志情(しなさき)の海へ

琉球弧の潮風に吹かれこの地を掘ると世界と繋がるに違いない。世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

「9人の迷える沖縄人」再演の観劇、んん、初演よりはるかに良かったですね!考えさせられる現代劇です!

2017-12-04 12:35:25 | 沖縄演劇

  (写真は高宮城実人さんと宇座仁一さんです!ウチナーの財産(沖縄芸能)の中軸を担っていますね!)

100人の劇場の雰囲気がいいと感じたひと時でした。観劇後の出演者とのトークも良かったですね。ある面で等身大の現代演劇です。21世紀現在から40年以上前の復帰を9人で論じるという演劇構造です。どこからどこまでが舞台上の作品でどこからリハで彼らの生身の現実か、それも脚本(作品)、それを現実の辺野古の問題や普天間、嘉手納の広大な基地の問題との絡みで、見据える観客席のまなざしがあります。つまり復帰は極めて切実な今の問題でありつづけるのです。20歳の島袋さんが米軍・軍属(元マリン兵)Kenneth Franklin Gadsonシンザト・ケネフ・フランクリンに殺害される惨事が去年あり、今月、無期懲役の判決が出たばかりの沖縄であるゆえに、『お笑い米軍基地』とも異なる切実さが背後の空気として流れています。備忘録として感じたことを書き留めておきます!

1972年の復帰問題を9人で問うという形式ですが、現在の視点から問いかける仕組みになっています。浮きあがってくるのは変わらない沖縄であり、昨今の思潮としての独立論や地位協定の問題であり、母子家庭で母親が基地で働き育った青年の葛藤が強烈に迫ってきます。青年の母親は、進行形で米軍車両で交通事故に遭遇し、病院に担ぎ込まれている物語です。「何が善で何が悪か分らない」ということばが響き、「考えるんだよ」の言葉が響きます。

本土復帰大賛成の論者は復帰後世代が演じている役者のからくりもあり、二重三重に楽しませるのですが、新しいのは独立論と『地位協定』の問題です。新聞思潮は復帰前は「日本国憲法」への賛美がありました。日本国民になることによって人権が保障されることへの期待感、経済的に潤ってきている(GNP・NO2)日本のシステムへの憧憬が強かったですね。祖国復帰が大きな看板で辺戸岬でも松明を燃やすようなイベントもありました。芋と裸足論も出ました。アメリカ占領軍政府と琉球政府による従来の統治形態を維持せんとする保守派も多かったのですね。でも圧倒的に日本国憲法への帰依が強かったのです。そこから反復帰論も登場しました。

舞台の中では日本が何億円もの金でアメリカから沖縄を買い取った構図も見せましたね。アメリカの既得権はそのままで日本が沖縄を利用する構図です。それは復帰後の構造そのままです。つまり「9人の迷える沖縄人」ですが、迷ってはいないですね。事実関係、歴史はデーターとして提示されていました。ただ抜けているところももちろんあります。

海洋博覧会の問題、利益が大和資本に吸収されていく沖縄が語られます。基地ゆえに金のなる木である沖縄のシンボリズムも浮遊しています。言葉と文化の問題では沖縄芝居役者として登場した宇座仁一さんが存在感のある演技を見せます。阿麻和利の一場面は見所です。役者の身体として芸能者の宇座さんの迫力は言葉の重さであり、その身体の重さです。軽さが沖縄の二才やヤマトンチューーの福永の役だけれど、福永のように、日本社会の仕組みが厭で沖縄に移住してきた日本人も居るのですね。

ちゃんぷるー文化の中で維持される沖縄アイデンティティですね。台本で不思議なのは、現時点の時間軸が曖昧で、辺野古も高江も普天間も語られません。いつの時点から見た復帰を語る物語かちょっと曖昧ですね。意図的に辺野古なども避けた作品になっています。

普段着感覚の演出・演技は、普段着の感覚で彼らの論議に観客席から声を出したくなります。次回はそうした試みをやってみたら面白いかもしれませんね。地位協定や独立論が声高に表に浮上してきたのは21世紀以降ですね。(そう理解しているのですが、新聞をめくる必要がありそうです)その点で辺野古や普天間に言及させないこの演劇の物足りなさもありますね。箍にはめられて戦後の構図は変わりません。嘉手納の広大な米軍飛行場は動きませんね。普天間は沖縄内の盥回し(辺野古への移設)で、未来ビジョンが見えてくるだろうか?

天皇メッセージ等も登場しませんね。印象的なのは、やはり独立論と地位協定の問題です。作品をきちんと分析したいのですが、そういえば冒頭から司会は司会として空中分解してしまいますね。「何が善で何が悪かわからないのです」という叫びで終わりですが、観客に現代史≪現在≫を考えさせる効果は抜群ですね。発見と考えさせる舞台です。

ここから次の可能性『言葉』が登場していくことはありえますね。例えばオバーを演じた福岡出身の犬飼さんが思っている現在の沖縄への言及、矛盾の渦を吐き出していく舞台、そこで立ち止まって現状を見据えることもできます。未来へのビジョンと現実の渦(矛盾)の中から言葉が立ち上がっていきますね。地位協定と独立論、そしてウチナー役者の言葉への拘泥とその身体の実在感がもたらすものの意味、とは何か?変わることのない米軍人軍属による事件!嘉手納基地が投機対象として目玉であり続けることなども含め、きれいごとだけでは判断できない沖縄ですが、子供の貧困率は日本平均の倍ですね。離婚、出生率も高い沖縄です。小さな島の問題だらけの現象の中で持てる者たちもまた多いのでしょうか?軍用地地主、不労所得による豪邸が並びます。基地があるゆえの犠牲も続きます。

基地をなくするための運動も続きます。圧倒的に不利益をこうむっている人々と利潤を吸い上げている人々もいます。一面的ではない琉球列島の島々の姿が浮かび上がってきますね。しかし、基地は戦争と繋がっていますね。戦後ゼロ年の沖縄であり続けているのでしょうか?               

嘉手納、辺野古、高江、普天間の問題は基地の問題です。0・6%の島々に70%以上の米軍基地が実在する事実と共に日常の生活が続きます。F35が金属音を撒き散らしています。自衛隊基地から飛ぶヘリもうるさい日常です。基地の島沖縄の現実はホテルがニョキニョキ建っていきます。ビーチは観光リゾートになっています。国際通りは観光客通りになっています。ちゃんぷるー文化沖縄の根はどう残していけるのでしょうか?文化がアメリカインディアンの居留地のように、ハワイの土着文化のように単に観光資源になり、それらがハゲタカ資本に喰い散らかされ、利潤を吸い取られる構造の中にあり続けると考えると、ディストピアになりますね。そうではないビジョンはどの当りにあるのだろうか?アジア太平洋の市民レヴェルの連携だろうか?

この現代沖縄演劇は何度でも繰返し上演してほしいですね。繰り返される中でジワリと浸透していく力を秘めていますね!今回10人の役者がなかなかいい雰囲気でした。見慣れた役者の力量はいいですね!まず100回のステージを目指すことも可能ですね!フランスで毎日のように上演されているイオネスコの『授業』のように。『9人の迷える沖縄人』の題名は、何を迷っているのかと、注目度はあるのかもしれませんね。迷えるが気になったのだけれどもー。

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