志情(しなさき)の海へ

琉球弧の潮風に吹かれこの地を掘ると世界と繋がるに違いない。世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

3月21日、小雨降る夕暮れ、上間初枝さんの初七日、きさ子さんや玉城秀子先生とお話したひととき!

2015年03月22日 12時27分24秒 | 女だけのうちなー芝居劇団「うない」

                              (凛々しい上間初枝さんの男役の姿!)

東京で頭部の大きな手術を経て回復後、沖縄に戻ったきさ子さんと小禄の画廊喫茶で初めて会った時、彼女の目の涼やかさに魅了されていた。そして、21日の夕まぐれ、伊舎堂千恵子さんとご一緒のきさ子さんのお話に耳を傾けていた。お母様の初枝、本名よし子さんの事をお話するきさ子さんがとても綺麗に見えてただ見つめていた。琉歌をつらねのように唱えた彼女の声音に、涙をこらえる姿に、美しかった女優(男役)の初枝さんを語ることばの一つ一つに真実が込められていると感じていた。これまでお聞きしたことのなかった母と娘のこの間の生活の一端のお話など、また今帰仁から那覇にやってきた頃の事柄、間 好子さんとごいっしょに玉城盛義さんに琉球舞踊を習っていた話など、この間母娘で語られた貴重な証言がすこしずつこぼれでた。きさ子さんはお母様のお話をビデオカメラにとって残してきたのである。「乙姫劇団」が戦後沖縄で52年間活躍してきたその実証記録でもある。

美しかった「乙姫劇団」の看板役者(男役)上間初枝さんの、生き方は、戦後稀有な名優真喜志康忠さんの芸を支え、同士として、対のパートナーとしてご自分もまた芸道を貫いてきた人生だったのだ。寡黙な方だったので、今後上間初枝さんの実像については、きさ子さんが戦前の辻の女性芸能者たちの芸を含め、一冊の書としてまとめてくださると期待している。上原栄子の『辻の華』ともまた異なる戦前、戦後の女性芸能者の書が登場することになりそうだ。

『琉球天女考』を書いたきさ子さんは、一次資料を丁寧に彫り込み、丹念に現場に赴くスタイルを崩していない。今後新たな記録を網羅した女性芸能者の真実がまたあきらかにされていくだろう。芸能だけではなく、近・現代沖縄の歴史でもある。

しばらくして、玉城秀子、静江先生ご姉妹が見えた。そこでまた昨今の初枝さんの写真をみながら話が弾んだ。お二人のお母様の初子さんは、初枝さんが十八番にしていた「チャー木の精」の脚本を書かれた方である。「乙姫劇団」の戯作者のような方でまた目鼻立ちがくっきりした美しい方だった。乙姫劇団の舞台を当初からよくよくご覧になってきたお二人である。秀子先生と上間郁子団長のつながりの深さについては先日のシンポジウムでもすこしご紹介したが、秀子先生が劇団「うない」の舞台を見るとき、在りし日の「乙姫劇団」の看板役者たちの芸を透し見ていたのである。若い役者の役柄の背後に華やかだった乙姫の舞台を見ていたのだということにハットした。一人一人と「乙姫」ゆかりの役者も召されていく中、かつての乙姫の芸をどう継承していくか、劇団「うない」の課題も大きいようだ。若者たちが多くなった女性だけの劇団が、鍛えられて「乙姫劇団」の芸風とレパートリーをを継承し、さらに独自のカラーで観客を魅了してほしいと念じてやまない。秀子先生や節子先生たちが、在りし日の「乙姫劇団」を見つめていた眼差しの光景を覗いてみたいと思ったひと時だった。

秀子先生と静江先生は写真の中の初枝さんをみながら談笑し、話が弾んだひと時だった。玉城流の盛義先生が「乙姫劇団」の師匠でもあった。お母様の初子さんの劇団への貢献も大きかったのである。伊舎堂正子さんのお嬢さんの千恵子さんの優しい心根がきさ子さんをまた支えている姿にも感銘をうけた。お二人は乙姫劇団の頃から子役としてご一緒に舞台にも立ったのである。

(写真は、きさ子さんや秀子先生の了承を得て撮らせていただいた。謝)

 

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