電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩。時々は実際に散歩を楽しみます。

河北新報社『河北新報のいちばん長い日〜震災下の地元紙〜』を読む

2012年02月12日 06時03分08秒 | -ノンフィクション
あの 3.11 の翌日、当地・山形で、地元紙山形新聞が届いたときには、感激(*1)しました。その記憶は、今も鮮明です。であれば、震災・大津波の被災地では、地元紙の役割ははかりしれないほどの大きさだったことでしょう。阪神淡路大震災に際しての神戸新聞の記録『神戸新聞の100日』を読み、感銘を受けましたが、このたびの『河北新報のいちばん長い日〜震災下の地元紙〜』(文藝春秋社刊)を読み、さらに大きな感銘を受けました。
本書の構成は、次のようになっています。

第1章 河北新報のいちばん長い日
第2章 気仙沼から届いた手書きの原稿
第3章 死者と犠牲者のあいだ
第4章 配達が大好きだったお父さんへ
第5章 窮乏するロジスティクス
第6章 福島原発のトラウマ
第7章 避難所からの発信
第8章 被災者に寄り添う
第9章 地元紙とは、報道とは

大きな災害の現場で、記者がどのように悩み、自問自答するのか、阪神大震災に直面した神戸新聞の経験から、ある程度は理解し、理念としては納得していたはずです。でも、一人一人の生身の記者には、あまりにも大きな衝撃だったことでしょう。福島原発事故を契機に、記者としての自信を失って、震災の五ヶ月後に退職した記者の悩みは、理解できるものです。それでも、困難を乗り越え、報道を続ける姿に、地元に根ざして歩んできた報道組織としての自覚と責任感とを見ることができます。

私にとって、もっとも印象的だったのは、第7章中の「あるスクープ写真」の項(p.214〜8)です。宮城県南三陸町の三階建ての町防災対策庁舎ビルが津波に飲まれる瞬間を連続撮影した写真の採否にかかわるものでした。このスクープ写真は、私も目にしました。そのとき、関係者の肉親がこれを見たら、どんな気持ちになるだろうと、暗澹たる気分になったことを覚えています。河北新報社は、このスクープ写真の掲載を見送った。その理由は、現地で取材する記者の、「その写真を地元の人が見たら、多分もたないだろうと思います」という答えでした。「われわれは被災者と共に」という決断は、全国紙とは異なる地元紙としての決意と決断であったろうと思います。

なぜ、危機的状況に陥った中で発せられる言葉は、人の心を打つのだろう。それは多分、すべての虚飾をはぎとった、人間の真実の言葉だからなのでしょう。

山形市内にある、河北新報社の山形総局が、物資の調達と食料の供給など、ロジスティクス基地となっていたことも、本書ではじめて知りました。多くの人に読んでもらいたい、優れた震災記録の一つだと思います。

(*1):地方メディアのありがたさ〜震災関連報道に思う〜「電網郊外散歩道」2011年3月

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河北新報社 ロジスティクス 阪神大震災 文藝春秋社 淡路大震災
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