当地コートジボワールに来てから、時間に追われ、なかなかやりたいことができないモヤモヤの日々。旧知の友人に会いに行くことも先のばし事項の一つだった。
そんな中、ようやく果たしたのがヴナンス・コナン氏との再会。ンボテブログでもすでに2回ほど登場した友人。
アフリカの友人を訪ねて~コートジボワール'Fraternite Matin紙'編集長
第一話 コートジボワールでの再会
第二話 1年半ぶりの再会
かれはコートジボワール、というよりアフリカのオピニオンリーダー。もともとはドキュメンタリー作家で、いわゆる「選挙後危機」後の2011年から、当地の最有力新聞'フラテルニテ・マタン紙(Fraternité Matin)'の総裁で総編集長を勤めている。
彼とは5年越しのおつきあいをさせていただいているが、いつ訪問してもコートジボワール産の豆で焙煎したエスプレッソと、満面の笑みでンボテを迎えてくれる。
ということで、2016年5月某日、しばらくぶりのフラテルニテ・マタン紙本部にやってきた
(アビジャンのアジャメコミューンいある本部。このカルティエはその名も「フラテルニテ」!)
いつもと変わらない佇まい。
創刊当初、ウフェ・ボワニー大統領がフラテルニテ・マタン創設式に主賓として臨席した。その時の写真が誇らしげに本部棟に飾られる。
(本部建屋入り口)
あれ?前回来た時は創刊第一号の紙面も飾ってあったのに?!なくなってしまったぞ!
(2013年に訪問した時の写真。これがンボテブログのバナーになっている。)
総裁室の待合室でお待ちすること数分、コナン氏は現れた。「おお、友よ!この日を待っていた!赴任おめでとう!!」抱き合い、喜びに咽ぶふたり。
ンボテ「フラテルニテ・マタンも創設50年を超え、ますますプレゼンスが増してきてますね。」
コナン氏「フラテルニテ・マタンは1964年に創設。英語圏はわからないけど、仏語圏で言えばセネガルの'Le Soleil'と並ぶ伝統紙だからね。なにか新しいニュースはあるかね?」
ンボテ「今日は日本から食糧援助を持ってきたよ。」と、同氏が健康のためにと引用していた日本茶をプレゼント。
コナン「いやあ、ありがとう!前回はご馳走になったから、早速来週はこちらがご馳走させてもらうよ。さっそく夕飯でもセットしよう!」
(前回、2015年にはレストランで再会)
ンボテ「そういえばコナンさんの作品、いつも愛読してますよ。中でも例の'Chroniques Afro-sarcastiques - 50 ans d'indépendance, tu parles!'(「アフロシニカルなコラム~独立50周年に話そう!」)は、アフリカを知る短編エッセイ集として、解説付きで日本で翻訳したら面白い思ってたんだけど。」
コナン氏「そうそう、その話してたよね。もし日本語版を出版してくれるなら、こんな喜びはないよ。いや、実は自分としては、小説'Catapilar, Chef de village'(「キャタピラと村の首長」)の方がいいと思うけど。」
ンボテ「その本は読もう読もうと思って目にしてこれなかったもの。ぜひ読ませてもらいますね!」
コナン氏「いや、さっそく謹呈だよ。」
ンボテ「コナンさん、前回の写真がスマホに残ってますよ。」
コナン「あ、本当だ。それなら同じ場所で写真に納まらないと。」ということで、総裁室でパチリ!
(ちなみに2013年の写真)
ンボテ「太ったかな。」
コナン「老けたかな。」
あれから3年経っているしね。
そしてンボテはフラテルニテ・マタンが特別に用意してくれるというインタビューでの再会を約束して、事務所のあるおとなりコミューンに帰っていくンボテであった。
(おわり)
そんな中、ようやく果たしたのがヴナンス・コナン氏との再会。ンボテブログでもすでに2回ほど登場した友人。
アフリカの友人を訪ねて~コートジボワール'Fraternite Matin紙'編集長
第一話 コートジボワールでの再会
第二話 1年半ぶりの再会
かれはコートジボワール、というよりアフリカのオピニオンリーダー。もともとはドキュメンタリー作家で、いわゆる「選挙後危機」後の2011年から、当地の最有力新聞'フラテルニテ・マタン紙(Fraternité Matin)'の総裁で総編集長を勤めている。
彼とは5年越しのおつきあいをさせていただいているが、いつ訪問してもコートジボワール産の豆で焙煎したエスプレッソと、満面の笑みでンボテを迎えてくれる。
ということで、2016年5月某日、しばらくぶりのフラテルニテ・マタン紙本部にやってきた
(アビジャンのアジャメコミューンいある本部。このカルティエはその名も「フラテルニテ」!)
いつもと変わらない佇まい。
創刊当初、ウフェ・ボワニー大統領がフラテルニテ・マタン創設式に主賓として臨席した。その時の写真が誇らしげに本部棟に飾られる。
(本部建屋入り口)
あれ?前回来た時は創刊第一号の紙面も飾ってあったのに?!なくなってしまったぞ!
(2013年に訪問した時の写真。これがンボテブログのバナーになっている。)
総裁室の待合室でお待ちすること数分、コナン氏は現れた。「おお、友よ!この日を待っていた!赴任おめでとう!!」抱き合い、喜びに咽ぶふたり。
ンボテ「フラテルニテ・マタンも創設50年を超え、ますますプレゼンスが増してきてますね。」
コナン氏「フラテルニテ・マタンは1964年に創設。英語圏はわからないけど、仏語圏で言えばセネガルの'Le Soleil'と並ぶ伝統紙だからね。なにか新しいニュースはあるかね?」
ンボテ「今日は日本から食糧援助を持ってきたよ。」と、同氏が健康のためにと引用していた日本茶をプレゼント。
コナン「いやあ、ありがとう!前回はご馳走になったから、早速来週はこちらがご馳走させてもらうよ。さっそく夕飯でもセットしよう!」
(前回、2015年にはレストランで再会)
ンボテ「そういえばコナンさんの作品、いつも愛読してますよ。中でも例の'Chroniques Afro-sarcastiques - 50 ans d'indépendance, tu parles!'(「アフロシニカルなコラム~独立50周年に話そう!」)は、アフリカを知る短編エッセイ集として、解説付きで日本で翻訳したら面白い思ってたんだけど。」
コナン氏「そうそう、その話してたよね。もし日本語版を出版してくれるなら、こんな喜びはないよ。いや、実は自分としては、小説'Catapilar, Chef de village'(「キャタピラと村の首長」)の方がいいと思うけど。」
ンボテ「その本は読もう読もうと思って目にしてこれなかったもの。ぜひ読ませてもらいますね!」
コナン氏「いや、さっそく謹呈だよ。」
ンボテ「コナンさん、前回の写真がスマホに残ってますよ。」
コナン「あ、本当だ。それなら同じ場所で写真に納まらないと。」ということで、総裁室でパチリ!
(ちなみに2013年の写真)
ンボテ「太ったかな。」
コナン「老けたかな。」
あれから3年経っているしね。
そしてンボテはフラテルニテ・マタンが特別に用意してくれるというインタビューでの再会を約束して、事務所のあるおとなりコミューンに帰っていくンボテであった。
(おわり)