわり、父の日にプレゼントした。
病院のベッドの上で、父は、嬉しそうに受け取ってくれた。

それから1ヶ月もしないうち、父は亡くなった。

一度も着けられることがなかったタイは、
父と一緒にお棺に入れられた。



父が亡くなってから、4回目の父の日が来る。



中欧旅・猫の舌チョコ

2007-06-04 19:42:24 | 
今回の旅行では
「ウィーンに行ったらデメルで
猫の舌チョコを買う」
と計画していた。

が、最初に訪れたブダペストの
チョコレート屋さん(ブランド店ではなく
おみやげ屋さん的なところ)で、
「猫の舌チョコ」を発見!
パッケージの可愛らしさに迷わず購入。

猫の舌チョコって、デメル以外にも
あるんだ~。それなら、日本でも買える
デメルのチョコより、こっちでしか
買えないのを買おう!!

と、見つける度に買っていた。

結局ブダペストのチョコレート屋さん、
ウィーンのコンビ二っぽいスーパー、
プラハのスーパーと、3ヶ国すべてでゲット。
小銭不足で買えなかったけど、プラハには
簡易包装の小さなものもあった。

もちろん「猫の舌チョコ」はもともと
デメルが発祥だけど、その後
続々とまねっこ商品が出たもよう。

でも、それぞれパッケージもかわいいし、
チョコの両端に小さな猫の姿や顔が
付いていたり、オリジナリティがあって
なかなか良いんじゃない?と思う。

なにせ猫好きにはとても嬉しいし、
おみやげにも最適。

興味があったので調べたら、「猫の舌チョコ」は
オランダやベルギーでも売っているもよう。

こうなったら、“ヨーロッパ・猫の舌チョコ
分布図”を作ってみようかな。