ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

笑 顔 ・ 笑 顔 その2

2017-09-15 22:20:55 | 教育
 ▽ 昭和から平成になってすぐ、
国際理解教育が注目されるようになった。
 時代がグローバル化へと進んでいた。
それに呼応してのことだ。

 以前にも記したが、
教頭として初めて着任した小学校は、
その国際理解教育の先進校だった。

 国際交流の名目で、外国からの来校者を数多く迎え入れた。
また、区教委の理解を得て、
横須賀の米軍基地内にあるSスクールと連携し、
年に1回だが、6年生が互いの学校を訪問し、
異国の小学校を体験させた。

 とは言っても、国際理解教育の方向性は、
まだはっきりとは定まっていなかった。
 先進校としての実践も、手探り状態が続いていた。

 着任して3年目、試行錯誤の実践から、
1つの方向性が定まりつつあった。
 それが小学校での英語教育である。

 時を同じくして、その頃、各教委を通して、
外国人講師の学校派遣が始まった。
 小学校では、『総合的な学習の時間』を利用して、
英語に触れる機会ができた。

 だが、「どんな手立てで英語と触れさせるか」、
「何年生からが相応しいか」など、
課題が多かった。

 そんな状況の中、日常的に英語に親しむ機会をと、
教頭の私は、
学校の各教室等の表示に、英語表記を加えようと思いついた。

 ところが、『1年1組教室』をどう英訳していいのか、
『職員室』は英語でどう表記するのか、
私には全く分からなかった。

 そこで私は、人捜しに奔走した。
学校の全ての部屋名を英訳できる方を探したのだ。
 しかも、虫のいい話だが、『手間賃無料で』である。

 地域自治会とPTAの役員さん、
さらには各商店のご主人らに、人捜しを依頼した。
 当然、学校便りでも『どなたかお力を!』と募集した。

 数日後、PTA役員さんが、1人の保護者を連れてきた。
そのお母さんは、
3年前まで国際線のスチュワーデスをしていたと言う。

 「自信はありませんが、やってみます・・。」
お母さんの表情は、沈んでいた。
 とんだ依頼が舞い込んで、困ったという気持ちが、
その表情から読み取れた。

 それでも、私は厚かましく押し切った。
「特に、急いでいる訳ではありません。
時間があるときに、よろしくお願いします。」
 そう言いながら、全ての部屋の名前を記した一覧を、
お母さんに手渡した。

 数日して、そのお母さんから電話があった。
「すみません。教えて下さい。
鄕土資料室ってどんな部屋ですか。」

 そして、また翌日、
「理科準備室には、誰か先生がいるんですか。」
 次の日も
「音楽準備室は、音楽の先生がいるんですね。」

 電話は、続いた。
 「主事室には、誰がいるんですか。
・・・どんな仕事をしているんですか。」

 お母さんの度重なる質問で、
私は正確な英訳表記の難しさを、少し理解した。

 2週間後、お母さんは、
私が渡した一覧に似たものを持参して来校した。
それには、各教室等の英語が記されていた。

 開口一番、明るい表情で、お母さんは言った。
意外だった。

 「私、学校のこと、全然分かっていませんでした。
こんな機会がなかったら、何も知らないまま、
娘を学校に通わせていたと思います。
 先生、ありがとうございます。
まだ気になるところがありますが、
何人かの友だちに見てもらって、
これでいいんじゃないと言うので、
お持ちしました。」
 
 私は、恐縮した。
お母さんのご苦労がどれ程のものだったのか、
それを事前に想像もできないまま、
依頼したことが恥ずかしく、沈んだ。
 私にできたのは、
お礼の頭を深々と下げることだけ。
 それにしても、お母さんの明るさが、随分と私を救ってくれた。

 早速、職務の合間を縫って、
各部屋の廊下表示を英語入りに作り直した。
 そして、それを一斉に掲示した。

 私は、英語入りの教室等の表示に、好反応を期待した。
ところが、その変化に気づいたのは、
驚くほどわずかな子どもと職員だった。

 しかも、「アッ、英語入りだ。」
その声は事実を告げただけで、驚きも好感もなかった。
 ご苦労をおかけしたお母さんに申し訳ない気持ちになった。
当然、私は肩を落とした。

 翌朝だった。
廊下で、3年生の女の子に呼び止められた。

 「おのね、これ、私のお母さんが英語にしたんだよ。」
まぶしいほどの笑顔で、教室の英語入り表示を指さした。

 「そうなの! あなたのお母さんだったの。
お母さん、すごいね。」
 「ウン!」
女の子は、軽く跳びはねながら教室に戻っていった。
 そして、もう1度笑顔でふり返ってくれた。
明るい気持ちになった。


 ▽あの頃、都内の小学校では隔年で、学芸会があった。
私は、若い頃から、学芸会が大好きだった。
 毎回、全力投球をした。

 子ども一人一人が、役に徹し、あるいは自分の役割を果たし、
1つの劇を完成させ、披露する。
 そのことに、日常の学習では得られない貴重な収穫があった。

 舞台の子どもは、いつもとは違う姿を見せた。
Aちゃんが、あんな悲しげな表情をする! 
B君が、跳びはねて喜んでみせる! 
CちゃんとD君が手をつないで登場した!
 その1コマ1コマに、心を熱くした。

 そして、1つの劇に心を合わせて、
みんなで演じきった貴重な喜び。
 その全てが、学芸会の魅力だった。

 だから、台本選び、大道具作り、演技指導等々、
そして当日の運営まで、
私は疲れを忘れ、夢中になった。

 学芸会の1か月以上も前から、
帰宅が、いつもに増して遅くなった。
 苦になるどころか、楽しい毎日だった。

 40代になり、管理職の道へ進もうか、迷った。
「教頭になったら、
子ども達と一緒に学芸会ができなくなる。」
 何を隠そう、私にとって新たな道へ踏み出す、
大きなためらいだった。

 それでも、管理職の道を選択した。
だから、担任としての最後の学芸会は、特別なものになった。

 私は、誰もがさけるであろう、
影絵劇にチャレンジすることにした。

 影絵劇は、保護者に不評な出し物だ。
何よりも、演技する我が子の姿が舞台にない。
 どの子も、声優か人形使い、背景投影スタッフなのだ。
保護者は、どんな役でもいいから、舞台に立つ我が子が見たいのだ。

 しかし、私はその願いに背いた。
小学生でも素晴らしい影絵劇ができる。
 そんな想いで、難しい劇に子ども達とチャレンジしたいと、
私は燃えた。

 実は、以前に1度、影絵劇に取り組んだことがあった。
未経験の試行錯誤が、でき映えに悔いを残した。
 最後の学芸会、その反省を生かし、
悔いのないものにしたかった。

 影絵劇『へっこき嫁さ』。
私の提案に、6年生の子ども達は興味と意欲を示してくれた。
 それぞれの役割分担にも、進んで名乗りを上げた。

 ベニア板を電動糸のこで切り抜いてつくる人形作り、
そして、厚紙とセロハン紙で描く山里の背景、スクリーン制作など、
そんな演技前の作業も、ワイワイガヤガヤとにぎやかに、
楽しく取り組んだ。

 その後の、声優と合わせた人形操作、背景転換。
それがスクリーンにどう映っているのか、
半信半疑の練習が続いた。

 次第に熱のこもる私の指導に、
子ども達はしっかりと応じてくれた。
 誰も音を上げなかった。

 そして、いよいよ学芸会の日が来た。
1日目は、児童観賞日だった。
 真っ暗な体育館の舞台に、あざやかな影絵が映し出された。

 ベニア板をくり抜いた愛らし嫁さが、山里を動き回った。
原色と黒のシルエットが、素敵なメルヘンを作った。
 その日、私は子ども達と一緒に舞台にいた。
スクリーンを隔てた裏側で、
それぞれが手順よく動き、演じきった。
 頼もしかった。
幕が下りると、大きな拍手が湧いていた。

 翌2日目、保護者観賞日に、トラブルはおきた。
前日の大成功に、私は安心した。
 全てを子ども達に任せ、
保護者と一緒に劇を見ることにした。

 影絵劇の美しさに、一人胸を張った。
小学生でもこんな素敵なスクリーンを作ることができる。
 子ども達を誉めてもらいたかった。

 劇は、いよいよクライマックスになった。
「へっこき嫁さ」ががまんの限界に達したのだ。
 おならをする場面だ。
その音とともに、すべての背景が黄色に変化していく。
 影絵劇だからできる場面だった。

 今、まさにその音が体育館中になり響く、その時だ。
スクリーンの明かりが消えた。
 突然真っ暗になった。
体育館が、暗闇に包まれた。

 劇が終了してから、私は原因を知ったのだが、
背景を黄色に変えようとした時、誰かの足がコンセントにかかった。
 電源がはずれ、真っ暗闇になった。

 一瞬、舞台上の全員の動きが止まった。
予期しなかった事態に、みんな身を固くした。

 その時、
「コンセントだ。」
「コンセントを差せ。」
  暗闇で、小さな声がとびかった。
 手探りでプラグをさがし、コンセントに差した。

 スクリーンが明るくなった。
同時に、大きなおならの音がした。
 そして、黄色く背景が変わっていった。
  
 みごとな連携プレイだ。
一瞬の暗闇は、演出効果になった。
 その後、劇は最後の盛り上がりと共に幕となった。

 そして、学芸会2日目のプログラムを全て終了し、
私は、子ども達の待つ教室に戻った。
 
 誰の足がコンセントにかかったのか。
「コンセントだ」と言いだしたのは誰か。
そして、誰がプラグを差したのか。

 そんなことより、みんなであの危機を乗り切ったこと、
沢山の賞賛の声と拍手をもらったことを、
みんなは喜び合っていた。
 子ども達は、上気していた。
その時、どの子もとびっきりの笑顔を、私に向けてくれた。
 
  



   秋空に まだ青い柿 
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