名取熊野老女物語

名取の熊野三社を開いた名取老女伝説について。

伊達政宗と葛西氏と旭神子

2017-08-10 | 巫について
伊達政宗生誕450年という事で、仙台では少し盛り上がっているようですが、
伊達政宗は先天性の目の病があり、隻眼(せきがん)=片目の失明でした。
「独眼竜」といわれていましたが、今より当時の時代を考えると、
相当な苦労をされたと想像できます。
実の母に毒を盛られた話もあり、幼少の頃から、片目という障がいについて、
苦労が多かったのは、前回でも書いた話ですが、
目の病は非常に多く、また、そのような方への差別という苦い体験は、
伊達政宗自身、身にしみて感じていたわけです。

アサヒ和歌神子伝説は、ネフスキイ(ロシアの日本民俗学者)の資料による。
オシラサマ研究で、東北の巫祖伝承を初めて採取し、研究の対象にした事で
価値があるといわれています。
巫祖伝承を研究した第一人者は、ロシア人だったのです。

その研究の中で、ワカと呼ばれる巫女の始祖伝承について、
「宮城県栗原郡」や「福島県伊達郡梁川」の八幡神社の地名が記載され、
これらは大和宗縁起のアサヒ和歌神子伝説によるものがあります。

これらの「アサヒ和歌神子伝説」は、巫女のあいだで口頭によって伝承されています。
例えば、岩手県二戸・一戸地方のイタコたちは、旧六月十九日のスズミコと、
十二月十七日にオトシトリという行事に参集するが、前者はイタコの始祖の
「アンチサ(梓)神様」が山籠りから帰還した日、後者は彼女が亡くなって
「若宮大神宮」と成られた日と伝えている。このような巫祖を祀るときに
巫女たちが、それぞれの師匠から伝えられた巫祖をめぐる話を披露しあったという。
その中で、伊達政宗について盲巫の間で口承されてきた事があります。

「昔は目の見えない者だの、皆、殺したったそうですよ。
そしたところで、仙台の伊達公の殿様の子供さんが目が見えない人が出たそうです。
そしたところで、その子供だから捨てるわけにはいかなかったそうです。
だから、その子供さんがおがって(育って)「私は目が見えなくても、こういうように
育ったんだけんども、民家でも私のような人だったら、どなたでも捨てられねがんべ」
って何やらそこ、あだうち(お返し)上げたいと思ったそうです。
その娘さんが片桐リュウコウさんという人だったそうです。
その方が、山形かどこかだかに月山様があるそうですね。
そこさ三年三月オコモリして、そうして帰りしなに、こういうふうな私たちの先代の
ことを伝えてくれたそうです。
そのときの山下がりが六月の十九日だったそうです。
それをスズミッコとして、その人祀ってやんすから。」

※憑霊の民俗:川島秀一より

月山様というのは、山形の羽黒神社のことです。
羽黒神社でオコモリした話が口承とされています。
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「宮城県栗原郡」や「福島県伊達郡梁川」に伝承されている
盲巫始祖伝承ですが、旭巫女は宮城県栗原郡、貝田巫女は梁川八幡宮となっています。
この2つの共通点に、何があるのでしょうか。
まず、伊達政宗の娘と、葛西氏(名前は不承)の娘が同じように盲巫として伝承されている事。
もう一つは、ある像です。

陸奥国の石巻や栗原郡を占拠していた武蔵出身(秩父平家)の豪族、葛西氏がいます。
伊達家と同じように、旭という名前の伝承がありました。

「登米の寺池城を本拠としていた葛西氏に、朝日という姫君がいた。
朝日姫は、葛西氏の家臣で志津川城主の千葉大膳太夫の妻となったが、
葛西氏が滅亡してしまい、流浪の身となってしまった。
その後、この地に現れ、里人達は行き場のない姿を哀れに思い、
白山神社の傍らに庵を建てて住まわせた。
朝日姫は、わが身の境遇を嘆き悲しみ、明け暮れに泣き暮らしたために、
盲目となり、世すぎのために巫女となり、「おかみ様」と呼ばれ
この地で一人寂しく没したという。」

※みちのく悠々漂雲の記 宮城県より

葛西氏の娘とされる朝日の伝承地は、
宮城県栗原市高清水佐野丁という所。
この場所は、旭神子始祖伝承の地と重なるのですが、
こちらのサイトの写真をみて、気になった物がありました。

これは、盲巫と関係するのか不明ですが、「ある物」が2つを結びつけていると
わかりました。

それは、神馬に乗った貴族の像。
祠の内部に鎮座されている像ですが、梁川八幡宮でみた像とよく似ているな~と思ったのです。


朝日姫住居跡にある像 ※みちのく悠々漂雲の記 宮城県より

2015年9月、福島県伊達郡梁川の八幡宮で、
「600年の時をこえて御尊像(応神天皇)特別公開」があり、
ご開帳に行ってきたのですが、その御尊像とよく似ているものでした。




梁川八幡宮



馬に乗っているのが、応神天皇とされており、
あまり大きい像ではなかったのですが、
その馬は、朝鮮半島から渡り北海道を通ってやってきた馬なのです。
大きくどっしりした道産子馬(どさんこ)と言われ、梁川八幡宮の馬と、
栗原市高清水の馬のどっしりとした特徴が、よく似ているのです。


どさんこ馬

つまり、旭神子の高清水と、貝田ワカ神子の梁川八幡宮盲祖伝承の共通点は、この像にあるのです。
八幡神社は応神天皇を祀っています。




三十三観音

また、梁川八幡神社は、伊達政宗と愛姫が初めて出会った場所で、
ここで愛姫(めごひめ)を迎えました。
正宗公は当時13歳、愛姫は11歳。
伊達政宗初陣の地であり、伊達政宗にとって、縁の深い神社です。
貝田という名前の由来は不明ですが、貝田駅があり、地名は残されています。


(政宗嫁とり)
※出会った日は、雪の多い真冬だったそうです。雪は足音が聞こえないので、敵に見つからない為に、
あえて雪の多い日を選んだ話があります。

妄想ですが、名取老女は、位の高い高貴なお姫さまだったと思います。
しかし、目が見えない人だったので、盲人のために修行をし、悟りを開くことができ、
そのような人に対して門戸を開いた人であったと。
それから多くの盲人が救われた為、「旭巫女」として伝承されたのかもしれません。

また、盲人の巫女に対し、旭という漢字を用い、
そうでない巫女は、朝日という漢字を用いるように使え分けるような意図もあったのでは?と。

さて、何度も旭や朝日というように、
盲巫に関係なく、多くの伝承には、アサヒという姫や巫女の名前が多く使われています。
「アサヒ」とつける理由は何でしょうか。

つづく。
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