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撤退完了!国連コートジボワールミッション〜内戦は終わったのか?

2017-07-01 09:00:17 | アフリカ情勢
昨日6月30日は、わが愛するコンゴ民主共和国の独立記念日であるとともに、もう一つ大切な記念日であった。

それは、これまたわが愛する、当地コートジボワールのお話。

2017年6月30日、13年に渡り当地に展開してきた国連コートジボワールミッション(ONUCI)が完全撤退となった。

この日、ONUCI総司令部が置かれてきた旧セブロコ・ホテルで、アーメド・バガヨコ内務大臣、アイシャトゥ・ミンダウドゥ国連事務総長特別代表が見守る中、国連旗降下式が行われた。

(abidjanet.comより)


バガヨコ大臣は、降旗式の演説でこう述べた
「ミッションは完遂された。そして我が国は平和を取り戻したのだ。」


これに対し、ミンダウドゥ特別代表。
「きょう、ONUCIのミッションは完了を迎えた。この困難な任務は、コートジボワール政府と、平和を希求するコートジボワール国民の協力なくして、成し遂げられることはなかった。」


権力闘争、政変、内戦、南北分断、和平プロセス、選挙と選挙後危機・・・90年代後半から、この国では混乱と紛争が続いた。危機真っ盛りの2004年、この国に展開したのがONUCIだ。内戦の仲裁を果たし、南北勢力の緩衝地帯を設け、和平合意を見守り、選挙実施を支えた。時には政府の親衛部隊から敵対行動を受け、時には強制マンデートに基づき実力を行使した。最大時には1万人規模を超える部隊が展開。この国の紛争を知る人からすれば、ONUCIの存在はあまりに大きかった。


他方、コートジボワール政府にとっては待ち望んだ撤退であった。国連の平和維持ミッションを受け入れるということは、主権国家として統治機能を果たすことができないということ、そしてその一部を国際社会が肩代わりするということを意味するからだ。

コートジボワールは2011年4月に、内戦が「軍事的に」収束。復興と成長のステージに移行し、V字回復で飛躍してきた。カカオやカシューなどの豊かなの農産品や天然ガス開発などを起爆剤として、年率8-9%の成長を遂げてきた。

しかしいくら投資家にこの国の魅力を訴えたとして、白い装甲車が走り抜ける現実は覆し難い。コートジボワールは2016年4月まで、国連による武器等輸出禁止措置の対象国でもあった。

国連PKOの撤退は、内外にこの国が正常化を果たし、平和で、独立して統治可能な国であることを名実ともに示すことになるのだ。


しかし、事態はそんなに楽天的ではなかった。昨年、安全保障理事会は一年後の2017年6月30日にONUCIマンデートの終了と撤退を決議した。その直後の7月、電力料金請求をめぐるデモが全国に飛び火し、内戦の影響がいまだ色濃く残る北部のブアケでは、行政関連庁舎などが無残なまでの破壊、略奪を受ける事態を迎えた。

2017年1月には、全国で兵士の騒乱が発生。騒然とした中で、政府は内戦時の旧戦闘員出自の兵士に1,200万FCFAの支払いを飲まざるをえない状況に陥った。そして5月にはアビジャンを含む各地で兵士による騒擾が再発した。この国の安全と統治は大丈夫か。外国人コミュニティではそんな不安が渦巻いた。


社会秩序が再び揺らぐ中で進むONUCI撤退。すでに2017年2月にはほとんどの軍、文民警察などは撤退を完了していた。あとはコートジボワール政府が、この国の統治を、自立して、しっかり対応するしかないのだ。


・・・と言いたいところであるが、この国にはもう一つの後ろ盾がある。それは、もちろん仏軍の存在である。当地には、内戦時にはリコルヌの作戦名で呼ばれた第43歩兵・海兵大隊(43è BIMa)が駐屯している。実は2016年4月、西アフリカ正面の作戦能力強化のため、一年をめどに、580名の部隊を900名規模に増強することが決定された。兵士騒乱後の2017年2月にも仏軍増派が行われている。先行き不安か再出しつつある現在のコートジボワール情勢の中、あたかもONUCI撤退と引き換えの措置のように見えなくもない。


ONUCIミッションの完了は、コートジボワールの戦後が終わったことを意味するのだろうか。それを断定するには、まだまだ時間が必要なようだ。

(おわり)
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