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紅葉を愛でし心の今になほ古都に満ちみち吾ら浸たしぬ
黒谷は真如が御堂の錦繍に魂の震へり朝な夕なに
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祇園なる白川沿ひに「琢磨」とふ割烹ありて美味し夕餉の
「伏見」とふ破天荒なる居酒屋に満たさりけりな古都三条で
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―<「李政美コンサートin大田vol.3 ~そのままで大丈夫~」(12/3、大田区民プラザ小ホール)を聴きて>
ステージに現はるる女(ひと)の堂々と丈高くして声量あふる
澄み切りし声に勁さを李政美(イ・ヂョンミ)の加へをりけり久々聴けば
カセットで金敏基(キム・ミンギ)をば李政美の四半世紀前歌ふを聴きぬ
南葛を済州(チェジュ)と同じき故郷と李政美歌ふ白衣纏ひて
万感の思ひこめけむ自らの歌詞で歌ひし臨津江(イムジンガン)に
在日の歴史背負へどそれを超えアリラン歌ひイマジン歌ふ
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―<六十年前の十二月五日未明に三十六歳で逝きし父を想ひて>
六歳のけふの未明に父逝きて暦の還る時流れけり
汝が親の年齢(とし)にぞ吾のなりにける汝三十路の末子にあれば
焼け残る借家の二階で父逝くは戦終はりてわづか五年か
彼の年に隣国襲ふ戦争の今にふたたび始まらむとす
百歳や九十五歳で父逝くと報せる葉書日々に届きぬ
もし父の長く生きなば吾もまた喪中葉書を今し書くらむ
*
狂乱の喧騒ひとつ離(か)れゆけば川面きらめき紅葉光りぬ
一日に百人ほどしか入れ呉れぬ寺の静もり庭の静もる
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業平が寺の紅葉も住職の袈裟も色濃く朱に染まりけり
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黄昏の京を流るる清流を独り楽しむ四条河原で
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終戦の日付は知れど開戦のそれを知らざり若き世代は
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―<京の町で「上村松園展」と「アボリジニ絵画展」に遭遇して>
松園とアボリジニーの絵画をも狩りて至福の京の晩秋
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―<「ケルティック・クリスマス2010」 (12/11、すみだトリフォニーホール )を聴きて>
墨田なるホールに在るを忘れけり時空を越えしケルトの楽に
ジャンル超え音楽しみて集ひ来ぬ六十路前後の男女六人
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パソコンに向へばすぐに愛猫も世界知らむとタワーに昇る
愛猫の座る姿になるほどと納得しけり猫背といふを
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欅樹の黄金に光る残り葉の風に揺るるもかなしかりけり
飯桐の赤くも赤く稔る実の蒼空埋めぬたわわたわわに
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この夏の酷熱吉と出でにける紅葉惜しみつ冬を迎へむ
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採る者も盗む児も失せ美しく柿の熟れゐぬ空に虚しく
留まるも渡るもともに群れ泳ぎ水辺に冬の来りけるかも
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妻編めるリースかなしも吾(あ)拾ひしヘクソカヅラとイヒギリの実の
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鳥影の黒く浮かびし池の面(も)を黄金に染めて冬陽落ちゆく
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川中の宵闇に立ち荒川の大橋望みもの思ひけり
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年の瀬の迫る感じの年々に失せてゆきけり良くも悪くも
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くれなゐの日々に深まり吾摘みし野の瓜光る玉のごとくに
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紅葉狩る古都の街にて古伊万里の湯呑に出会ひ求め来りぬ
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離宮をば日々に巨影の呑みこまむ高層ビルのぐるり囲めば
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陽だまりに<かほり>の花を置き観れば何ごとならむと猫のより来る
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―<「N響アワー」(12/26)で、第16回ショパン・コンクールで優勝したユリアンナ・アヴデーエワの演奏を聴きて>
一音を聴きて震へぬ吾が魂のショパン弾きけるアヴデーエワに
目も耳も釘づけとなりショパン弾くアヴデーエワに魂を奪はる
指揮為せるデュトワと息を合はせ弾き見事なりけりアヴデーエワの
天才だ大物だとて興奮し名をば留めぬアヴデーエワの
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愛猫の幸せなるや吾になどつかず離れず寄り添ひ生きて
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―<閉館の決まった恵比寿ガーデンシネマで、ウディ・アレンの「人生万歳!」を観て>
本人の現れざるもよかりけり「人生万歳!」ウディ・アレンの
アメリカの無知と俗とを自虐してをかしかなしきウディ・アレンの
思ひ出のガーデンシネマの消えゆくは悲しからずや三越残り
*
ゆるゆると料理の腕も上がりゐむ日々に何かと厨に立てば
吾妹書くレシピも見ずにわれ作るミートソースのパスタうましも
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束の間の夢にありけむ繁栄の<無縁><弧族>の記事のあふれて
卒業の間近な暮れを職いまだ決まらず送る学生あまた
氷河期を超えていづこに向ふらむ未来を摘みてこの列島の
夢・希望死語となりゆく列島を余所に政治の混迷深む
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西風よ嶺の高きにヒマラヤを避けて恵むや吾らに慈雨を
熱々の田舎蕎麦をばすすり食み年の瀬渡る幸のありたり
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愛猫の粗相で暮るる年の瀬よバカったレオよおしっこたレオよ
前庭に餅つく声の響きけりマンションなれど人つながりて