Kameの独り言

思いついたことをありのままに

鎮魂行について

2007年10月13日 12時19分43秒 | 金剛禅
1.教典を唱え、調息して身心を整える   鎮魂行は、金剛禅における「内修」の実践の一つです。教典を唱えて教えに心を向け、自らの行いを省みます。鎮魂行は、持戒、反省の行でもあります。   そして、調息して身心の統一を図り、しかるのち、少林寺拳法の修練に入ります。一同で教典を唱和することが、同じ道を歩む同志であるという意識の形成にもつなががります。   鎮魂行を行うに当たっては、参座する者の気を散らさないよう、その場に集中でききる雰囲気づくりが大切です。  2.金剛禅の「教典」 教典には、我々が目指すべき目的地と、そこへ向かうための道筋と、そのための実践行動の在りようが、具体的かつ明確に示されています。 「経典」でなく「教典」  金剛禅では、「聖句」、「誓願」、「礼拝詞」、「道訓」、「信条」をあわせて「教典」と呼びます.  一般の仏教のように「経典」としないのは、釈尊の教説(経)をまとめたものではなく、「聖句」以外は開祖が金剛禅のために自ら定められた教えだからです。もっとも、金剛禅は、“釈尊の正しい教えを現代に生かす”教えですから、教典すべての底流に釈尊の教えが息づいていることは言うまでもありません。 自分自身に唱え聞かせる  教典を唱えるのは、その内容を心に刻むためです。意味も解さずに、ただ唱えれば良いというものではありません。 一般の仏教における「経典」も、本来は、読んで、理解して、信じて、実践するための基本となるものであり、開祖も、『教範』(第一編・四「仏教軽視の原因と読経僧」)でこの点を強く指摘されています。  教典は、誰のためでもなく、自分自身に唱え聞かせるためのものです。

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