志情(しなさき)の海へ

琉球弧の潮風に吹かれこの地を掘ると世界と繋がるに違いない。世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

オスプレイではなく蝶や小鳥が飛び交うキャンプ・シュワーブのはず(?)で、新基地建設反対はシュワーブの返還・開放をなぜスローガンにしないの?

2017年05月13日 19時49分38秒 | 沖縄の過去・現在・未来

辺野古の埋め立て、巨大軍港付き米国海兵隊基地に反対する多くの沖縄の人々がいる。基地の増強を賛成する人は少ない。しかし、平和運動のリーダーたちや沖縄の政治家の運動の推進の方法論にちょっと疑問を覚えている。オール沖縄の妥協点に埋め立て承認撤回を曖昧にする政治的条項が最初からあったことよりも、キャンプシュワーブの返還や開放を訴えない運動に欺瞞を覚えている。翁長さんの選挙キャンペーンでかりゆしグループの平良さんは、『オスプレイではなく蝶や小鳥達の飛ぶキャンプ・シュワーブ』を訴えていたと記憶している。辺野古崎が米軍基地ではなく、平和パークになりそこにホテルを建設したら今以上の雇用が生まれるともお話していた。しかし、現実に、平良氏はその持論を反辺野古の運動に生かしているのだろうか?単に選挙に勝つための政治的キャンペーン(美辞麗句)だったのだろうか?

確かにオスプレイではなく蝶や小鳥達が飛ぶ辺野古は素敵だと単純に思った。蝶や小鳥たちが飛んでいる緑深いキャンプ・シュワーブを一瞬夢見た。しかし、敬愛すべき「沖縄平和運動センター代表」山城博治さんも、「キャンプシュワーブの返還・開放」をスローガンにしない。現況を見ている限り、シュワーブ内部から埋め立て準備が始まっている。つまり最初から見えていた状況があり、それらに対応しえない反辺野古新基地運動だったことが解る。

かつて稲嶺知事が『軍民共有』で15年期限で許可した政策が思い出される。沖縄の政治首脳のぎりぎりの巨大国家権力(米国&日本)との闘いの痕跡である。翁長さんは安保容認で正論を外国記者クラブで発言している。正論である。沖縄を紹介した。自ら基地を望んだわけではない歴史を語った。 米軍が強制的に土地を奪い、治外法権で占領した戦後27年があり、治外法権は変わらず現在に至る。戦後72年、日本復帰して45年だね。やれやれ!

沖縄側の良識、民主的な意志表示が情容赦なく中央政府やアメリカの政策(日米合同委員会)によって踏みにじられる現在進行形の日々である。日本政府の意向は、日米合同委員会の決定によって指針が成されるのである。

アメリカの従属国家であることをいみじくも示している日本の政治だという事実の前に、唖然とするが、それも日本という国が水のように背骨をもたず、大国の意向、世界の潮流を見据えながら幾重にも身を豹変させながら、時に闇の権力に鞭打たれながらも、サバイバルするための施政だということが浮かんでくる。国境に関係なく人間は人種や民族、国籍を越えて移動する時代である。古来人は移動し、融合し、離反しつつ、戦争を伴い、弱肉強食の熾烈な闘いを繰返しながら現在に至る。よりよき進行形の民主主義を求めながらー。そうだと考えたい。

地球惑星の一体感が地球規模の統合・統治や経済活動を伴うようになった21世紀、この混沌として秩序があり、様々な思惑、金融、陣営が競合しあう世界!全人類を対象とする法体系が追求されている中、格差社会は残り続ける。デジタル化しつつ、進化【退化?】している地球でもある。尊敬すべきチョムスキーは警告を発信し続けている!

しかしなぜこれほど多くの基地機能がこの小さな島に必要なのか、基地が戦争と一体だということ、その潜在的不安が明るく見える亜熱帯の島の底で流れているのも事実である。日本復帰の前も核や毒ガスの存在は脅威の対象だったのだ。

生きながらの囚人のメタファーは確か、9・11の後でもホテルカリフォルニアの歌によって拡散したかと思えたが、存在そのものの有期性や死すべき存在だという事実の前で、通り過ぎる夢を生きているような錯覚にも陥る。現実は夢で、夢がリアルなのか、とー。夢の中で未来の真実【出来事】が予測できたりするのも事実だ。

辺野古のキャンプシュワーブが平和公園になり蝶や小鳥たちが飛び交い、大浦湾にはジュゴンがやってくる夢を見ていたい。

キャンプ・シュワーブの返還・開放を当初から目指さなかった反新辺野古基地の運動である。すでにメディアで開示された巨大軍港とオスプレイ基地の青写真が脳裡に刻まれている。それは嘘(夢)で、実際は緑溢れる蝶や小鳥が飛び交い、世界から平和パークで長期滞在する観光客が溢れる辺野古崎であってほしい。しかしその青写真は一度もメディアに掲載されたことはなかったのだ!インプットされた巨大軍港とオスプレイ基地は、返還・開放されないキャンプシュワーブと一体となってそこにあった!やれやれ!わたしは辺野古に行きたくて行けないままだ。

沖縄の哀しさと逞しさ、貧しさと豊かさ、忍従と智恵(処世)が世界と手をつなぐ日々だろうか?

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