新美南吉の作品をロシア語・ベラルーシ語に翻訳したのは世界初なのですか? とよくきかれます。
ベラルーシ語訳は今回が史上初めてですが、ロシア語の場合、1999年に故三浦みどりさんが「手袋を買いに」を翻訳されています。(ロシアの出版社の雑誌「今日の日本」1999年5月号に掲載されました。)
なので、日本文化情報センターは2人目ということになります。そのため、「手袋の買いに」は今回の翻訳プロジェクトの対象外にしていました。
ところが、三浦さんが訳した「手袋を買いに」をベラルーシ人に読んでもらったところ、
「あまりいい翻訳ではない。」
という評価でした。
外国語→母国語の翻訳は簡単なのですが、母国語→外国語の翻訳は難しいです。
おそらく普通のロシア語ではありえない言い回しになっている部分があるのだろうと思います。
他にも読み返してみて、三浦さんが省略してしまった箇所がかなりあることに気がつきました。例えば作品の最初のほう、雪で遊んでいた子狐が母狐のところへ戻ってきてからのシーンです。
・・・・・・・・・・・・・・
母さん狐は、その手に、は――っと息をふっかけて、ぬくとい母さんの手でやんわり包んでやりながら、
「もうすぐ暖くなるよ、雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」といいましたが、かあいい坊やの手に霜焼しもやけができてはかわいそうだから、夜になったら、町まで行って、坊ぼうやのお手々にあうような毛糸の手袋を買ってやろうと思いました。
・・・・・・・・・・・・・・
この「雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」の意味が日本語で読んでも私は分かりませんでした。
三浦みどりさんの翻訳でもこの箇所は訳されておらず、「もうすぐ暖くなるよ。」だけを翻訳しています。また英語訳でも「(両手が)もうすぐ暖くなるよ」と訳されているそうです。 どちらも「雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」の意味が分からず、省略してしまったのだと思います
このようなことがあり、日本文化情報センターは「手袋を買いに」のロシア語訳も独自に始めることにしました。他にも三浦さんが省略してしまった箇所なども、翻訳して、できるだけ原作の形に近づけることにしました。
でもどうしても上記の一箇所「雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」が翻訳できず、困っていました。
この作品に関しては翻訳作業をしている人が日本語の読み書きができるベラルーシ人(ニコライさん)です。この人から、
「この箇所の意味が分からない。雪をさわると手は冷たくなるのが当然なのに、どうやって訳したらいいのか?」
と質問され、私も返事ができませんでした。
解釈として
「雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ→雪を触って(手が冷たくなったとして)も、すぐ暖かくなる」
・・・という説もあるようなのですが、そうだとしたら、どうして南吉さんは最初から 「もうすぐ暖くなるよ、雪をさわっても、すぐ暖くなるもんだよ」にしなかったのでしょうか?
この作品は作者の思い入れが強く、何度か書き直されています。推敲段階で「雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」の部分を何度も読んでいたはずなのに、そのまま残している、ということは何らかの作者の意図があったと思われるのですが・・・。
もしかするとこの点に関して専門家の間ですでに議論されているのかもしれません。
しかし、ベラルーシで1人悶々と考えていた私にはどうしても分からなかったので、新美南吉記念館に質問しました。そのお返事によると・・・
「雪を触って芯から冷え切った手は、ちょっと寒くて冷えた手とは違い、息をふきかけたり手で包んでやって暖かくすると、実際に以上にジンジンと温かくと言いますか熱く感じるものだと思いますが、いかがでしょうか。」
・・・でした。そうか! そうだったのか! すごくよく分かりました。
しかし、この説明をそのままロシア語に翻訳するのも長すぎておかしいので、また翻訳者さんとしばらく考え込んでしまいましたが、何とか短く訳しました。 やれやれ。
このような事情により、「手袋を買いに」のロシア語訳は三浦みどりさんバージョンと日本文化情報センターバージョンと2種類生まれました。
翻訳作業中、三浦さんにいろいろ教えてもらいたかったです。三浦さんは新美南吉の作品が大好きだったと伺っていましたので、「手袋を買いに」1作品だけではなく、数作品(現時点で5作品)をロシア語とベラルーシ語に翻訳したのを、褒めてもらえるかもしれません。
ベラルーシ語訳は今回が史上初めてですが、ロシア語の場合、1999年に故三浦みどりさんが「手袋を買いに」を翻訳されています。(ロシアの出版社の雑誌「今日の日本」1999年5月号に掲載されました。)
なので、日本文化情報センターは2人目ということになります。そのため、「手袋の買いに」は今回の翻訳プロジェクトの対象外にしていました。
ところが、三浦さんが訳した「手袋を買いに」をベラルーシ人に読んでもらったところ、
「あまりいい翻訳ではない。」
という評価でした。
外国語→母国語の翻訳は簡単なのですが、母国語→外国語の翻訳は難しいです。
おそらく普通のロシア語ではありえない言い回しになっている部分があるのだろうと思います。
他にも読み返してみて、三浦さんが省略してしまった箇所がかなりあることに気がつきました。例えば作品の最初のほう、雪で遊んでいた子狐が母狐のところへ戻ってきてからのシーンです。
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母さん狐は、その手に、は――っと息をふっかけて、ぬくとい母さんの手でやんわり包んでやりながら、
「もうすぐ暖くなるよ、雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」といいましたが、かあいい坊やの手に霜焼しもやけができてはかわいそうだから、夜になったら、町まで行って、坊ぼうやのお手々にあうような毛糸の手袋を買ってやろうと思いました。
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この「雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」の意味が日本語で読んでも私は分かりませんでした。
三浦みどりさんの翻訳でもこの箇所は訳されておらず、「もうすぐ暖くなるよ。」だけを翻訳しています。また英語訳でも「(両手が)もうすぐ暖くなるよ」と訳されているそうです。 どちらも「雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」の意味が分からず、省略してしまったのだと思います
このようなことがあり、日本文化情報センターは「手袋を買いに」のロシア語訳も独自に始めることにしました。他にも三浦さんが省略してしまった箇所なども、翻訳して、できるだけ原作の形に近づけることにしました。
でもどうしても上記の一箇所「雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」が翻訳できず、困っていました。
この作品に関しては翻訳作業をしている人が日本語の読み書きができるベラルーシ人(ニコライさん)です。この人から、
「この箇所の意味が分からない。雪をさわると手は冷たくなるのが当然なのに、どうやって訳したらいいのか?」
と質問され、私も返事ができませんでした。
解釈として
「雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ→雪を触って(手が冷たくなったとして)も、すぐ暖かくなる」
・・・という説もあるようなのですが、そうだとしたら、どうして南吉さんは最初から 「もうすぐ暖くなるよ、雪をさわっても、すぐ暖くなるもんだよ」にしなかったのでしょうか?
この作品は作者の思い入れが強く、何度か書き直されています。推敲段階で「雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」の部分を何度も読んでいたはずなのに、そのまま残している、ということは何らかの作者の意図があったと思われるのですが・・・。
もしかするとこの点に関して専門家の間ですでに議論されているのかもしれません。
しかし、ベラルーシで1人悶々と考えていた私にはどうしても分からなかったので、新美南吉記念館に質問しました。そのお返事によると・・・
「雪を触って芯から冷え切った手は、ちょっと寒くて冷えた手とは違い、息をふきかけたり手で包んでやって暖かくすると、実際に以上にジンジンと温かくと言いますか熱く感じるものだと思いますが、いかがでしょうか。」
・・・でした。そうか! そうだったのか! すごくよく分かりました。
しかし、この説明をそのままロシア語に翻訳するのも長すぎておかしいので、また翻訳者さんとしばらく考え込んでしまいましたが、何とか短く訳しました。 やれやれ。
このような事情により、「手袋を買いに」のロシア語訳は三浦みどりさんバージョンと日本文化情報センターバージョンと2種類生まれました。
翻訳作業中、三浦さんにいろいろ教えてもらいたかったです。三浦さんは新美南吉の作品が大好きだったと伺っていましたので、「手袋を買いに」1作品だけではなく、数作品(現時点で5作品)をロシア語とベラルーシ語に翻訳したのを、褒めてもらえるかもしれません。