名取熊野老女物語

名取の熊野三社を開いた名取老女伝説について。

名取が最北の邪馬台国?

2017-07-12 | 名取の歴史散策
熊野三山周辺に、「飛鳥下」の地名があります。
飛鳥下があれば、飛鳥上もある・・・。
飛鳥の地名がけっこう広い範囲にあるのです。
これは奈良の飛鳥が由来なのでしょうか?
それとも熊野の阿須賀でしょうか?




このあたりが飛鳥下

ところで、こんなブログを発見。
「邪馬台国と大和朝廷を推測する」より
陸奥の邪馬台国
http://uminohakata.at.webry.info/201011/article_3.html

なるほど~。



熊野堂郷土史略年表より、
「723年郡山の国府があり、この頃、飛鳥の里(飛鳥神社)を名取の里に
移されたと伝えられる。」
「鳥羽天皇の保安4年(1123)三神の神霊を名取河南飛鳥丘に地を相し
」という伝承。

これも熊野信仰に関係しているのか?と思ったら、
熊野三山より前に飛鳥の地名があったそうです。

「熊野堂飛鳥神社より」
「飛鳥は、枕詞の「とぶとり」からの起源といわれ、
推古天皇が都として約百年、政治の中心地でこの時代を飛鳥時代という。
~(省略)
この熊野堂のアスカは、縁起にある熊野権現歓請以前からの地名と考えられる。
大昔には名取郡に国衛・国のお役所があったと言われる。
そしてこの陸奥国の政治の中心だったことを認めざる得ない事実が最近発見されている。
この熊野堂から東北約4キロ位のところに郡山遺跡がそれである。

郡山は名取郡内で現在は仙台市に編入されている。
その遺跡調査の結果、東西428m、南北422mのほぼ方四町の占地を
行っていることが明らかとなった。
造営の上限は7世紀末、下限は外郭大溝一層出土の土器群、並びに併設された
寺院に使用された瓦の技法・文様などから、陸奥国府多賀城創建年代である
養老から神亀年間の前後と考えられる。
存続期間が短く、国府多賀城の造営時期に週末をむかえた」




仙台藩伊達家よりまえの名取を繁栄していた豪族がおり、
それから熊野三山が建てられました。
その後、伊達家が高舘へ入り、祈願している経緯があります。
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太白山の側にある「佐保山」という地名が前から気になっていました。
聖武天皇の陵墓を「佐保山南陵(さほやまのみなみのみささぎ)」といいます。


※奈良の地図

太白山に祀られている八幡神の御神楽が、今熊野神社の神楽と由縁があるのも
うなずける。
それは、ここが奈良の佐保山に由来するのかもしれないのです。
太白山に近いところが。


※仙台市の地図

陸奥国分寺には、大和町、紫波町の地名があり、
東北最大の円墳が発見された若林区一本杉の「法領塚古墳」があります。
一本杉ということから、水沢の角塚古墳を思う・・・。
角塚古墳(前方後円墳)にも、一本杉が立っています。
陸奥の大和を開こうとした貴族や豪族の墓であることは確か。



藤原不比等がよくでてきますが、息子4人を歴史用語として、藤原四家という。
長屋王の乱があった藤原四家(藤原不比等の四男)の中で、
藤原南家は、藤原豊成を祖とする藤原氏で「麻呂」という
名前をつける人が多い。藤原武麻呂や、丸子氏系譜?

昔、長屋王は、藤原四家によって殺されたという話があります。(自殺)
それから、聖武天皇の鎮魂が始まり、東大寺の大仏が建立されるのですが、
金を多く使っていました。
しかし、奈良や近畿地方ではあまり金がとれない。
陸奥国にはたくさん金があることを知った聖武天皇は、寒河江の慈恩寺を
勅令し、出羽三山周辺を金の修験として囲みます。
また慈恩寺は、名取熊野神社にも繋がっています。
もちろん、出羽派とも。

その系譜を守るために奥州藤原氏がうまれ、平泉に仏教の鎮護国家を目指しました。
鎮護国家というよりは、背景には金の確保があります。
しかし、単なる利益を求めたような話ではなく、
黄金をもっていることが天皇であるという力の象徴であり、
古~い時代までさかのぼると、南米ペルーなど失った王国に繋がるのではないか、
という妄想。黄金のナスカ→アスカ。



そのような金の信仰をバックアップしていたのが出羽三山の葉山信仰であり、
後に熊野信仰へ受け継がれたものと考えられます。
日本海は出羽国で葉山(羽山)信仰。太平洋側は陸奥国で熊野信仰。

日本海と太平洋側とわかれた藤原氏が、名取で出会っているはずです。
その仲介をしていた人に藤原実方がいます。
その役目として派遣されたのではないか、と。
砂金交渉という名目で、藤原氏意外の豪族との公約みたいなことも。
そう考えると、実方がキーマンにみえてくるのです。
とても重要な役目。
共通点は、どちらも神降ろしをした巫女がいた話を伝えているところであり、
出羽の阿古耶姫、陸奥の名取老女。どちらも、熊野と実方が関係します。

阿須賀--------------------------------------------------

紀州熊野新宮には、阿須賀神社がある。
阿須賀のスガは、砂などを意味する古語のスカからきており、
河口の砂が堆積して船が座礁するなどしたため、
大洪水などの被害を防ぐために水神を祀ったことが由来だそう。



スカというのは、焼畑の意味のあるスサからきていると思われます。
スサノオのスサでもあり。
スサからスカ。
菅谷というのは、古来から政治の中心地=産鉄用語でもある。
また、須賀神社というのもあります。
牛頭天王のスサノオを祀り、祇園の信仰です。



紀州の熊野阿須賀の地には、徐福が上陸した伝承もあり、
秦氏に関係するのですが、紀元前3世紀と古い。
「阿須賀神社の祭神は事解男之命(ことさかのおのみこと)、家都御子大神・
熊野速玉大神・熊野夫須美大神の熊野三所大神。
主祭神は事解男之命で、その本地(仏としての本体)は大威徳明王
(だいいとくみょうおう)とされます。
大威徳明王は水牛にまたがる六面六臂六足という異様な姿をしています。」

※阿須賀神社(あすかじんじゃ)より参照。  
http://www.mikumano.net/meguri/asuka.html

名取は広い平野なので、住みやすい所だったと思います。気候もよいし。
豊饒を願う意味でのお寺もありますね。
このあたり散策していると、門がまえが古そうなお宅が何軒かあります。
空気は、陸奥よりも出羽国っぽい感じ。
出羽から先に柵をもうけているので、その後、陸奥へ入ってきたと考えられます。
高舘は、山形の里にいるような感じがするので、この裏手の山を通れば、
秋保にいくわけですね。
平家落里であり、その先をもっと西にすすめば出羽国です。
あこや姫の路でもあり、藤原実方の路でもあります。
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