長内那由多のMovie Note

映画レビュー、俳優論など映画のことを中心としたブログ

「アメリカン・スリープオーバー」

2016-09-19 | 映画レビュー(あ行)



“Sleepover”というのは“お泊り会”という意味だが、日本のそれとはちょっと違うようだ。夜にはピザを持ち寄り、朝にはその家々でパンケーキ等の軽食が出される。そしてこの“Sleepover”は卒業を間近にしたお別れ会として、または入学を前にしたオリエンテーションとして行われるという。

何でもないように思えた夜が深まるにつれ、夜明けと共に人生の何かが終ってしまうと錯覚した事がある人なら、この映画は永遠に続く思春期として心に残るだろう。脈絡なく綴られる若者たちの狂騒は往年の「アメリカン・グラフティ」を彷彿とさせる。思えば0年代以後、時代を代表する青春映画はついぞなかったのではないだろうか。女の子を求めてただ夜を練り歩いた人も、好きだと言えずにもどかしい夜を過ごした人も、この映画の夜が明けていくという体感時間、皮膚感覚に決して戻ってはこないあの季節を思い出すハズだ。

まだ高校一年生くらいの登場人物たちは皆、セックスの期待を抱きながらSleepoverの一夜を過ごすが、幼さが手伝ったのか誰ひとり一線を越える事なく終わる。映画の中で永遠に保たれる“子供時代”。しかし、彼らの住むデトロイトの住宅街から一歩8マイルを越えればそこにゴーストタウンが拡がっているように、一度セックスをする事で愛を知れば彼らは同時に死を知る事となり、大人へと成長してしまう。本作は生と死が表裏一体となった街デトロイトというロケーションを合わせ鏡としてミッチェル監督の第2作「イット・フォローズ」と連作になっているようにも見えるのだ。キーボツ感あふれる男子、田舎では生きにくそうな美少女といったキャラクター配置も共通している。“朝が来たら僕の人生は終わってしまう”と言う青春ドラマに織り込まれた詩的ロマンチシズムもこの監督の持ち味であろう。

僕も高校生の頃にSleepoverをやった事を思い出した。一丁前に酒を飲み、女のコの話をして、夢を語り合い、友情を誓って、いつしか朝を迎えていた。この“The myth of the american sleepover”(原題)と題された映画の中ではそんなついぞ忘れ去られてしまった刹那の時が、まるで終わりのない神話のようにいつまでも続いているのである。



「アメリカン・スリープオーバー」10・米
監督 デビッド・ロバート・ミッチェル
『映画・DVD』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「トランボ ハリウッドに最... | トップ | 「BFG ビッグ・フレンドリー... »

コメントを投稿

映画レビュー(あ行)」カテゴリの最新記事