思索の海辺

壮年部員・那由他楽人の個人的思索を書き付けておくブログです。
主に創価学会関係。

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常随給仕

2015-02-05 23:30:38 | 思索の断片

 私は青年部時代「日興上人は、常に日蓮大聖人のおそばに仕えていた」と習っていたが、じつはそうでもないようである。
 
 大白蓮華2014年12月号に掲載されている「法華証明抄」の解説には、以下のような一文がある。

『本抄を認められる3日前には、弟子に代筆させて、時光へのお見舞いの書状を送られています』
 
 その書状は創価学会版の「日蓮大聖人御書全集」には収録されていないが、「平成新編日蓮大聖人御書」と「平成新修日蓮聖人遺文集」には収録されており、それぞれ《伯耆公御房消息》《伯耆房御消息》と名付けられている。
 内容を要約すると、薬王品の28文字を記したものを同封し、これは日蓮の母が病で命を落としそうになった時に服して命を長らえたものなので、焼いた灰を浄水に溶いて重病の南条時光に服用させるように伝言したものである。

 今月の大白蓮華に掲載されていた御書講義にも書かれているが、この伯耆房とは日興のことであり、この書状を代筆したのは六老僧の一人、日朗である。つまり、当時病を得ていた日蓮は、日朗に代筆させて日興に手紙を送ったという事になる。
 これが何を意味するかというと、少なくとも法華証明抄執筆時に日蓮の近くにいたのは日朗であり、手紙を出して指示を伝えるような距離にいたのは日興であったという事である。
 
 また、この法華証明抄は弘安5年述作とされているが、同じ日興宛の「伯耆殿等御返事」は弘安2年10月、今月の御書講義である「異体同心事」は文永~建治年間と推定されていて、この間にあたる8~10年間、日興は基本的に駿河・富士方面にいたと考えてよいと思われる。

 ご存知の方には今更な話かもしれないが、誰かのいう事を鵜呑みにすることは意外と危険なのだと改めて認識した次第である。
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宗派性とは何か

2014-01-02 02:39:40 | 書籍引用
「学会は宗派性の殻を破り世界宗教へ飛翔――学者。時代遅れの日顕宗は奈落」

  (2013.11.12聖教新聞「寸鉄」)

…………………………

 随分古い記事からの引用だが、考えさせられる内容だったので。

 「宗派性の殻を破り世界宗教へ飛翔」と書いた直後に「時代遅れの日顕宗は奈落」とある。
 これでは、とても「宗派性の殻を破り」とは言えないように思う。

 表現として適切ではないかもしれないが、宗派性とは「同族意識」的なものであると思う。同じ集団に所属していれば仲間、違う集団に所属していれば「他集団」。それが本質であるように思う。
 ということは、宗派性の壁を破るということは即ち「同族意識」を打ち破ることといえる。そこには、他者に対して「他集団に所属しているかどうか」ということを問題にしない境涯の広さが求められる。

 世界広布新時代に最も必要な精神性は、その部分ではないだろうか。
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ご報告

2013-11-02 01:03:13 | 思索の断片
大変にご無沙汰いたしております。
自分としても、まさか今年初めての更新とは思っていなかったのですが…。

時期的にももう大丈夫だと思うので、一応私的なご報告なのですが、この度「進出」いたしました。
それに伴い、ブログの説明の部分も少々変更となります。

以前よりは思索に費やす時間も確保できるかと思いますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。

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生存報告

2012-12-31 22:52:09 | 思索の断片
毎回更新のたびに「久しぶりの更新」で申し訳ありません。
ちゃんと生きております。

明年もまた激闘の前半戦になります。

私個人としても、恐らく男子部としての最後の数ヶ月間になります。

未来の男子部のために、今できることを精一杯と思っておりますので、相変わらず更新は少ないかもしれません。
その間は、「頑張っているんだな」と思ってくだされば幸いです。

明年が、より良い1年となりますように。


               那由他 楽人
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創価学会の矮小化

2012-06-25 10:17:17 | 思索の断片
 最近特に感じていることなのだが、創価学会の目的とは何だろうか。

 もちろん「広宣流布」や「世界平和」といった答えが返ってくるかもしれない。
 または、「社会に通用する一流の人間育成」という答えもあるかもしれない。
 「一人ひとりが幸せになること」と答える人もいるだろう。

 しかし、よく考えていただきたい。

 我々が日常やっている活動は、どこまでその「目的」に通じているのだろうか。

 私がますます危惧していることは、学会活動の「哲学性のなさ」である。

 創価「学会」であるはずなのに、学ぶ機会が非常に少ない。
 こういうと、「御書や先生の指導を日常活動の中で学んでいる」と反論されるかもしれないが、残念ながら活動の場で学ぶことのほとんどは「今の戦いに勝つ」事を目的とした、アジテーションとしての「学習」である。そうである限り、そこには「哲学を学ぶ」という姿勢はないといえる。

 哲学性のなさが何に繋がっているかといえば、「創価学会の矮小化」である。

 創価学会が目指しているものを体現しているはずの我々の姿が、「創価学会の利益(りえき)のために行動している」姿になってしまっている。
 本来なら全民衆に寄与すべき「活動」が、「創価学会のため」の活動になってしまっている。
 これは本当に「大乗仏教」なのだろうか。

 今こそ、我々は常に自問自答しながら本当の「前進」をするべき時であると思う。
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見失ってはならないこと

2012-01-31 00:15:07 | 書籍引用
 問 私は大きい闘争になると、最初はがんばっていますが、終わりのほうになると、ほんとうにやりきったという確信が薄らいできます。その点で悩んでいます。悔いのない戦いをするには、どうすればよいでしょうか。

 答 ひじょうにまじめな人であるように思うし、また、思い過ごしをしているようにも感ずる。大きい闘争といっても、やることはなにかといえば、信心指導であり、一対一の折伏であり、一対一の個人指導以外にない。あまり”大きな闘争”ということで錯覚を起こすこと自体、私はちょっとまずいと思う。(笑い)
 自分の自覚として”大法戦だ!”と決意することは、それだけの力が出るという意味において、必要でありますけれども、あなたはあなたとして随力弘通でいいのだ。あなたらしく真心こめて使命を果たした、責任を達成したと思えば、私は立派に大闘争をしたということにつうずると思う。そう確信していきなさい。

 (以下略)

《指導集~質問に答えて 池田大作著 p.134~》

…………………………

 戦いを起こすにあたって、決して見失ってはならない部分を抜粋させていただいた。

 つい大きな目標に目を奪われがちになるが、一番大事なことは「一人でも多くの人が、信心の確信をつかむこと」である。体験を積んでこそ、ひとに語れる言葉も増える。

 まずは、目の前の「ひとり」のために、闘いを起こす決意である。
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謹賀新年

2012-01-01 23:23:49 | 思索の断片
皆様、明けましておめでとうございます。

昨年は予想通り…といってはなんですが、非常に更新の少ないブログとなってしまいました。

決意なくして達成はありえない…ということで、今年は何とか月1回の更新を目標にしていきたいと決意しております。

どうぞよろしくお願いいたします。
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違和感

2011-12-15 02:01:41 | 思索の断片
王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず(撰時抄)


有名な御文である。
2009年に第三文明社から発行された「御書をひもとく」にも収録されているが、私はその通解に以前から疑問を持っている。

同書の通解には、以下のように書かれている。

『王の権力が支配する地に生まれたのであるから、身は従えられているようであっても、心まで従えられているのではない。』

しかし、この通解では違和感がある。

この御文は「平左衛門尉に対しての日蓮の言葉」であるから、本来なら『王の権力が支配する地に生まれたのであるから、身は従えられなさっているようであっても、心まで従えられなさってはなりません』となるべきではないだろうか。

会合や指導などで引用される御文は、どうしても扇動的な性格を帯びる。それがいつしか、本来の意味をはずれた理解のもとに「大聖人がこう仰っている」という引用をされるとなると、それはもはや「大聖人利用」になってしまう。

我々が真になすべきは、「日蓮仏法」「創価思想」とは何かを突き詰めていくことであり、体現していくことであるといえる。そのために大事なことは「誰かの解釈を鵜呑みにする」ことではなく、それを自分自身が納得できるまで突き詰めていくことではないだろうか。

それを忘れたとき、人は「自己責任」を放棄し始めるのだと思う。
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宗教界の王者

2011-10-09 09:04:02 | 書籍引用
 いま、その、御本尊様より、票のほうがよく見える年なのです。一票二票とはいる、それがなんだかありがたく見える年なのです。それは見させておいてあげなさい。
 同じ岸系といっても、いろいろある。ここらでへたくそに立った代議士の応援などやらないように。私は宗教団体の王様なのであり、岸先生は政治団体の王様なのです。立場が違うだけです。ただ人間を理解しあえばいいのです。

 《戸田城聖全集 第4巻 p.599》

…………………………

 昭和33年の「3.16広宣流布記念式典」において、戸田先生が「創価学会は宗教界の王者である」と宣言された、と習った方は大勢いらっしゃることと思う。

 しかし驚いたことに、戸田先生がそのように仰った部分は、書籍では存在しない。いちばん近いと思われるところが、上記引用箇所である。 読んでいただければ判るように、これはご自身のことを言われているのであり、創価学会のことを仰ってはいないのである。
 全文を読んでも、主に岸総理(当時)のことを様々に語られており、「創価学会は宗教界の王者」との趣旨は出てこない。

 だが、この講演のタイトルは「宗教界の王者」となっている。これは一体どうなっているのだろうか。

 考えられる可能性としては、次の2点が挙げられる。

 1.そのような発言はなかったが、戸田先生としてはそういうことを話されるつもりであった。
 2.発言自体はあったが、昭和59年発行の本であり宗門との摩擦を防ぐ意味で削除された。

 いずれにせよ、「創価学会の歴史」の検証は必要なことなのかもしれない。
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矢島氏の退転・非退転

2011-10-03 23:03:07 | 思索の断片
 大変長期にわたって更新が滞ってしまい、ご覧いただいている方々には弁解のしようもございません。
 また、これからもこのような状態が起こる可能性もありますので、そのつもりで見ていただけるとありがたく思います。

 ちなみに1級試験を受けていたためではありませんので、念のため。

       *************

 さて、7月の終わり頃のことになるが、矢島周平氏の退転について「御意見番」さんよりご意見をいただいた。
 さらに様々な角度から検証を行われ、根拠を示していただいた。
 ただ、申し訳ない話だが、そのことによって私は「矢島氏非退転」の確証を得たように感じたのである。

 まず大前提となる「非退転」という言葉だが、整理する意味でその内容を確認しておきたい。
 私が「矢島氏非退転」というとき、それは「非転向」を指す。
 どういうことかというと、戦時中に思想犯として逮捕された人々は、その思想を捨てることを条件として釈放される。つまり「思想を捨てる」ことを「転向」というのである。
 創価学会(正確には創価教育学会)において「転向」とは、「棄教」のことになる。
 
 ①人数の数え方が矢島氏退転の根拠とならないことについて

 ここで、7/31の御意見番さんのコメントを引用する。

 『大幹部たる野島辰次、稲葉伊之助、寺坂陽三、有村勝次、木下鹿次をはじめ、二十一名のうち十九名までが退転したのである。
 会長牧口常三郎、理事長戸田城聖、理事矢島周平の三人だけが、ようやくその位置に踏みとどまったのである。いかに正法を信ずることは、難いものであろうか。』

 これは、どのように読んでも「矢島氏非転向」を示していると思われる。確かに計算は合わないが、転向してしまった者を「踏みとどまった」と表現されることはないと思うからである。

 続いて、8/6のコメントより引用する。 

 『そのときの同志、幹部十九名、ことごとく退転して、退転しなかったのは、この私一人であります。』

 コメントにはないが、このあとはこう続く。

 「そのうちの二人はさておき、あとの十六名は、いまは見るかげもない生活です。次の日の生活にすら困り、借金は山とできて、じつに、私の前へは、一人として出てくる勇気もないのであります。」

 すると、妙なことになる。
 19名の幹部が退転した。そのうち2人はともかく16人は…と続くのだが、2+16は18だからまたもや計算が合わないのである。
 さらには、同じ戸田城聖全集第4巻283ページには、こういう記述もある。

 「投獄されたのは、幹部一同、幹部のみが十九人、その他を入れて二十数人であります。」

 以上のことから判るように、人数と計算が一定しないのである。
 そこから出てくる結論は、《21-19=2だから、その2は牧口先生と戸田先生》という論法は成立しないということだ。
 となると、数字を根拠にして「矢島周平も退転(転向)していた」と証明するのは不可能ということになる。

 ②文章をそのまま読むことについて

 さらには、御意見番さんの8/7のコメントにはこうある。
 最初に戸田先生の文章を引用されている。

 『「そのほかの幹部は、一人となく退転し、強く広宣流布を誓った自分ながら、空爆のあとの焼け野原に立って孤独を感ずるのみであった。いま、蘇生した矢島周平君ですら、手のほどこすところなく、病めるウサギのごとく穴居しているのであった。」
すなわち、「そのほかの幹部は、一人となく退転し」の文脈で「矢島周平君ですら」となっていることや、「「手のほどこすところなく、病めるウサギのごとく穴居しているのであった」と示されていた矢島の姿と考え合わせると、まさしく、この文章は「矢島も退転者」の文証と解する以外のなにものでもないわけです。』

 この部分を「矢島も退転者」と読むことができる御意見番さんが、「会長牧口常三郎、理事長戸田城聖、理事矢島周平の三人だけが、ようやくその位置に踏みとどまったのである」と明確に書かれている部分をどうしてそのまま読まないのだろうか。私には不思議に思える。
 
 さらに、8/15の御意見番さんのコメントを引用する。
 最初の部分は、池田先生の書かれたものを引用されている。

 『「戸田先生が出獄した時も、辛うじて退転せずにいた幹部は怯え抜いて、病めるウサギのごとく穴居している状態であったという。
 大聖人は「おご(傲)れる者は必ず強敵に値ておそるる心出来するなり(御書九五七ページ)と仰せである。
 傲慢、虚勢、見栄っ張りは、大難に遭うや無様な姿をさらけ出すのが常である。
 ゆえに、戸田先生は、弟子たちに厳しく言われた。
 「傲慢になるな。裏切り者になるな。また、裏切り者は断じて許すな!」
 先生は、出獄するや、自分が逮捕されてから、誰が、いかなる態度、行動をとったかを、克明に奥様に聞かれたという。
 峻厳な先生であられた。
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特に
「戸田先生が出獄した時も、辛うじて退転せずにいた幹部は怯え抜いて、病めるウサギのごとく穴居している状態であったという。」
ここは、「歴史と確信」に記述されていた矢島周平の有様に、用語・内容とも一致してますよね。
あ、「辛うじて退転せずにいた」を「非退転」と解釈するのは無理でしょうし』

 ここでも「辛うじて退転せずにいた」を「非退転」と読まないとのこと。普通に読めば非退転としか読めないのだが。

 では、ここで池田先生が言われている「戸田先生が出獄した時も、辛うじて退転せずにいた幹部は怯え抜いて、病めるウサギのごとく穴居している状態であったという。」とはどういうことなのか。

 推測になるが、ここでのヒントは「矢島氏の出獄が4月である」ということだと思う。
 つまり、補足して書き直せば「戸田先生が7月に出獄した時も、辛うじて退転せずに4月に出獄していた幹部は怯え抜いて、病めるウサギのごとく穴居している状態であったという(学会の再建を目指して立ち上がってはいなかった)。」という解釈が妥当なのではないだろうか。

 すると、この元となった戸田先生の文章も同じ解釈が成り立つ。そのゆえに、やはり矢島氏は獄中では退転していないと思われるのである。牧口先生・戸田先生の非退転と同列でないにせよ、非退転には変わりないのである。

 ③結語

 以上、御意見番さんのご意見を批判するような形になってしまい申し訳なく思うが、私はやはり矢島氏は獄中で退転していないと結論付けたい。
 
 ただ、これはあくまで「事実関係」のことであり、大事なのは「それをどのように教訓とするのか」ということだと思う。
 私の意見は2009年3月3日付け「矢島問題の教訓」で書いた。ご一読いただきたい。
 そのコメント欄に、御意見番さんの精査なさった内容が書き込まれているので、そちらもご覧いただくとよく判るかと思う。 
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