名取熊野老女物語

名取の熊野三社を開いた名取老女伝説について。

名取老女生誕の地

2017-07-29 | 名取老女伝説
岩沼で最も古いお寺、岩窟山岩蔵寺があります。
ここは、名取老女が生まれたといわれる「志賀」という地名。

岩蔵寺は、東照宮、仙岳院の末寺、清和天皇(貞観2年)円仁の開基(慈覚大師)。
江州志賀の薬師如来を勧請。地名の志賀は滋賀県から由来する。
 堂宇は飛騨内匠の作で本尊の薬師如来は秘仏とされる。

伝承:伊達政宗が拝んだあと、仙台に移す予定だった薬師如来像を
30人で運んだが、途中で重くなり更に30人を追加して仙台にようやく着いた。
 本尊なき後、岩蔵寺は無住になり、伊達政宗にお願いして返してもらったという。
 平安後期の作で、阿弥陀如来像、十二神将(秘仏)=室町時代作。
ここは、姥ヶ懐を通って村田町に出る古道になっています。






岩蔵寺遺跡とありますが、縄文晩期・古代の遺跡になっています。
また、ここには慈覚大師と大蛇の話がありました。
伝説は、こちらへ。
大蛇伝説 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/3208f2b675cb511fd9d0732149d9e4fb

このあたりは、志賀高原といい、ハイキングコースがあります。


車でお寺まで行けますが、かなり狭い道をいくので、歩いていく方が
いろいろな遺跡があるので、ハイキングがおすすめです。
このルートは、奥州平泉の砂金ルートだと思うのです。
そのような場所に、名取老女の痕跡があるのだから、
まさに熊野修験の道です。(画像下:裏道の古道)



志賀は、元は「指賀」と言われました。
指賀郷と玉前郷は、842年小野篁が伏見稲荷を分霊したと伝わる。
封内風土記では、「志賀邑」とあり、「南長谷邑玉崎と号する地なり」
前は崎が由来なので、「たまさき」とよむ。

志賀沢水系地域で、郷は、水系により境界をひいていた。
玉前郷は、入間田がある水系にあたる。

南長谷に志賀八幡宮があります。
ここには、黒川郡七ツ森のキャラクターになっている朝比奈伝承がありました。
「南長谷から逢隈を見ると、烏鳥屋山、七峰山が見える。その山、5、6条の
畝立した畑のような山ひだが見られ、「三郎の畑」という。
ある時、朝比奈三郎が大根を植えるつもりで畝立したところ、
鋤の先に大きな石が当たった。三郎は怒り、その石を投げすてた。
それが南長谷の深山の山懐の奥深い所にささり、投げられた為に
その石には、鬼のような面をしているので、鬼石とよぶ。」


鬼石の場所がよくわかりませんが、
同じ鬼伝承といえば、古道の村田方面、姥ヶ懐に何があるかというと…
民話の里がある鬼の手掛石。



伝承より「我が集落の中心地に「姥の手掛石」を御神体とする姥神様が祀られているのがこの手掛石。
昔、東北部に位置する姥ヶ森という山奥に子守沢という場所で老婆が大きな赤ん坊を背にし、
生活していたが、ある日、喉の渇きを覚えて水を飲もうと川辺の大きな石に老婆は手をついた
ところ、その石に手形がはっきり残り、それが姥の手掛石といわれるようになった。
その背中の赤ん坊は、成人してから京都で活躍した渡辺の綱とも言われ、里人の住人相集い
子守沢から現在地に移し、姥神様の御神体として古くは、渡辺一族、地域全体の守り神
として信仰を厚くしている。








水銀の産地には、碇(いかり)という字を当てるそうです。
鬼の手掛石がある新川を渡る小山に鎮座されているのは、不動尊(不動明王)です。

また、姥にかかる川は、三途の川と捉えます。
あの世とこの世の境とは、峠の水分といえます。
昔は車などなかったので、峠を越えることは至難の業。
亡くなる人も多く、「帰ってこない」ことから、峠があの世との境として
考えられていたと思います。
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岩蔵寺の階段の中央に、不思議なイワクラのような石がありました。
慈覚大師が大蛇と対戦した話が岩蔵寺縁起にありますが、
「大蛇の怒りを鎮めてみさかの石中にその霊気を祀り籠めて、
石上に不動尊を立て給う所なり」と、あります。
不動尊はありませんが、不思議なイワクラです。



なぜか、行く時は、全くこのイワクラに気づきませんでした。(上から)


石室みたいですね・・・。(下から)

熊野修験者は、探鉱者とよばれ、鉱脈は山谷の奥にあった為、山神として祀られていました。
砂金の洗取法は原始的な技術で、沈殿しやすい瀬や淵を探すのがコツでした。
大きな石の回りなどの場所を選定して「ネゴ」という荒縄で編んだ
幅三尺、長さ六尺ぐらいのムシロを敷き、川底の砂を掻き立てる。
ムシロに留まった砂を長さ二尺ぐらいの舟形にいれて流し、
洗い流しながらエリブネをゆすり砂金を選別したそうです。
(県内ふるさとウォッチング不動尊めぐりより)



根子や根古屋という地名が多いのは、砂金がとれた場所かもしれません。
また、そのような場所に不動明王を祀るのが一般的でした。
岩蔵寺も砂金を探していた修験の道でした。
そのため、ここにも入口に不動明王を祀っています。
ここは、藤原実方の歩いた道でもあるかもしれません。
その後、開拓の為にのりだした奥州藤原氏の道でもあります。
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ところで「姥」を鬼とするのには、巫女が関係しています。
名取老女も巫女でした。
天台宗には、名取老女が関係してきます。


白い馬の絵馬。手型がたくさん。
手型の意味はわかりませんが、イタコや口寄せの間で広まったものだと思います。


石碑の前に大石が埋まっています。
ひとつひとつの石碑にお参りさせて頂きましたが、文字はよく読めません。
ひとつだけ、「聖徳太子」の石碑はわかりました。
聖徳太子伝というのがありますが、天台宗は太子伝を元にしている事があります。

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業はカルマという意味があります。
気仙沼に紀州熊野の分霊を移した最初の?神社が「業除神社」でした。
「ごうのけ」という不思議な名前。
由来はわかりませんが、「業」という漢字をあてているのは、
インド由来の仏教が関係していると思います。

カルマを検索すると、業(ぎょう)とあり、サンスクリット語のクリマット(行為)から
由来し、死によっても失われず、代々アートマンに伝えられるものと考えられると。
アートマンはブラフマンで、宇宙の根源のことです。
これは、中国や日本にも影響を与え、「ウパニシャッド」という奥義、経典みたいな?ものに残され、
仏教以前からあるもの。その意味は「近くに座す」という意味。



そのウパニシャッドを、漢字で「優婆尼沙曇」と書きます。
優婆=姥は、元はウパニシャッドのウパが由来だということです。
カルマの法則を知っていた知識のある人々が、全世界に広め、姥神信仰となったのでしょう。
それを、男性の在家は優婆塞(うばそく)。女性の在家は、優婆夷(うばい)と呼びます。
蝦夷の夷は、女性のシャーマンの意味もあるのですが、
夷に女偏をつけると、「姨」になり、これも姥と同じなのです。
蝦夷の夷がそれです。

他にもこの意味には、妾(めかけ)や姉妹という意味があるのです。
例えば、山形(出羽)宮城(陸奥)に伝わる姉妹伝承には、
あこや姫があります。
姉の中将姫、妹の阿古耶姫。
この二人を結びつける修験者のストーリーというのは、
男女、姉妹、兄弟といった「2人」の関係があり、それを婚姻話にしている話もあります。
そこには、塞神があり、深い峠がある。

古代では正妻ではない女性の意味があったと思います。
蝦夷の地に姥神を封じるような話(鬼退治など)は、
妾のような役目をしていた巫女の存在があったと考えられるのです。
ウパニシャッドに由来するならば、罪とは人間に課せられた宿命な行為というものでしょうか?

しかし、その仏法が、かつての古いしきたりを、一風させようとした事がある。
古くから砂金とりなどをしてきた山民(修験者や巫女)を追いやったように聞こえる。

慈覚大師と名取老女が開いた奥州三十三観音霊場とは、
互いに異なる宗派によって開かれたような気もするのです。
古くは熊野修験や出羽修験といった神道(自然崇拝)があり、仏教により吸収され、
後に名取老女伝承として阿弥陀如来、薬師如来、観音霊場といった仏教世界に
登場させる巫女伝承としたのかもしれません。


(入口に不動明王)

さて、少しづつ名取老女の実態がみえてきました。
名取老女は、「旭若神子」といわれていました。
旭若神子の実態について。
つづく。
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