磨り減った山靴2

履きなれた靴で雨の日も風の日も思い出一杯奮戦記。

太陽が欲しい・・・・・

2017-03-07 13:54:53 | 早春の花

ちょっと・・・時間がありましたので、お花見に出かけました!

生憎・・・日差しが無くて寒いです。

折角咲いた花々も花びらを閉じたいしぐさに出会ってしまいました。

太陽が一杯・・・欲しいです・・・・・・


























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7 コメント

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梅は咲いたか~桜は~あ!雪が (あまるべの郷)
2017-03-07 16:29:51
なためさんの言っていたとおり雪に成ってしまいましたねあまるべの郷は雪で積り始めましたせっかくきれいに咲いているのに可愛そうですね~でも梅は強いので大丈夫でしょうなためさんと高原山に行く前に日本で三番目に成ってしまった所に行こうと思っていたのですが雪で困りましたね、熱さ寒さも彼岸までと言うけれど・・・もう少しで春彼岸ですね・・・彼岸あけに出かけましょう楽しみにしていて下さい、一人ぼっちではないですよブログのみんながいるじゃないですかいつも見守っていますよ元気出してくださいなためさん!
急な雪・・・ (なため)
2017-03-08 05:57:46
あまるべの郷さん!
今冬一番の雪の降り方でしたね?

今朝は雪の状態は如何ですか?
今日は八方g原に出かけようとしていますが、道路が心配です。
雪次第では予定変更・・・・・

あまるべさん (ハクセキ)
2017-03-08 08:56:08
突然ですが、あまるべさんのブログ名は倭名類聚抄からとったものですか?この塩谷地区のどこにあったものなのでしょうか。興味があります。
さすがハクセキサン! (あまるべの郷)
2017-03-08 14:24:11
ハクセキさん、ご質問有難うございます、いつかはこのブログ名に質問が来ると思っていました特に塩谷郡の方々から疑問視されるだろうと考えて居ました、ハクセキさんとなためさんは10年程前高原山の黒曜石並びに住居の発掘調査に出席して居る事を最近解りました、また元矢板市の職員で金沢に住んでいる野球部の先輩H・Uさん(ハクセキさんの後輩?)方や色々な方々が携わって居た事も認識しました、またこのような形で(ブログを通して)恐れ多くもなためさんとハクセキさんのよな郷土史研究の先生方と知り合いになれた事は驚きと共に喜びでもありブログ名の質問に困り果てているのが本音です。
まず、倭名類聚抄からとったものですかの質問ですが最終的にはそうなると考えて居ます、元々旧塩原町は昭和54年の郡変更前は塩谷郡に属していた事はご存知だと思います、昭和55年度に塩原町誌が発刊されましたがこの本は当時の町長と塩原町誌編集委員会,塩原町教育委員会、塩原郷土研究会、塩原町誌編集纂専門委員会。栃木県立図書館、国会図書館、田島町教育委員会、矢板市立足坂内氏、塩谷町道下柿沼氏、塩谷町船生斉藤氏、氏家町押上長嶋氏、栃木県史資料、塩原各地区の資料提供者となって作成したとなっ居ます、最初は塩原町誌を見てブログ名を決めましたが結果的には倭名類聚抄から引用したことになります。
次に塩谷地区のどこにあったのでしょうかの質問に正直に答えるとすれば私の見解では現在の処定かではないと考えています、ブログでは現在の矢板市のシルバー大学校の所とかさくら市の上河戸地区とかの説があるようです、元々餘戸郷は全国何処にでもある名前で引用されていたと思います、幾つあるのかと調べた事もありましたがこれも定かではないと考えて居ます、駅家郷、神戸郷と同じだと考えて居ます、ただ塩谷地区の何処にと問いかけられると困ると共に難しです、今後の研究課題だと考えて取り組んでいるのですがただ塩原町誌にはこのよな説明が記載されて居ます、和名抄(倭名抄)にある塩屋の郷名(村々)は山上、片岡、阿會(アカアイ)散枝(サヌキ)山下、餘戸、漁ドロ(スナドロ)、とあり、それは現在の左記村々に当たると伝う。
(旧東京帝大 大森金三郎教授の説)と書いてあります。

(地区)

山上郷ー高原山北面、高原及び塩原 (当時塩原、古湯本温泉、八郎原、郷をなしていた)諸資料より

餘戸郷ー河川筋、関谷、金沢、田野、宇都野、上大貫
下大貫)
崇神天皇の皇子豊城入彦命をして東国を治めしむ。
命、下野に入る。嶽山に登り掃根山と命名すと伝う。
これより掃根(箒根)の名始まる。

山下郷、ー玉生、船生地区

散枝郷ー船生地区

片岡剛ー大槻、乙畑、松嶋地区

阿會郷ー泉、矢板地区

尚、其の頃氏家、新田(熱田、ニイタ)は芳賀郡に属している。
今より凡そ九百年前~千余年以上の昔から、今日の塩原箒根の郷名が存在した訳である。と書いてありますが確信ではなく研究課題です、また編集委員会の考えはこの本は一つの歴史書でございます。歴史書に完全を期することは先づ不可能でございます。今後これをたたき台にして今後、後人の更に深い研究と資料の開発によりよりよい塩原町誌の完成を期待するものでございますと述べて居ます現在郷土研究会はこの意志を継いで勉強会をしています、今日も夜7時から定例会です今は御巡見史が江戸からたどり関谷、大田原までの道のりの古文書を解読する勉強会をしています、先頃も大田原の方が入会しました、矢板にも御巡見しが川崎城下に宿泊していますね、矢板、塩原は高原山を中心に栄えた郷だと考えています、ハクセキさんは色々と詳しと思いますので今後ご指導お願い致します、だいぶ長くなりましたが答えに成りましたでしょうか心配です?。

追伸・・・ (あまるべの郷)
2017-03-08 16:30:04
ハクセキさん、間違えました山下郷は玉生と大宮地区でした失礼致しました。
あまるべの郷 (ハクセキ)
2017-03-08 17:05:26
H・U君とは週1回きずな館で会っていますよ。昭和40年代に伴内・柿沼・渡辺・長嶋の各先生方が対談を行っています。そこに餘戸が出てきています。その時のテープを聞き直して見ます。それに御巡検使街道の古文書をお持ちですか。大変興味があります。是非見てみたいです。
ハクセキさん! (あまるべの郷)
2017-03-09 10:09:34
ハクセキさん!昨日の御公儀様御巡見日記帳の古文書勉強会は27ページまで終わりました、私も入会したばかりで良く解りませんが昔の様子が手に取るように解るのがとても楽しいです、また想像が膨らむことの喜びを感じます、古文書と説明書を付けた写しを見ながら説明と質問をしたりして和やかに勉強会を行って居ます、会員の皆さんは私からすればみな先生ですレベルが高いですついていくのがやっとですが解らない事は教えて頂けるので助かります、古文書勉強会が終わりましたら現地を見て回る予定です、今までも勉強会をしてから現地視察と行いますのでより楽しいのと理解力が付きます、ハクセキさんもしよければ古文書の写しコピーしますよ後で連絡下さい。
郷土研究会の方にハクセキさんの話をしましたが皆さん良くご存知で矢板、塩谷では郷土史では詳しく凄い人だと話していたので驚きました。

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