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その後のエボラ危機〜エボラを生き抜いたある医師の手記

2017-03-21 14:30:19 | アフリカ情勢
2014年から16年頃まで、西アフリカで猛威を振るったエボラ危機。ンボテもこの問題にリアルタイムに携わってきた。

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しかし、いつしか国際社会の話題から消え去ってしまった。

そんな中、3月16日のJeune Afrique誌は、現場のリアルを伝える、ある人の手記を掲載している。

エボラサバイバーの手記「わたしは神の特赦を受けた」(Paroles de survivants d’Ebola : « Dieu m’a donné une immunité extraordinaire »)


この手記の主は外科医のママドゥ・ウリー・ディアロさん。エボラに感染しつつ、克服して生き延びた、いわゆる「エボラザハイバー」だ。かつてはエボラ患者が運び込まれる臨床の現場で勤務した。しかしその後、エボラを患い、隔離病棟へ。その後幸運にも回復したが、病棟勤務に戻ることはできなかった。

内容をご紹介してみたい。

私はコナクリの中心街、カルーム地区(※ンボテ注: コナクリの行政・経済の中心地)にある国立病院で治療中に感染した。2015年3月5日だった。感染源は、エボラ治療センターでのスクリーニングがされていなかった患者からだった。残念ながらその患者はその後、息を引き取った。

私は幸いにも早期に治療を受けることができた。仏軍の医療従事者向けの特別治療展開部隊(CTS)が助けてくれた。

(仏軍のエボラ従事者治療センター、2015年年3月、ンボテ撮影)


そこには、生きることに希望を失ってはいけないと、励ましてくれる心療内科医もいた。そしてたくさんの医薬品がテストされた。ファビピラビル錠(※ンボテ注: 日本の薬品メーカーの開発した製薬が、当時エボラに有効であると考えられており、フランスの医療研究機関を通じ提供されていた。)もその一つ。まるでモルモットのように。

私はその時に思った。神が無慈悲の恩赦を差し伸べてくれていると。私は気を強く持った。ひとたび回復したのちは、もう再び病に舞い戻ることはなかった。そして身の回りに起こるであろう、どんな差別や不合理にも動じない強さを持ち得たと思う。

私は3歳の女の子の父親でもある。しかし妻は私をかまってくれなかった。なんとも説明がつかないのだが、妻との関係はどこかギクシャクした。

そんな中で、本当にサポートしてくれたのは両親や親戚だったと思う。私自身はコミュニティから追放されることはなかった。多くの人は、私がエボラポジティブ出会ったことを知らないのだから。家族は私に昼夜寄り添ってくれた。隔離されている時でも、いつでもひっきりなしに電話をかけてくれたし、食べ物もいつでも差し入れてくれた。

(コナクリの郊外にあるコヤ・エボラ治療センター。テントの中でエボラ感染者が治療を受けている、2015年年3月、ンボテ撮影)


世間の私を見る目は、偏見に満ちていた。しかし本質的なことは私がまだ生きているということだった。

その後私はいいえのない差別的待遇に見舞われることとなった。職場こそが最悪の場で、しまいには病棟の勤務を追いやられることになった。かつての同僚たちは自分が横をすれ違うことを禁じた。近寄ったり、触れたりすることさえイヤがられた。つまり、事実上存在が排除されたのだった。

私の味方になってくれたのは唯一、上司だけだった。しかし同僚たちとの関係はいかんともし難く、この差別のために、外科医として勤務することは、もはや無理となってしまった。

そんな彼らの態度が理解できるようになったのは、社会心理学のコースを勉強してからだった。この研修コースこそ、彼らが受けるべきだと思った。

私は出身地区ではちょっとした有力者だった。病院から追い出されたのちは、身銭を切って地域の活動に励むこととした。そして今では、ギニアエボラサバイバー国家ネットワーク(Réseau national des survivants d’Ebola en Guinée)の事務局長を務めている。そして、神は二つのクリニックの医師のポストを与えてくれた。

私は自分の責任で、自分の仕事を黙々とやっていくだけだ。もう社会から排除されることはないし、もう誰も私のことを変に語ったりしない。私のサービスや患者さんとのお付き合い、コミュニティへの姿勢などから、それなりの地位を得るに至っている。私を苦しめたのは、かつての忌々しい職場だった。(引用おわり)



リアルな現実を生き抜くエボラサバイバー。地位ある彼は一つのサクセスストーリーだが、ダウンタウンのコミュニティや地方の村落部では、生活手段を持たないサバイバーが、社会から排除され続けている現実もしばしば報じられる。

ウィルス蔓延の危機が去ってから2年。どこか記憶の彼方に行ってしまいそうなエボラ危機。しかしまだまだ社会のサポートと理解を求めている人々がいるのが現実だ。

(おわり)
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