名取熊野老女物語

名取の熊野三社を開いた名取老女伝説について。

名取老女の伝説 その2

2017-07-13 | 名取老女伝説
「老女と烏宮」
昔、中田村前田に一人の老婆が住んでいた。
早く夫に死なれて頼りにする身よりも無く、その上足を病んで歩けなくなった。
 ある時、老婆は熊野の神様は有難いと聞いて一心に信仰した。
毎日草鞋(わらじ)を作って貧しい暮らしをしていたが、
日に一足だけは神様に差し上げるものとして旅人から銭を取らなかった。
 一方、紀州にも似たような老婆がいた。





この老婆は目を患って同じように熊野の神社に千日詣の願掛けをしたら、
夢枕に神様が現れて
「奥州に脚の患う老婆に較べれば、お前はまだまだ信仰心がたりない。
奥州へ下って老婆を訪ね、共に熊野に参るがよい」とお告げがあった。
 紀州の老婆は杖を頼りにやっとの思いで奥州中田の宿で草鞋を作って
暮らしていた老婆の家にたどり着いた。



 紀州の老婆は訪ねてきた訳を話し、翌日二人の老婆は手を取り合って
熊野へと旅立って行った。 途中二人はお互いに励まし合い助け合って旅を続けた。
 ところが不思議なことに中田の老婆はひと足運ぶ度に足は軽くなり、
紀州の老婆は一歩毎に目は明るくなって熊野に着いた時には二人の病は治っていた。
 二人の老婆は熊野の神様にお礼参りをして、それぞれの家へ帰る事になった。

 中田の老婆が熊野の神様の分霊を戴いて中田へ帰る途中たくさんの
烏(からす)が群れをなして老婆を守り家まで送ってくれたそうだ。
 老婆は前田の地に社を建てて分霊を祀った。
烏の群れはしばらくの間その社の周りを舞い飛んでいたので
村人はこの社のことを烏宮といった。

(※太白区の昔話より)


(ジオラマ風)

烏宮守家・・・守氏の遠祖は、藤原叙用(のぶもち)。
藤原鎌足十世の孫にあたる。920年頃武蔵国に於いて神官を
奉職しはじめて斎藤氏を称した。
斎藤壱岐尉源七郎がその初代である。(通称:斎藤壱岐)

この地方の荘官として紀州熊野の信仰心が厚く、神の託宣を行う巫であり、
神霊の降臨を乞うてそのお言葉を取りつぎ、信者に告げる役目でした。

紀州の修験と名取老女は、夫婦だったかもしれない。
それは、「名取老女に会いに行く」目的があったからです。
その目的というのは・・・。



熊野那智神社から見る閖上の空がきれいでした。
名取老女もこの風景が見えていたのでしょうか。
心で見えていたのかもしれない。
海も光ってみえる。





光も、6つの花が咲いているみたい。
まさに六芒聖だね。
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