悟りへの道標(悟った人の言葉を紹介していきます)

現在は主にニサルガダッタ・マハラジ(1897~1981)の言葉がメインです。みんなで悟りましょうヽ(=´▽`=)ノ

その1

2017-01-16 01:20:05 | 未分類
製図工の錘は、コンパスを使って描いた円よりも、もっと完璧な円を描くことができた。 錘の指は、どこともわからない所から、自然な形を生みだした。 錘の心は、そうしているあいだ自由で、自分のやっていることに関わっていなかった。 なんの集中も要らない。錘のマインドは完全に1つで、なんの妨げも知らなかった。 なので、靴が合えば、足は忘れられ、帯が合えば、腹は忘れられ、ハートが正常なら、是非は忘れられる。 なんの意欲も、衝動も、必要も、誘惑もない… そんなとき、あなたの仕事はコントロールされている。あなたは自由な人間だ。 くつろいでいることが正しい。正しくはじめると、あなたはくつろぐ。くつろぎ続ければ、あなたは正しい。 くつろいで歩むための正しい道とは、その正しい道を忘れること、そして、その歩みがくつろいでいることを忘れることだ。 荘子は、開花した者のなかでも最も稀な者の1人、ブッダやイエスよりも稀だ。 というのも、ブッダとイエスは努力を強調し、荘子は無努力を強調したからだ。 努力によって沢山のことが可能だが、無努力によってさらに沢山のことが可能だ。意志によって沢山のことが成し遂げられるが、無意志によってさらに沢山のことが成し遂げられる。そして、意志の力で成し遂げたものは1つ残らず、常にあなたの負担であり続ける…それは常に葛藤、内面の緊張になるし、あなたはそれをいつ何時でも失いかねない。それは絶えずメンテナンスされる必要があり、sれをメンテナンスすることはエネルギーが要るし、それをメンテナンスすることは、最後にはあなたを使い尽してしまう。 無努力によって達成されたものだけが、決してあなたの重荷になることはなく、重荷ではないものだけが、永遠になりうる。いかなる面でも不自然ではないものだけが、永久にあなたとともに在り続けられる。 荘子は言う。本物、神聖、実在は、自分自身を完全にその中に失くすことで達成されるのだ、と。それを達成する努力さえ、障害となる…そうしたとき、あなたは自分を失うことができない。 自分を失う努力さえ、障害となる。 どうやったら自分を失う努力なんてできるだろう?あらゆる努力は自我から生まれ。自我は努力によって強められる。自我が病なのだ。だから、すべての努力が完全に捨てられる必要があり、なられなければならないことは何1つない。人は、実在の中に自分自身を完全に失う必要がある。人は、もう一度幼子のように、生まれたてのようになる必要がある。何が正しいか知らず、何が間違っているか知らず、いかなる区別も知らない。区別が入り込んだとたん、「これは正しい」「あれは間違っている」と知ったとたん、あなたはもう患っており、現実から遠く隔たっている。 子供は自然に生きている。子供はトータルだ。いかなる努力もしない。というのも、努力が意味することとは、あなたが自分自身と戦っているということだからだ。あなたの一部は賛成で、あなたの一部は反対。ゆえに努力だ。 あなたは沢山のことを成し遂げられる。覚えておきなさい、特にこの世で、努力によって沢山のことを成し遂げられるのは。というのも、努力は攻撃、努力は暴力、努力は競争だからだ。しかし、あの世では、努力では何一つ成し遂げられないのであり、努力とともに始める者達は、最終的には努力を落とす必要もあるのだ。 ブッダは6年間努力した。絶えず瞑想し、集中して。苦行者になったのだ。ブッダは、人間にできることは全てやった。あらゆる努力、あらゆる手段を尽くした。自分の全存在を賭した。しかし、それは努力だった。そこには自我があった。そして、ブッダは失敗した。 究極のなかでは、自我ほど失敗するものは何一つない。この世のなかでは、自我ほど成功するものは何一つない。 物質界では、自我ほど成功するものは何もなく、意識界では、自我ほど失敗するものは何もない。事情は正反対だ。そして、そうである必要があるのは、次元が正反対だからだ。 ブッダは完全に失敗した。6年経ち、完全に挫折していた。完全に、と私が言うとき、100パーセントを意味している。一欠けらの希望さえ残っていなかった。完全に絶望していた。 その絶望のなかで、ブッダはあらゆる努力を落とした。これまで既に、世俗を落とし、王国を捨てた。この現象界に属するもの全てを後にし、放棄していた。 今、6年の猛烈な努力を経て、あの世に属するものをも全て後にした。彼は完全に独りだった。空っぽだった。その夜、ブッダは普通とは違う性質の眠りを眠った。というのも、自我が全くなかったからだ。普通とは違う性質の静寂が生まれた。というのも、努力が全くなかったからだ。その夜、ブッダに普通とは違う性質の状態が起こったのは、夢見が全くなかったからだ。 努力が全くなければ、不完全なものは何一つない。そうしたとき、夢を見る必要はない。夢とは、常に何かを完成させるものだ。昼に完成されないまま残っているものが、夢のなかで完成されるのだ。というのも、マインドには全てを完成させる性質があるからだ。もしもそれが完成していなければ、マインドはいつも不安になる。努力は多くのものごとに注がれ、もしもそれらが不完全なままなら、夢が必要だ。 欲望があるとき、夢を見るのは必然だ。というのも、平和を乱すことが夢見なのだ。夢見とはまさに欲望の影なのだ。 その夜、なされることが何一つなかったとき…この世は既に無用で、今やあの世も無用だった。全ての行動ための意欲が止んだ。行く場所はどこにもなく、どこかに行く者は誰もいなかった。その夜、眠りはサマーディに、悟りになった。その眠りは、人間に起きうる究極のものとなった。その夜ブッダは花開き、朝に光明を得た。ブッダは目を開き、空の消えかかっている最後の星を見た。そこには全てがあった。それは常にそこにあったのだが、あまりに求めすぎたために、見ることができなかったのだ。それは常にそこにあったのだ。しかし、欲望を抱いて未来へ行動しすぎたために、今ここを見ることができなかったのだ。 その夜、一切の欲望が、一切のゴールが、一切の行き場がなく、どこかに行く者は誰一人いなかった。すべての努力が止んだ。突然、ブッダは自分自身に気づいた。突然、あるがままの現実に気づいた。 荘子はまさにその最初から言っている。いかなる努力もしてはいけない。荘子は正しい。というのも、ブッダがしたのと同じだけトータルな努力をあなたがすることは決してないからだ。あなたは、挫折しすぎたために、努力が独りでに落ちるなんてことは決してない。あなたの努力は常に不完全だ。そして、あなたのマインドは常に言い続ける、もうちょっとで何かが起きる、もう一歩で。ゴールは近い。どうしてショゲてるんだ?ほんのもう少しの努力が要るだけだ。ゴールは毎日近づいて来てるんだから。 それほど完全な努力をあなたがすることは決してないため、完全に絶望することは決してないのだ。そして、あなたはこの半端な努力を、沢山の生涯でできる。それが、あなたが過去に行ってきたことだ。 あなたがここに、私の前にいるのは初めてのことではない。真理を、現実を悟るために何らかの努力をしてここにいるのは、初めてのことではない。あなたは過去に、何回も何回も、100万回もそれをやってきたのだ。 荘子は言っている。初めに努力を落とす方が良い。それは落とされる必要がある。最初に落とすか、最後に落とす必要があるか。しかし、最後はすぐには来ないかもしれない!だから、2つの道がある。トータルな努力をすること…あまりにトータルすぎて、すべての希望が砕け散り、努力によって成し遂げられるものは何一つないということを悟るに至る

マウス

2016-10-04 21:42:27 | ニサルガダッタ・マハラジ
二重クリックに悩まされていた原因は

どうもマウスにあったようです。

PCに異常があるものとばかり思っていたので

これは盲点でした。

苦しみの原因が歪んだ認識にあるというのも

今回の出来事と似ているような気がします。

1979年9月25日

2016-10-04 19:05:29 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月25日

訪問者:自分に「ワイは”我在り”や」いうて得心させんのめっちゃきついわ。「ワイはそれ超えとる」いうちっこい感覚がいっつも内側にあんねん。せやから、どないしたら完全に”我在り”受け入れることできるんや?

ニサルガダッタ:言葉使いなや。それは植わった種みたいなもんでな、芽え出るまでの3ヶ月間、お前さんは毎日水やらなあかんねん。お前さんの聞いたことが内側に沈み込まなあかん。吸収されなあかんのや。こんなんぜーんぶこの世の知識や。ただ見てみい。お前さんはどっかのアーシュラムからここ通っとんのか?

訪問者:せやで。

ニサルガダッタ:自分のグル信頼しとるか?

訪問者:しとる。信頼しとんで。

ニサルガダッタ:なんでグルんとこ去って、こーやって放浪しとんのや?行かなあかんとこは、グルんとこだけやで。

訪問者:ワイはまだ満たされてへん。ぎょうさん不安あんねん。

ニサルガダッタ:不安あんねやったら、そいつから離れんのが一番や。せやなかったら、自分完全に明け渡し…疑いも確信もぜーんぶや。
もしお前さんが1人のグル受け入れたら、絶対の信頼と完全な明け渡しが不可欠や。グルに仕えるいうことは、グルが言葉で与えてくれる指導に何でも従ういうことや。お前さんはその言葉飲んで1つにならなあかんねん。
どのグルにも明け渡しせえへんうちは、お前さんはどこにでも自由に動けるフリーランススピリチュアル探求者や。どこでも行って、スピリチュアルな情報集めて、好きなことし。せやけど、いっかいグル受け入れたら、完全な明け渡しあらへんかったらあかんねん。
「グルはどっかの人や」とか思いなや。そういうもんやないんや。グルいうんは”在る”や。”在る”いうんは現象や。全世界は”在る”で、それがグルや。

訪問者:これって、もう化身しとらんグルもっとる人にも当てはまるんか?マハラジは「もしグルに明け渡したんやったら、探し回ったあかん」言うとるけど。

ニサルガダッタ:そのグルがもうおらんかったら、お前さんはどないしてこの世体験できるいうんや?この”在る”を認識して超えとる者が、サット・グルや。せやなかったら、スピリチュアルを商売にしとる小売商グルがおるだけや。

訪問者:マハラジが絶対的に喋るときって、ワイはマハラジと同じなんか?それかワイと同じなんか?

ニサルガダッタ:ワイらは1つや。グルの言葉にとどまり。この弟子は、肩に乗っかっとる観念に取り憑かれとんねん。ワイのグルはいろんな弟子にこれと同じ知識あげとったけど、振舞い方は十人十色やった。グルの言うたことに、みんなそれぞれ違う観念もっとって、自分のいっちゃん好いとる固定観念にしがみつくんや。”我在り”がどんだけ重要なもんか理解しようとし。測ろうとすればするほど、より高い水準でその質に気づくわ。自分を過小評価しなや。お前さんは男でも女でもないねん。お前さんは、一切のすべてがそっから出てくる原理や。

訪問者:昨日、ワイはこの”我在り”状態に出たり入ったりしとったわ。そんでワイの心のビジョンに、宝石の原石が出てきてん。めっちゃはっきりしとったわ。暗い琥珀色に輝いとってな、めっちゃきれいやってん。

ニサルガダッタ:それは知の貴石や。その石は知識で輝いとんねん。それが他人を光らせると、そいつは解放されるんや。それくらい貴重なもんやで。ワイが「お前さん」を指し示しとるにもかかわらず、相変わらずお前さんは体を放さんと、死を抱きしめとんねん。

訪問者:「他人を光らせる」ってどういう意味なん?

ニサルガダッタ:太陽が、自分の光が他のもんを光らせるか聞くか?「自分は誰か」はっきりしたんか?

訪問者:「自分は太陽や」いう観念が難いことわかったわ。

ニサルガダッタ:どんな観念も一切もたんとき。「自分は体やない」いうことはっきりさせとき。

訪問者:どないしたら他者への愛を育めるんや?

ニサルガダッタ:誰か愛そうとするんやなくて、愛でおり。お前さんが愛のとき、その愛は人類にとって役に立つねん。水と同じで、もしお前さんが水やったら、すべてが育つねん。

訪問者:キリストは「他人をなー自己としてなー愛さなあかんでー」言うとったで。

ニサルガダッタ:すべてがお前さんの自己や。他人なんかおれへん。これぜーんぶ、お前さんの愛の表現なんや。
ワイは同じ助言何回も何回も叩き込むつもりらへん。お前さんは吸収せなあかん。

1979年9月23日「”我在り”いう知識が、この全宇宙創っとるんや」

2016-10-03 16:14:22 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月23日

ニサルガダッタ:ワイはお前さんから何も期待してへん。ワイはワイ自身をお前さんに無料で利用できるようにしとんねん。もし無知な輩がワイの言うとること理解吸収したら、そいつは解放されるんやで。なんでや?グルへの信頼、グルの貴重な言葉への信頼によってや。頭だけに頼っとるやつらは、振り子みたいにいっつも揺れとんねん。何でもええからワイがお前さんに言うたこと十分吸い込んで、自分のもんにせえ。補助とか修練いう問題あらへん。お前さんの揺るがん確信だけで、お前さんはすべてを超すんや。
お前さんが使える資本は何や?五大食物エキスの製品、”我在り”だけや。最初にお前さんはこの意識になって、次に自分は現象やっちゅーこと悟るんや。
この体は土やら植物やらからできとるもんで、あらゆる汚物と病気の器や。せやけどもしグルが指導する言葉に頼ったら、当のこの体が悟りのために役立つねん。自己を悟った人は、自分の居場所が後で大勢の巡礼地になるんや。サイ・ババみたいに、みんな行って像拝んで、祈りは応えられんねん。その像っていったい何や?石でできとんねん。
ワイのグルが何言うても、ワイは100%の確信もって微塵も疑わんと従ったんや。その確信のおかげで、ワイは成果手にしたんや。
お前さんは「至高の神、造物主が”我在り”いう知識や」いう不動の確信持たんとあかんで。せやけどこの言葉はグルからもらわんとあかん。この”我在り”いう知識を認識して超越したジュニャーニ自身からもらわなあかんねん。
バガヴァッド・ギーターには「ワイらは五感の知識もっとるーこれはめっちゃ微細なもんやー感覚よりも微細なもんは心でー心より微細なもんは知性でーこんなんよりもっと微細なもんが氣やーせやけどもっともっと微細なもんは”カレ”、存在、”我在り”やでー」
絶対なるもんはこういうもんやあらへん。お前さんが絶対なるもんや。

訪問者:ワイにはマハラジが言うとること理解できへん。

ニサルガダッタ:お前さんは自分がここで座っとること知っとる。その知識だけに注意払い。ただ自分の存在ん中いてみ。その”我在り”いう知識が、全宇宙創っとるんや。それ放さんとき。せなあかんことなんか何もあらへん。いっかいその原理認識したら、そいつ静かなるわ。それと1つになったら、お前さんの欲求ぜーんぶ満たされんねん。
どの時期でもその原理忘れなや。何しとっても注意がそこにあらへんとあかんねん。お前さんが食べもん食っとるとき、誰が食っとんのや?存在オンリーや。お前さんがやっとることは何でも、存在や。存在に注意払い。

訪問者:訳されとるもんにめっちゃ注意したら、”我在り”は消えとるみたいで、ワイに想念何も起こらんねん。

ニサルガダッタ:それでお前さんは幸せなんか?

訪問者:幸せも不幸せもあらへん。ワイは単純に、落ち着いて見とんねん。何の感覚も入ってへん。

ニサルガダッタ:お前さんはそれ理解したんか?それか、単に自分自身と頭で格闘しとんのか?

訪問者:格闘してへん。

ニサルガダッタ:お前さんは自分自身で幸せなんか?それが最終基準や。

訪問者:ずっとやあらへん。それに注意してへんときは、巻き込まれとる。

ニサルガダッタ:これ言うてんの、誰や?

訪問者:その認識は後になって初めて現れるもんや。昨日はぎょうさんの感情出てきとった。それに目え奪われとってん。それが起こってるとき、自分はそれやあらへんいうこと気づかんかってん。

ニサルガダッタ:感情が起こっとるとき、お前さんは感情と1つやってん…お前さんは見とらんかったんや。

訪問者:覚醒した人はその感覚に巻き込まれるんか?それか、見とんのか?

ニサルガダッタ:お前さんの存在は1つや。あれこれになんかならへん。せやけど存在がお前さんの身心の感情に自己同一化しよったからに、トラブルは始まったんや。意識分離し続けえ。そしたら巻き込まれんくなるわ。

訪問者:感情の爆発が起こった後、なんで浄化された感覚みたいなもんあるんや?

ニサルガダッタ:それは一時的な心の状態や。その状態消えたら、お前さんは自分本来の平和な状態に帰んねん。
ヨギにはトリックあんねん。それ使って不幸と幸福から抜け出すんや。そいつは氣を保ったまま停止すんねんけど、問題は解決されとらん。それは1この状態や。
お前さんは感覚ぜんぶと精神的要因持っとる。それぞれの働きを理解して、ちゃんと使わなあかんねんで。「ワイは使わん」とか言いなや。機能停止させとったらあかんで。フルに使い。なんでやゆーたら、それ使って食べもん手に入るからや。お前さんは自分がそれに巻き込まれとらんっちゅーこと理解せなあかん。お前さんはただ見とんねん。
王様になりたかったら、家来と軍隊と政府持っとかなあかん。同じで、ジュニャーニになんには、この付属品持って理解せなあかん。そんで初めて治めれるんや。

訪問者:観照、イーシュワラ意識、絶対なるもん、この3つの状態は同時に生じるんか?

ニサルガダッタ:これが実状や。今日日、お前さんは「ワイは体や」て思っとる。その考え捨てえ。「ワイは現象以外の何物でもあらへん」そこにいとき。おまえさんは顕在バガヴァーン、イーシュワラ原理や。単純な瞑想や。お前さんは掻き始めて、血が出るまで掻き続けるんや。それが頭の格闘や。ただじっとしてみ。そいつ落ち着かせえ。質問掘り返しなや。
ワイはめっちゃオープンで、何も隠しとらん。「お前さんは体やあらへん、お前さんは知識オンリーや」て言うとるだけや。んで、この氣はお前さんの乗りもん、お前さんの活動を実行するための道具や。で、”我在り”いう知識はめっちゃ微細なもんや。
お前さんの知識があるから、お前さんと世界はあんねんで。将来ワイは「ワイの話聞くには1000ルピー前払いや」て言わなあかん思っとる。そんで初めてお前さん真剣なんねん。1000ルピー請求して、1日で全コースやらなあかん。ここに1ヶ月いて何の役に立つんや?何かに料金払ったら、それめっちゃ貴重なもんになんねん。

訪問者:昔の人はこの知識のために王国差し出したもんや。

ニサルガダッタ:めっちゃぎょうさん規律あったんや。林ん中住んで、木の実とか果物で生きなあかんかってん。食べもん蓄えられへんかってん。そういう事情やったわけや。

1979年9月22日「『ワイは体や』いう想念が苦しみもたらしとんねん」

2016-10-02 02:55:17 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月22日

ニサルガダッタ:どんな偉人の誕生も、意識の中身微塵も変えとらん。あるもんはあんのやし、それは絶対に変わらん。お前さんは単純にそれ見て知らなあかんねん。そのためには、どんな行為も儀式も要らん。この認識は知らんうちにお前さん中に現れて、お前さんは否が応にも体験せなあかんねん。体験はそこにあって、後から体験する何者かが出てくんねん。
体と心に同一化しとるうちは誰にも、体験として直面せなあかんもん変えることなんかできへん。洪水とか火事、損害とか利益あるときには、お前さんはただ受け入れるしかないねん。それは活動しとる意識や。

訪問者:昨日の夜おもろい体験したで。一人で座ってディナー楽しんどったら、めっちゃ田舎もんの5人家族が入ってきて、ワイのテーブル勝手に分捕って言うてん。「お前さんの使うテーブルはねえ」てな。そいつぶっとばしたなったわ。そういうときってどないしたらええんや?

ニサルガダッタ:限度MAXまで自分抑えなあかんで。

訪問者:体抑えとんのは体ちゃうやろ。

ニサルガダッタ:体は何もせえへん。体は「氣」と「”在る”いう性質」に守られとんねん。氣がすべての動きを担っとって、”在る”いう性質は最高位に座って見とんねん。

訪問者:「体と”在る”は無関係や」いうて感じる状態ってあるんか?

ニサルガダッタ:その”在る”に自分固定させたらどや?体感覚忘れた後に残っとるもん、それがお前さんオンリー、トゥリヤー(超意識状態)やで。

訪問者:「ワイはすべてや。他のもんは何もあらへん」いう信念持っとるけど、めっちゃレアにしか出てこおへんし、短時間やねん。

ニサルガダッタ:お前さんが「すべてが自分や」いうこと見とるときでも、やっぱそれは5大元素体の性質であって、続かんもんや。「目覚めの状態」「熟睡」「トゥリーヤ」これぜーんぶ一時的な状態やねんで。

訪問者:せやったら何が永遠なん?

ニサルガダッタ:お前さんが忘れとらん一者や。永遠の状態は、記憶と忘却の状態超えとんねん。

訪問者:その証拠ってどこにあるん?

ニサルガダッタ:そのステージにどないな原理あっても、それがお前さんの求めとる証拠や。その原理しか残っとらんのや。その状態には何もあらへん。せやったら、証拠見せるいう問題どこにあるんや?誰に見せるいうんや?

訪問者:ワイが言おうとしとったんは、「お前さんはどのステージでそれ手に入れたいうて感じとるんや?」っちゅーことや。

ニサルガダッタ:他には誰一人おらん。お前さんしかおらんのや。お前さんがやっとることは、神と自己同一化しようとしとんねん。せやけど、神はお前さんがおらんかったらおれへんのや。

訪問者:ワイは神信じとらんで。

ニサルガダッタ:神信じてへんのやったら、体信じとんのか?神拒否しとんのは誰や?そいつ何者や?

訪問者:ワイや。

ニサルガダッタ:その「ワイ」って何や?

訪問者:ただの感覚や。

ニサルガダッタ:お前さんが神や。神がおらんかったら、お前さんはおらん。神がおったら、お前さんはおるんや。

訪問者:キリストが「ワイと父ちゃんは1つやでー」言うたときな、父ちゃんいうんはイーシュワラのこと言うとって、至高の存在のこと言うとったんとちゃうんか?

ニサルガダッタ:父ちゃんいうんは、そいつの働きが”在る”の原因になっとる者のことや。

訪問者:キリストは物理的存在を父ちゃん言うたんか?

ニサルガダッタ:ワイそれ決めたないねん。キリストがおったいうことは、”在る”が食物体に養われてたいうことや。キリストはごっつい賢者や。カレの家系に自分入れなや。カレに瞑想せえ。カレの記憶で自分神聖化せえ。その過程でお前さんは浄化されるんや。どんな形もお前さんには残らんねん。

訪問者:西洋の伝統には、いろんな苦悩もっとる人たちを癒してきた聖者や賢者がごまんとおる。東洋の賢者はあんまヒーリングに関わらんみたいやけど、それってなんでなん?

ニサルガダッタ:東洋の賢者も奇跡起こす力もっとるで。そいつは人癒す過程で、自然に地位が上がって、社会から敬われんねん。その結果、プライド育てるっちゅーチャンスあるわけや。

訪問者:せやけどプライド感じる人なんかいーへんで。

ニサルガダッタ:観念に巻き込まれなや。それお前さん絞め殺すで。ほんまに稀にやけど、奇跡起こしてもプライド感じん賢者もおる。

訪問者:賢者にはプライドなんかあらへん。プライドもっとる誰がいるっちゅーんや?

ニサルガダッタ:この現象世界の全活動は、意識によって起きとんねん。お前さんは賢者をいっこの体いうてイメージしとる。この”在る”は五大元素ぜんぶに入っとるけど、個人的なもんやなくて、普遍的なもんやねん。「ワイは意識や」いう知識もったまま眠ったら、それと同じ想念が一日中浸透するわ。「体は空間や」いうて確信しもって眠り。
「ワイは体や」いう想念が苦しみもたらしとんねん。
毎日「ワイは体やあらへん」「ワイは知識オンリー、意識オンリーや」いうこと心に留めとき。ワイが死んだら、ワイの体は空間に変わんねん。せやったら、今「体は空間や」て思っとらどや?

訪問者:もっと観念増やしとるやん。

ニサルガダッタ:ワイはお前さんの「自分は体や」いう観念取り除いとんねん。なんでもっと観念増やしとるとか言うんや?

訪問者:「ワイの体は空間や」言うんは、もういっこ別の観念や。

ニサルガダッタ:あらゆる観念のいっちゃん核が”我在り”やねんで。

訪問者:眠る前に「ワイは空間や」いうて思うんはテクニックやろ。

ニサルガダッタ:すっぱり帰って、皆に「アホに出くわしたで。そいつワイ変えようとしよったけど、何とかして自分守りきったわ」言うたほうがええわ。ワイはお前さんに、意識の本質語っとったんや。段階踏んで、お前さんをあらゆる観念から解放させたいねん。ただ「すべては観念や」言うだけでは、お前さんは解放されへん。お前さんはただ、粗大な観念から微細な観念に移行するだけやねん。「ワイは体や」みたいな粗い観念抱いとったら、それはもっと多くの観念に増殖するやろ。「ワイの体は病気や」「ワイは薬飲まなあかん」「ワイは医者に診てもらわなあかん」とかな。仮に「ワイは空間や」言うたら、お前さんはそれ以上どんな観念もてる?
ワイはお前さんを幻の最終植民地である「我在り」いう観念まで連れてって、駆逐させたいねん。

訪問者:質問あるんやけど、前にマハラジは「注意はいっつもあらへんかったらあかんで」言うてたやん。注意って感覚で体験されるもんなん?感覚って認識よりも前にある思うねん。”我在り”いうていっつもわかっとる内在感覚あるんや。それって知覚とか観照と同じもんなん?

ニサルガダッタ:その感覚は注意と同じもんや。「ワイは見とる、ワイは知っとる」て気づいとるとき、それはただ在って、形あらへんもんや。認識は無形や。お前さんが形纏うとき、問題起きるんや。