なつの心模様ブログ

春がまちどおしい・・。

寒いのやだねぇ。

死について思うこと

2007-10-12 16:16:08 | 日記
・・ってことで前の記事からの続き。



私のとても仲がいい長崎の友達はおととしに
乳がんでお母さんを亡くした。
友達は福岡にひとり暮らしをしていた間、
よくうちの実家にも泊まりにきていたし、
私も長崎の実家によく泊まりに行ったりしてたため、
親同士もなんか特産物を送りあったり、電話で話したり、とそんな関係。

だから、友達から
おばちゃんが乳がんで発見が遅くて、
すでに転移がたくさんあって、あと少ししか生きれない。と
電話で聞いたときは、ものすごくショックだった。

家族みんなで一年前に遊びに行った時は、
うるさいくらい元気で、世話焼きで
長テーブルに置ききれないくらいのたくさんの料理を作ってくれた。
これがまた、ものすご美味しかった。

ビール飲んで、豪快に笑いながら、
もうおなかいっぱいなのに、
もっと食え、といわれた旦那は困って笑っていたな。

その日が私がおばちゃんと過ごした最後の日となった。

またいつでも泊まりにこんね。と言われたけど、
次に行った時、当たり前だけど
おばちゃんはもういなかった。

でも遺影のおばちゃんは笑っていた。


葬式が終わって数ヶ月たっていたので、
家の中もすっかり落ち着いていたせいか、

この家ってこんなに広かったんだ・・と思った。

人がひとりいなくなるだけで、
こんなに空気って変わるもんなんだな。と
身をもってその空気みたいのを感じた。

友達はいろんな話をしてくれた。

私らも、歳とりよるってことよね。
こうやって、元気で丈夫と思いよった親がだんだん弱っていくとよねー。
イヤやけど、イヤて言いよっても時間の流れっていうかさ、仕方ないことやしね。
孝行したいときに親はおらん、て言うけど、あれってホントやなーってね、
お母さんが死んだときに思ったもん。

乳がんが分かってからは、
そりゃ、できる限りの親孝行はしたつもりやけどね。

死んでから気づくこともたくさんあったりしてさ。
同じおかず真似して作っても
なんか同じ味にならんと、
どこが違うんやろ?って思ってもさ、
もう聞くことはできんわけさ。
そういうときに、
あぁ、ほんとにもうお母さんておらんとよね。。って思うとよ。

まぁね、早いか遅いかって違いで、親との別れって
誰もが経験することやろうけど。

もぉー大変やった。
家族みんなでバタバタした。
悲しむヒマとか全然なかったよ。忙しいし、分からんことばっかやし。
人に聞いても、皆言うことが違うしさー。
あーでもない、こーでもない、とかもう、葬式パニックよ(笑

ほら、うちのお母さん、えらいさばけとったやん?(てきぱきしていた、という意味
ベッドの上で、自分の葬式の心配しよったもん。
キリスト教の段取りは仏教と違うけん、私たちが何も分からんで大変やろうって。
キリスト教ってさ、聖霊ての、仲間入りみたいな儀式をしとかんと、
葬式してもらえんって話になってさ、
普通は結婚して教会で聖霊受けるらしいんやけど、
お母さん、面倒とかいってあの歳まで何もしてなかったらしくて、
あわてて牧師さん呼んで、ベッドの上で聖霊うけたとよ。
牧師さんが帰ったあと、
お母さん、笑いながら、
よかった、間に合って。聖霊うける前に死んだら、
またややこしいことになるけんねー。とか言いよった。
なんか最後までお母さんらしいやろー(笑



でも、おばちゃんは幸せやったと思うよ。
みんな家族も仲が良くて、
やさしいおじちゃんと、明るい娘3人。
おばちゃんにそっくりの孫も3人おって。
いつも家はにぎやかやったし。


私がそういうと、友達は、
うん。そうやったらいいなぁ。
つか、私もそう思うよ、と笑いながら言った。









近々自分が死ぬってことが分かった人は、
死の恐怖と向き合いながらも、
今までの自分の人生について振り返ったりするのだろう。

自分の大事な人が、そうなったときに、
つらいこともたくさんあったけど、
いいか、悪いか、どっちかっーつぅと、
いい人生だったなぁと思ってくれたとしたら、
残された私は、そのつらい別れ、死を乗り越えられる、ような気がする。たぶん。

そう思っている、いまのところは。

今のところは、というのは・・
私もまだ三十そこそこで。
人生を語れるほど、まだ何も経験してないと素直にそう思っている。
これから考え方も変わっていくんだろうとも思うから・・

死について思うことは、
それが、今の時点での自分なりの答え、みたいなもので・・。


確実に時間は過ぎている。
誰にでも平等に。

だから、まるっきり逆の目線で考えると・・。

私は自分だけのためじゃなくて、
私の周りの私を大事にしてくれる人たちのためにも、
やなことよりも、いいことの方がほんの少しでも多い毎日を送りたいのです。


同じ出来事が起きたとして、
人によって受け取り方が全然違ってきたりすることがある。

ぶっちゃけ、前向きに考えれたほうが楽だし、なんか得だよね。

はしょると、それだけのことだったりもするけども(笑

てか、
今日の日記・・支離滅裂だ・・。

ま、感じるひとだけに、何か一箇所でも
伝わればいいかな、という感じです、はい。







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3 コメント

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死について思うこと。 (みのり)
2007-10-14 00:24:58
私は祖母の死を見届けてから少しだけ死に対して
考え方が変わった気がします。

うまく説明出来ないんだけど。

以前は、死というものは恐怖と悲しみや寂しさが
ずっと続くもんだと思ってたのね。
逝く人も見送る人も。
けど、私がずっと恐れていた死というのは
多分、息を引き取る瞬間、だったんだなぁって
後から思った。
もちろんもう祖母の温もりをもう感じられないこと
はすごく寂しくて悲しいんだけど、それ以上に今は
祖母が遺してくれた血の繫がりや心の繫がりを強く
感じる事が多くなりました。

これ以上書くと私の日記みたくなっちゃうな(笑)

死はその人の肉体は奪うけど、その人の想いは
ずっと消えないんじゃないかな。

遺された人達の中にずっとあるものなんだと思う。

支離滅裂なコメントでごめんなさい。
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祝福されて (ライチ!)
2007-10-14 09:52:00
夫の友人の家は、仏教ではなく神道です。
そこんちのおじいさんが亡くなった時の事です。
お葬式の時、家族親族の方が皆、万歳しそうな程に
ニコニコしていたそうです。
死は終わりではなく、祝福されて、神様になれるから…
なのだそうです。
あ、自殺で亡くなるのはダメらしいですけど。

返信する
ごめんなさい、遅くなりました。 (なつ)
2007-10-22 14:19:23
★みのりん
そうなんだよね、
大人になってからの身近な人との別れって、
いろいろ考えが変わることってあるのかなって思う。
結婚してからすぐに旦那の祖母がなくなったお葬式で、
旦那のいとこが孫代表でお別れの言葉を言ったんだけどね、それがすごく印象深かったのよ、

ばあちゃんがいなければ、
僕もここに生まれていなかった。
優しいばあちゃん、大好きでした。
ばあちゃんから受け継いだ、大事なこの命、
大切にします。
そして、できることなら、受け継いでつないでいきたいです。

と、こんなことを言ってました。
孫にこんなこと言われて、おばあちゃんは
すごく幸せだろうなぁ。と聞いててジーンとしました。

その人が、ここにいたのは確かで。
その人と自分も関わって生きていた、という事実が
あることに意味があるのかもしれんよね、
うーん。。なんか・・私も支離滅裂やけど・・。


★ライチ!さん
宗教によってやっぱいろいろ違うみたいですね。
キリスト教も、お祝いに近い意味合いらしいです。

天国に知り合いがいっぱいいたら、

あっちの世界に自分が行ったら、
おかえりー。遅かったねぇ。
あんた、そんなに歳とっちゃって。

・・みたいなことになるんでしょうか・・(笑

あ、それと自殺はダメでしょうね、やっぱ。
てか、せめて、たてまえだけでもそうあってほしいなぁ。




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