えむこの小部屋

音楽と写真と自然と・・・・

秋田 角館

2010-10-15 08:43:37 | 岩手秋田旅行
田沢湖のたつ子姫の像を見てから、東北の小京都と呼ばれる角館に来ました。
たくさんの武家屋敷があります。


駅からの歩きですので、デジイチを首からぶら下げるのも辛く、
コンデジで撮影です。


山田洋次監督が初めて手がけた本格時代劇<たそがれ清兵衛>

この屋敷で、真田広之さんと余吾善右衛門役の田中泯さんの決闘シーンが撮影されました。
家の中はうすぐらーくて、酔っ払いながらも強い田中泯さん、焦る真田広之さんが
ありありと目に浮かんできました。





      <たそがれ清兵衛>

岩崎家
親友の飯沼倫之丞と妹の朋江宮沢りえちゃんのお屋敷として使われたそうです。
写真に写っている方が、昔の地図を見せてくれながら、
武家屋敷の説明をしてくださいました。




地元の人に「桜の時期は綺麗でしょうね」と言うと、
「緑がいっぱいの頃もいいですよ、桜の時期は、人を見に来るようなものです」と、
言われました。
でもでも、四季折々の武家屋敷を見てみたいですね~。


          <生もろこし>
試食してみて、美味しかったので、お土産に買ってきました。

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田沢湖 たつこ像

2010-10-15 02:21:48 | 岩手秋田旅行
最大深度は423.4mで日本第一位だそうです。
第二位は支笏湖
第三位は十和田湖、
世界では17番目に深い湖
世界で最も深い湖はご存知バイカル湖



たつこ姫、人気があります。

辰子という美しい娘がいました。
辰子はその美しさと若さを永久に保ちたいものと思い
密かに大蔵観音に百日百夜の願いをかけました。
満願の夜に「北に湧く泉の水を飲めば願いがかなうであろう」とお告げがあり
飲んだ辰子は、龍になったということです。




田沢湖の名物なのか。


みそたんぽ、迷わず食べてみました。
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平泉駅

2010-10-11 23:18:05 | 岩手秋田旅行
中尊寺、高館義経堂を見学したあと、平泉駅に来てみました。


中尊寺では、大勢の観光客がいたのに、ここには、ひとっこひとりいません。


駅前は、広くて、綺麗です。



時代劇の中にいるみたいです。


駅横の公園のようなところに義経の北行コースの看板がありました。
義経は平泉で自害したんじゃなく、青森まで逃げて、舟で蝦夷に来たと思いたいです。
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松尾芭蕉

2010-10-11 16:28:15 | 岩手秋田旅行
           <五月雨の降残してや光堂>


奥州藤原氏が滅亡して500年。46歳の芭蕉は、門人の曽良と2人でここを訪れたのです。


北海道ではあまり見かけません。<彼岸花>


竹やぶも見たことないですねぇ。


   <夏草や 兵どもが 夢の跡>
この石碑は中尊寺の近くの高館にあります。


高館に立ち、眼下に広がる夏草が風に揺れ光る様を眺めた芭蕉は、100年にわたり平泉文化を築き上げた奥州藤原氏の栄華や、この地に散った義経公を思い、かの名句を詠んだのだそうです。

石碑のすぐ近くに高館義経堂があり、
凛凛しい武者姿の源義経公像をお祭りしていました。
眼科に広がる北上川と衣川?を見ておりますと、大昔の戦の光景が目に浮かび、
カメラのシャッターを押すことが怖くなり、早々に退散しました。


三代の栄耀一睡の中にして 大門のあとは一里
こなたに有 秀衡が跡は田野に成りて金鷄山の
み形を残す 先高館にのぼれば 北上川南部よ
り流るゝ大河なり 衣川は和泉が城をめぐりて
高館の下にて大河に落入る 康衡等が旧跡は衣
が関を隔てて南部口をさし堅め、夷をふせぐと
見えたり 偖も義臣すぐつて此の城にこもり 功
名一時の叢となる 国破れて山河あり 城春に
して草青みたりと 笠うち敷きて 時のうつるまで
泪を落し侍りぬ
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中尊寺 弁慶

2010-10-11 04:35:45 | 岩手秋田旅行
平泉中尊寺に行って、最初に目につきました。


中尊寺というより、山門の手前側にあります。
三角州のような場所に「武蔵坊弁慶の墓」がありますので、見落とす可能性も大です。


昨年11月に乗った江ノ電で、途中下車した万福寺での、弁慶の座った石。
今年4月、奈良吉野での弁慶が手でさしたという釘がささった石。
ここにきて、中尊寺って、義経終焉の地だったのだと、あらためて思い出しました。

弁慶は、衣川で、亡くなったのに、この場所にお墓があるって、なにか、縁があるのでしょうか。



人気あります。


中尊寺の下を流れる衣川で、義経を守って、立ち往生したと伝えられる武蔵坊弁慶。
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坂上田村麻呂

2010-10-10 03:43:42 | 岩手秋田旅行
            <達谷窟毘沙門堂>
  
1200年前、この地に悪路王、赤頭、高丸と称する賊徒(蝦夷)がいて窟(いわや)に要塞を構え、
周囲の良民を苦しめ悪事・乱暴を極め、国府(中央政府の奥羽政庁・出先機関)では
彼らを抑えることができなくなった。



そこで、桓武天皇(第50代天皇)は坂上田村麻呂に命じて、蝦夷征伐の勅(ちょく、天皇命令)を
下した。
この報に接し、悪路王たちは達谷窟から3000の兵士(賊徒)を率いて駿河国清美関
(するがのくに・きよみがせき、静岡県)に出張ったが、坂上田村麻呂が京を出発したと知ると、
恐れをなして窟に戻った。


延暦20年(801年)、坂上田村麻呂は、激戦の末に、窟に籠もって守りを固める蝦夷を打ち破り、
悪路王、赤頭、高丸の首を刎ね、蝦夷平定を果たした。
と、いうことなんでしょうけど、殺された人たちって・・・



巨大な顔が。


夕方のせいもあり、薄気味悪かったので、早々に帰りました。

可愛いお花が咲いていました。


達谷西光寺御供所(ごくしょ)
この近くにあった17世紀末の建築と言われる住宅を移築したそうです
この左手に第一の鳥居があり達谷窟毘沙門堂への参道です

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