宵渋日記

セカンドブログです。北野武監督、サザン、フィギュアスケート、バレエ、王室皇室まで幅広く。

日曜美術館

2017-04-21 12:10:24 | 北野武監督

ピカソ×北野武と銘打って、ピカソと北野監督の共通点を見出すアプローチが面白かったです。

北野映画のシーンが実際に流され、サントラも効果的に使われ、北野ファンとしては嬉しい演出でした。

それ以上に北野さんのピカソ論が秀逸だったので文字として残しておきたいと思います。

北野さんの絵画の解釈の仕方は好きですね。

素直な感性で絵画に接して構えがない。

それでいて鋭くて、深くて、絵画への敬意をもって自分の言葉で語る。

美術評論家の薀蓄を聞くより面白くて納得させられます。

(過去記事→ 「超訳ルーブル」

 

ピカソのすごさ

ピカソのすごさってよしとなるものはあらゆるものを吸収しにかかるというか。

それに技術が伴って螺旋のように上に上がっていくという、この人の貪欲さってすごいなと思う。

北野さんお気に入りの「泣く女」

泣く女というタイトルなんですよね。

国立かな、見に行ったことがあるんですよね、単なる泣く女じゃない、

下町に半狂乱になったおばさんなんですよね、うちの近所にいそうなおばさんなんですよ。

旦那が棟梁だったりなんかして、酒癖悪くて、お互いに酒癖悪くて殴り合ってケンカに負けちゃって

出てけとか言いながらタオル口にしてわんわん泣いてるんだけどその感じがするんですよ。

自分は間違えててこの絵を見た時感情を前面に描く絵を描きたいなと思ってね、真似して悲しむ男っていうのを書こうとしたんですよ。

そしたらとても書けない、悲しいじゃまずいんですよ、悲しみの裏に怒りが見えないと。

だけど怒りだと危ない人に見えちゃうんですよね、でも悲しんでなきゃいけないんですよね。

モデルは愛人の写真家ドラ・マール

知的で才気あふれる女性だったが感情の起伏が激しくよく泣いた

感情っていうのは必ず怒りと反対側の愛情とか。

自分の映画でなぜあなたは暴力を突き詰めたような映画を撮るんですか、暴力をやめようという時代にと言われると。

振り子。振り子がプラスマイナスゼロの所にあってプラスの所に暴力があってマイナスの所に愛があるとしたら、

+10は暴力、-10の愛になる可能性、ポテンシャルエネルギーがあるってよく説明するんですよ。

だからものすごい暴力はものすごい愛に変わる位置エネルギーがあるって説明するんですよ。

中途半端な暴力は中途半端な愛情表現でしかないみたいな。

よく愛が高じて相手を殺してしまう小説とか映画あるじゃないですか。

それの感情ってのは判らないでもないんですよ、

泣く女見ると怒ってんのと泣いてんのと両方とも相乗効果で二つの感情が同時に爆発してる感じがあって、

やっぱりピカソは画家だなっていうのは色使いなんですよね、緑とか。これ肌色だったらつまんないですよね。

原色って生って感じがして悲しさも生、怒りも生で生同士がうまく混ざり合うというかね。

ずっと見てぱっと背けるとえーと指がどうだったかな、思い出さないんですよね。

この絵は覚えてくださいっていったら判らないでしょ。

この絵は相当集中して見てもそれをはぐらかすような。ちょっとどんな絵だったかかいてみてって言われたら絶対書けないと思う。指、歯の形、よくもここまで崩せるなっていうか。

ピカソの青の時代と北野監督の「あの夏、いちばん静かな海」

横須賀とかあっちの方で撮ってるんだけど、綺麗じゃないんだけど、コンクリートの塀、をよくみると単色でモノトーンでちょっとグレーがかってて海と見るとグレーがかったブルーでいいなあと。傘ブルーにしたり。

反対側は看板とか黄色い看板になんとか食堂とか書いてあると映したくないわけ。

とにかく単色単色でモノトーンだけで取ろうとした。それが二人の世界の中では美しい世界だ、海のブルーと空と。自分では綺麗な絵が撮れたと思う。

青とは自然の中に常にあって、他の色を必要としないんじゃないかという気がする。

青で夜も表現できる、昼間もできる、ブルーの濃淡によっては全然違う世界、青一色で緑でもないんだよね。

空も青だし海も青、空間も青、人の心もみんな青でできちゃう。

青って許容量がいっぱいあって青自体が描く人も見る人に対しても一つのキャンパスになってる感じ。

その青に対して書く人も見る人も自分の考え方も投影する。

キタノブルーはあくまでも過程であって一番辛いのはキタノブルーと言われちゃうのが辛いんだよね。

ヨーロッパにいくとキタニストっていうファンいて最近キタノブルーないねっていうけどあれはあの映画の色であって一回あたったからといって二回はそういう映画はやだなあということはある。

ピカソはいい意味で飽きっぽいんじゃないかね。まだ違うのをやりたいっていうか。

全然無名な画家の絵を見てもこの人は触発される人だと思う。

誰も認めてないのに見た瞬間にひらめいたりトイレのいたずらがきじゃないけど猥褻な絵見たってピカソはいいねこれはと思っちゃって自分の絵に取り入れるんじゃないかな。

一発芸人じゃない。二発目になったら落ちて落ちて落ちて最後忘れられるっていうんじゃない。

ピカソは一発目、下にあっても上がってくるんだよね。

前の作品よりまだ受けるやつを作ってくるっていうすごさあるね。進化が止まらないんだよね。

北野さんも変えてきてますね?

結局飽きるんですよね。

前漫才やってたころは十日間工業でしょ、我々が売れてきてファンが通うんですよ、十日間のうち5日とか、下手すれば十日来るファンもいるんですよ、毎日昼夜ずっといるんですよ。

同じネタできなくなるでしょ、そうすると前のネタを壊そうとするんですよ、うまくいくともっと受けるんですよ。

ピカソも絵に関してはまあ壊しますよね、なおかついいもの見つけてるから再構築して。

原寸大のゲルニカ登場

ピカソは描き直していた。

やっぱあの牛だね、前はあの牛が圧倒的な力で押しつぶしてたような感じがするんだけど、フランコ政権がナチスドイツ使って表してた感じがあるけどそういう風に見えなくなって。

時代が生んだ権力者、時代が作ってしまった権力者がぽつんといるようにしか見えない。

当時の社会の中にナチスがポンと浮いたと言うか出てきちゃったんだなっていう。こうなると宗教的だよね。

単なる抗議する絵ではなくて、善悪の問題とか苦しみとか楽しみとか悲しみとか人間社会の愚かさとか生き物の儚さとかみんな入れたような達観したような絵になってるなという。

ゲルニカはやっぱりすごいね。ヨーロッパの激動する中で戦争ということを考えたり内戦があったりなんか考えるとそれに対する怒りが小さすぎるっていう感じがあるのね。

人間そのもの生き物そのものの本質的な姿って言う生きてることに対する生き物の儚さと愚かさとみんな書いてある気がするんだよね。

北野監督は映画を作る上で不変性を意識するか

禅宗とかお坊さんの言うように人間は生まれて飯食って死んでいく、これが人間ですって言われるとそうかなと。

その中にいろんなことがついてまわるんだよ。その一部を切り取って恋愛映画撮ったり暴力映画撮ったり、なんとかに感動する親子の関係を撮ったりするけど、

所詮人間は生まれて死ぬことっていうことになっちゃうんだけど、その単純さをいかにアーティストとして広げていくか、どこの部分にスポットあてるかの勝負じゃないかな。

ピカソの晩年は評価されてなかったが評価されつつある

晩年の絵「男の顔」登場

ピカソって聞いたからかな、聞かなくて置いてあってもすごいと思うけどな。

何気なく置いてあっていろんな絵見てなんかいい絵あったとなったら俺これ選ぶと思うんだけどなあ。

俺この辺はすごいと思うけど。こっから上だけだとちょっとあれだけど、これをすごいと見せるためにはこの描き方だろうと思うのね。

何気ないけどすごいような気がするんだけどなあ。

真似できるものではないですか?

真似るっていう行為はいい所を真似てるんじゃなくて悪い所なんでそれを真似ちゃうから真似事って絶対駄目だって言われたことあるけどね。

あの人の真似やってそっくりじゃないかってなったらそっくりってことはいかに下手な部分をやったか、コロッケが真似するときに一番悪いとこしか真似してないじゃん。

絵を真似するのは下手するとその画家があまり気に入ってとこ描いてしまってる可能性はあるよね。

ゲルニカは構図として成り立ってるよね、バランスがきれいに枠の中にうまい配置にしてあるよね。

これはそんなに考えてないよっていう。わーってやっちゃったっていう所が。わーってやっちゃったこと自体が長年ああいう絵描いて培ったものが一気にここに叩きつけたって感じ。

ピカソって桁が違う人っていうか次元違う。

絵を描くとか描かないとかいう境地じゃなくなってきてんじゃないか。

ぱっと起きてこういう風にやって空気吸うように背中かこうが絵描こうがいいじゃないってとこまできたのかな。

絵に対する評価も別にっていう、駄目な絵でも悪い絵なんて感覚はピカソにはないんじゃないかなと思う。

判定もつけないっていうか、ただ描いただけだからいいんだよっていうそこまできてたのかな。

70才を迎えてこれからは

今まであまりにも考えてこなかったんでこれからはじっくり考えて映画とってみようかなと。

逆転してるの。

今は映画の台本の一言一言にうーんてやってるわけ、昔は紙を役者さんに渡しててこんなこと言ってくださいって言ってよーいスタートって。

「あ、すいません、てにをはが」って言われて「てにをはなんてどうでもいいの」って。

今は「なんですよ」って「よ」まで言ってくれませんかって逆になってきちゃって、今は急に丁寧になってきちゃってこれはまずいなって思ってるんだけど。

これから役に立たないいつまでも撮ってるじじいになると思いますよ。あいつやめねえからもうって言われて。

ピカソの運の良さって言うのは自分の年齢とか体とか一切関係なく好きなことをやれる境遇に自分自身の実力でしちゃった。それは幸せだなあと思いますね。うらやましいですよねこういう人。

 

ーーーーーーーーー

収録後スタッフが来て「良かったですか?これは(男の顔)」と北野さんに聞いているのが印象的でした。

北野さんのために運んだんだろうね。原寸大のゲルニカもそうだ。

北野さんへのリスペクトあふれてますね。

「いいねえこれは描けないよね、オイラだとピンポン玉半分に切ってメガネに張っちゃうんだよね、それで失敗するんだよ」

と言った北野さん。ここまで放送してくれてファンとしてありがとう!という感じで。

「面白かったやっぱすごいね」のたけしさんの言葉で番組終了。

この終わり方も心憎いな。

しかし北野さんという人のふり幅の大きさよと思います。

片やバラエティでパイまみれになりながら、一方で美術も語る大きさ、深さ。

こういう人大好きです。なかなか現れる人じゃないでしょうね。

上質の美術番組でした。

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