雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

061008 日々歌う

2006-10-08 01:05:13 | 日々歌ふ

―快著・中島岳志『中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)に寄せて

<ボース>の名幼き日より聞き知れば実像知りて想ひ乱るる

中学の一年下の<ナイルくん> きみボースの友の息子なりしか

<敵の敵は味方なり>と革命家ボースのつひにナチスを賛美す

革命の熱き夢見のかなしかれボースが夢の悪夢に終はる

意図や良しインド・アジアの解放の 選びし手段そを裏切りぬ
(手段=てだて)

暴力を必要悪と肯へばボースは呼びぬガンディ古しと

悪夢より醒めてこのかた忘れ去る共に夢見しボースを吾らは

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 061007 日々歌う | トップ | 061009 日々歌う »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
金木犀の香りががせつなさを・・・ (sakuraasako)
2006-10-08 15:35:51
< 悪夢より醒めてこのかた忘れ去る共に夢見しボースを吾らは >

再び悪夢の予感があるからでしょうか・・・?

ボースの見た<夢>を、ボースの選択した<手段>を、

この手に触れられるほどの近さに感じています。



アメリカのアーミッシュの学校で起きた女生徒射殺事件。地域の人々は事件の夜から加害者家族宅を訪れ許しを表明し手を差し伸べていると新聞で読みました。

同じ新聞の他ページには北朝鮮の核実験に関する続報及びコメントが。

せつない歴史のくりかえし・・・。

今日はこんなに気持ちの良い秋の一日なのに、自分が「人」であり、「生きていること」が、ちょっと辛くなりました。
忘却のツケが… (髭彦)
2006-10-09 00:13:28
ボースにもインドにも、アジアの民と文化に何の関心・共感・尊敬もない連中が、あの戦争は<大東亜解放>の正義の戦争だったなどと扇動し、かなりの若者がそれに共鳴し始めているのが現実です。

ボースもまきこまれた近代日本の<アジア主義>イデオロギーと正面から格闘せず、それをただ忘却してきたツケが回ってきたともいえるかもしれませんね。

いっさいの自惚れと特権、指導者意識、無関心を捨てて、アジアの民と文化と対等につき合うことなしに、<大東亜戦争>を肯定することほど危険なことはありません。

同時に、それなしに<大東亜戦争>を否定するだけでは、もはや説得力もありません。
説得力のある戦争否定 (sakuraasako)
2006-10-09 01:08:27
> 同時に、それなしに<大東亜戦争>を否定するだけでは、

もはや説得力もありません。



そう思います。

そしてまた、アノ時代、アノ戦争が何だったのかをしっかり頭と心に叩き込んでいないうちは、どんなに戦争を否定しても説得力などあるはずがない。

しっかり根がはっていない戦争否定は、何かのはずみでひょいと覆ってしまうに違いない。最近そんな気がしてきたのです。
<殺戮>と<破壊>を手段として… (髭彦)
2006-10-09 11:43:39
何万、何十万、何百万、まして何千万の人間を殺し(合い)、すべてを破壊する(し合う)に足る<理想><大義>など、そして<利害>すら、実はありえないのです。

そんなものは過去にもなかったし、これからも絶対にないのです。

にもかかわらず、ひとは<戦争>と<革命>の季節がやってくると、そうしたものがあたかも実際にあるかのごとく、信じ、妄想し、狂ってきたのでした。



ボースにとっての<インド独立><アジア解放>も、日本人にとっての<大東亜戦争><大東亜の解放>も、結局はそうした<理想><大義><利害>に過ぎなかったのです。



自分たちの<理想><大義><利害>に対する<敵>を見つけ出し、<敵>を憎み、同調しないものをも憎み(=<味方でないものは敵だ!>)、同調してくれるものとはどんな醜い存在とも手を組み(=<敵の敵は味方だ!>)そして<敵は殺せ!>と突進し、自らも破滅していく…。



フランス革命、ロシア革命、しかり…。



第一に、<殺戮>と<破壊>を手段として肯定する<理想><大義><利害>などを、二度と信じぬこと。

第二に、自ら掲げた<理想><大義><利害>をただ忘れ、投げ捨てるのではなく、それを<殺戮>と<破壊>を手段としないものに鍛えなおすこと。



戦後日本の<平和主義>は第一の平和主義でしたが、それが今大きく揺らぎ始めました。

しかし、その平和主義も実は、沖縄を犠牲にし、アメリカの<殺戮>と<破壊>に協力し、他方では<社会主義>ソ連・中国・北朝鮮などの<殺戮>と<破壊>を見逃し、場合によっては弁護する、重大な欠陥を持ち続けた平和主義だったのです。

それが皮肉にも、いま日本の平和主義を全面的に揺らがせる直接の原因となっています。



そして、第二の立場の努力を怠ったことが思想的な弱点となって追い討ちをかけ、過去の悪夢となった<理想><大義><利害>を丸ごと、あたかも美しく、正しいものであったかのように信じる若者と馬鹿者を、また大量に生み出し始めているのでしょう…。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日々歌ふ」カテゴリの最新記事