水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

三鷹の明治時代(7)

2007-05-18 10:14:58 | 三鷹・歴史/地史
(民俗文化財水車経営農家(三鷹市、市役所HP・水車博物館サイト参照)について、平成18年10月2日からの20回で説明した。今は、多少視野を広げ、折々に興味の引かれることについて記述している.
Four articles from Dec. 18, 2006 were trial explanation written in English.)

 きのうの続き。

 「江戸末期の識字率は世界一で、70%(90%だったかもしれない)以上」と書いてある本を読んだことがある、と記憶している。これ、本当だろうか。たしかに、都市の町人社会では文字の読み書きは必須であった。しかし、農村まで含めると、そんなにいくわけがない、と思っていた。

 何回か引用した三鷹の歴史(宍戸幸七著)の、下に示す記述を見て、上の、江戸末期の識字率に関しての、自分の感覚が間違っていないことを確信した。
「明治6年の小学校就学率は全国平均27%であり、」(p90)、明治33年の西三鷹小学校ですら、「就学率54%(男57%、女34%)」(p93)にすぎなかった。

 確認のため、インターネット検索を試みたところ、下のような記述を、大阪府立図書館HP・明治の読書文化、で見つけた。
「滋賀県年報:管内人民教育有無一覧表:自己の名が書けない者の割合:全体30%(男9%、女50%)」(明治10年?)

これは、「自分の名が書ける」人の割合を識字率とみなすと、上の70%の根拠となる。しかし、それはちょっと無理ではないか。「識字率」イコール「読み書きができる人の割合」と思う。

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