移ろいゆく日々

移ろいゆく日々
気にとめたことを忘れぬうちに

大人の分別、若者の熱情

2010-11-01 21:52:13 | Weblog
 年を経ると分別くさくなる。公私に関わらず、判断を迫られた時に様々な事象、事情を勘案して最適とあるいは次善と思われる選択肢を選ぶ。これは、学識や経験に照らして知性の総動員の結果であり、これを分別と呼ぶ。
 身の回りに起こる事共を一体のように解すれば良いのか、随分と悩み惑ったものだ。未だ判らないことの多いこの世だが、それでも多くの事態に対して少しずつ冷静で的確である判断ができるようで、そう間違いをしでかすことはない。少々外れていても、次善の策で収まる範囲、そういう意味で自身の判断に自身が持てる分、日常の不安や迷いが減ったように思う。仕事では、その分ストレスも高いので胃が痛くなることがしばしばだが。少なくとも、若い時にコンプレックスを抱いていたようなことは、時折思い出して若気の至りかと思ったりする。コンプレックスを解消したり、克服した訳ではなく、こんなものかと思えるという意味。
 しかし、この分別からは的確な判断ができても、斬新なことは生まれてこないようにも思う。それは自分の着想を、行動に結びつける精神の衰えだ。先に述べた分別が、意識か無意識にかそれを抑制している。例えば、大もうけできるようなちょっと独創的な起業を思案したり、あるいはそれを実行に移す様な”情熱”を持ったりということだ。
 「ケータイをもったサル」中公新書、の著者、動物行動学者の正高信男によると、”直感的判断力は20代を境に低下する”ことを述べていた。何が正しいか、という咄嗟の判断力は若者の特権ともいえ、その後年齢と供に判断力は衰えていく。その衰えを、分別のような経験知識の援用で補うと言い換えることができるのか。
 分別を持ち合わせていない若者は、多くは挫折や失敗に直面する。熱情を持ち合わせていない大人は、意思の持続を果たせずに事を途絶する。大人になっても、年齢を経ても野心的な仕事、創造的な仕事をしている人は、分別を乗り越えて熱情を持ち続ける人なのであろうか。
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