長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ブリッジ・オブ・スパイ』

2016-10-21 | 映画レビュー(ふ)

 アカデミー賞では作品賞はじめ6部門にノミネートされ、マーク・ライランスが助演男優賞を受賞したが、スピルバーグ映画らしからぬ事に技術部門では冷遇され、何よりスピルバーグ当人がノミネートもされなかった。

『ブリッジ・オブ・スパイ』は巨匠の佳作の1本に過ぎないのか?
一見、簡素で控えめな作品だがとんでもない。後にこれがスピルバーグをネクストレベルへ移行させた1本として再評価される事だろう。

作風が変遷せざるを得なくなった理由は製作体制の変化だ。
長年の相棒であった製作のキャスリーン・ケネディがルーカスフィルム社長に就任した事により離脱。また音楽のジョン・ウィリアムズが体調不良によりトーマス・ニューマンへ交代した。ニューマンはこれまでのスピルバーグ×ウィリアムズのコラボレーションを全くフォローせず、メランコリックな自身の作風を堅守。これだけでスピルバーグ映画の“口数”が減った。

そう、前作『リンカーン』以上に演出はミニマルに簡素化され、より俳優主義へとシフトしており、その方向性を決定付けたのがロシア人スパイを演じたマーク・ライランスではないだろうか。スパイとしての人生に身を費やしてきた男の悲哀を口角1つで表現する彼の佇まいをスピルバーグは冒頭、かなりの時間をかけて丹念に描写している。『リンカーン』のダニエル・デイ・ルイスしかり、俳優の演技が演出にインスピレーションを与え、むしろ『ブリッジ・オブ・スパイ』はライランスがスピルバーグから新境地を引き出したかのようにすら見える。

撮影の順番はさておき、彼と初めて対面する弁護士役トム・ハンクスの表情にも演者としての心地よい緊張感が伺い知れる。それにしても、もはやグレゴリー・ペックすら彷彿とさせるハンクスの安心感はアメリカの高潔な正義感の象徴であり、名優の域だ。

この清廉な筆致からはレイシズムに対するスピルバーグの率直な怒りが浮かび上がってくる。
それは世論の数で悪意を増幅させる大衆心理への怒りであり、故に自由と公平を持ってロシア人スパイにも同等の裁判を受けさせた主人公ドノヴァンの行為からアメリカが本来持っていた寛容さが浮き彫りになってくるのである。他者への憎悪を煽る事で人心を掌握しようとする者が大統領候補として跋扈する今こそ立ち返るべきテーマではないか。その精神をライランス演じるアベルが目にする終幕は忘れがたい屈指の名シーンである。
 

『ブリッジ・オブ・スパイ』15・米
監督 スティーブン・スピルバーグ
出演 トム・ハンクス、マーク・ライランス
 

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