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コンゴ民主共和国独立記念日2017〜薄幸の57年史

2017-06-30 14:00:08 | アフリカ情勢
きょうはコンゴ民主共和国の第57回目の独立記念日である。コンゴの関係諸氏に本来なら祝意を言うべき日ながら、果たしてコンゴの現状は建国を祝う状況にあるのだろうか。そんな話を毎年この日に綴っている。

(Lokoleyacongo.comより)


アフリカで唯一、時差のある巨大な国。半世紀余の独立、和平プロセス終結から10年。首都キンシャサでは復興と開発が進み、経済が動く。しかし大統領任期問題で政局は混迷し、東部では紛争が継続。貧困やガバナンスの問題も山積し、とてもよくなっているとは言いにくい現状にある。


搾取と抑圧のベルギーから独立を勝ち取った1960年6月30日。喜びと希望に溢れた良き日。しかしその日々は一週間と続かなかった。

兵士の反乱、独立の英雄パトリス・ルムンバ首相の拘束と惨殺。資源に溢れるカタンガ州にはベルギーが介入し、モイーズ・チョンべが分離独立を宣言。コンゴ動乱は国連PKOが初の辛酸を嘗め、ハマーショルド事務総長の事故死を残した。

1965年、モブツのクーデターにより独裁の32年が始まる。このアフリカ型社会主義体制を裏で支えたのは、表で「自由と民主主義」を標榜するアメリカだった。国名はザイールとなり、経済のザイール化(zairianisation)と文化のザイール化(authenticité)が進む。同族経営と地縁・血縁優遇、さらには汚職にまみれた政権は重債務を抱え、経済は破綻した。


90年代、冷戦が終わると、国際社会はアフリカに民主化と複数政党化を迫った。モブツ体制も急速にほころびを見せ、91年の大暴動は決定的に同国の治安と安定を悪化させた。外国人のほとんどがこの国を後にした。

94年には隣国のルワンダで大虐殺が発生。仏、旧宗主国ベルギーに支えられたフツのハビャリマナ大統領が暗殺され、英米が後ろ盾したツチのポール・カガメが実権を掌握するようになる。

96年にはローラン・デジレ・カビラがキンシャサに入城、モブツはモロッコに亡命し、独裁の歴史に幕を閉じた(第一次コンゴ紛争)。しかしこの背後にはルワンダとウガンダが介入し、さらにその裏では英米が暗躍した。この国は再び大国の介入にさらされる。

97年にはルワンダとウガンダがコンゴに介入、ローラン・カビラはアンゴラやナミビアなどに援軍を要請。コンゴは、大国と9つのアフリカの国の介入を受け、全土が紛争状態となる(第二次コンゴ紛争)。2001年にはローラン・カビラは暗殺され、息子のジョセフ・カビラが世襲した。

このころ国名を再びコンゴに戻すが、「民主共和国」の名も虚しく、統治不能となった新生コンゴには国連平和維持軍(MONUC、のちMONUSCO)が展開し、累次にわたる和平プロセスが重ねられた。

散発的な戦闘も絶えない中、2006年には大統領選挙を実施。ジョセフ・カビラは、西部で広く支持されたジャン・ピエール・ベンバ候補を破り、大統領に正式に就任した。選挙後の2007年3月には首都キンシャサで大規模な市街戦となり、ベンバは亡命する。のちにベンバは、隣国の中央アフリカへの介入の際の蛮行に対する科で、国際刑事裁判所より訴追を受ける。

当時の国民一人当たりのGDPはわずか180ドル。人間開発指数などを含め、世界最低のランクに位置付けられた。このころンボテはカバン一つでキンシャサに降り立った。

西部では復興の機運が高まるが、東部では武装勢力による内戦状態と、深刻な人道危機が継続、拡大した。特に北キブ州ではCNDP、のちM23などの武装勢力が蛮行を繰り返し、豊かな資源と農牧地を有する実効支配したが、これは隣国ルワンダ、ポール・カガメ大統領による傀儡勢力である。土地がなく、資源に乏しいルワンダが生きるためにはコンゴの土地と資源が必要と考えられてきた。かつてのルワンダの大虐殺に関与したフツ族勢力の残存は、コンゴ介入の口実を与えた。コンゴの東部の危機は、ルワンダの問題なのだ。そしてカビラとカガメは姻戚関係にあり、この紛争の利益を共有しているとも言われる。


2011年の再選を経て、2016年に憲法上の大統領任期を迎えたカビラ大統領。しかし現政権勢力はあらゆる手で任期延長や、選挙実施の遅滞行動に出てきた。そして12月に憲法上に任期を終了し、国際社会はカビラ大統領の退場と早期の選挙実施を迫る。隣国のルワンダではカガメ大統領の三選を認める憲法改正が行われ、国際社会がこれを容認したのと対照的である。

時折しも、永遠の野党リーダーとされたエチエン・チセケディが2017年1月に逝去した。そして至近の出来事では、中部のカサイで新たな人道危機が発生、進行している。コンゴの混迷は一段と深まっている。


コンゴの国歌にはこんなフレーズがある。
'Nous bâtirons un pays plus beau qu'avant dansa la paix'
われわれの手で、かつてよりももっと美しい国を打ち立てていこうではないか、平和の中で。


そして独立の英雄、初代首相のパトリス・ルムンバはこんな言葉を残している。

'L'histoire dira un jour son mot, mais ce ne sera pas l'histoire qu'on enseignera à Bruxelles, Washington, Paris ou aux Nations Unies, mais celle qu'on enseignera dans les pays affranchi du colonialisme et de ses fantoches.'
歴史はいつか語るであろう。しかしそれはブリュッセルやワシントン、パリ、はたまた国連で教えられる歴史ではない。植民地主義や傀儡から解放された国で綴られる歴史である。



歴史はいつ、コンゴ人によって綴られていくのだろうか。真の平和の中で。祖国を思うコンゴ人にとって、6月30日は喜びに溢れた記念日とは程遠い現実がある。

(つづく)
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