電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

吉村昭『闇を裂く道』を読む

2014年08月19日 06時04分15秒 | -吉村昭
文春文庫で、吉村昭著『闇を裂く道』を読みました。この作品は、それまで御殿場ルートを通って急勾配の山越えに苦労していた東海道線のために、丹那盆地の下を通り、三島と熱海をつなぐ丹那トンネルを建設した記録に基づく物語です。

大正7年3月上旬、一人の新聞記者が、新たに建設される鉄道の取材のために、熱海に向かおうとする場面から、本書は始まります。後藤新平鉄道院総裁は、東海道線の輸送力を増強する新しいトンネルの建設が可能かどうかを、鉄道管理局に調査させます。現地を調査した担当技師は、トンネルの必要性と、技術的に可能であることを復命報告します。これに基づいて予算が見積もられ、具体的に工事が始まります。三島口の工事を請け負ったのは、鹿島組でした。

工事は様々な障害を乗り越え、あるいは回避しながら進められます。現代であれば事前のボーリング調査で周辺の地質状況を確かめながら進むところを、露頭をもとに推定した地質図で判断するわけですから、思いがけない困難が起こってきます。最大の困難は地下水でした。

もともと、丹那盆地の地底には、大きな地下水の層があり、周囲の湖沼や河川等の水環境も、これを前提に成り立っていました。ところが、トンネル工事はこの地下水の層を貫通する形で進んだものですから、トンネル内に河川が流れ込むようなもので、地下水の奔流の中での難工事となります。さらに、効率的に排水できる工事を行い、効果をあげた反面、地下水の水位が下がり、河川の水が切れ、湖沼の水位が激減するなどによって、農業と住民の生活の根幹が破壊されてしまいます。

トンネル内の排水や落盤事故の防止などは、なんとか技術的に対策が可能ですが、丹那盆地の水環境の根底が変化したことによる村落の基盤の破壊は、技術的な対策は不可能です。むしろ旗を立てて迫る農村の人々の怒りと危機感は、週末農家の私にもよくわかります。これは、土木技術の問題ではなく、大きな政治問題となってしまいます。

トンネルを開通させるために努力する鉄道院と鹿島組、住民の怒りの矢面に立ち、補償と代替水路の確保に取り組む地元県庁マン、互いに錯綜する動きが、時系列を追って描かれ、やがて我が国初の大規模複線トンネルが開通の時を迎えます。



国家の輸送力や都会の人々の利便性などの都合で、一地域の存立と生活の基盤が脅かされる姿は、現在の福島県浜通り地域の現状と重なります。とりわけ、メルトダウンした原子炉を冷却するための汚染水が、地下水の流入によって膨大な量になってしまう現状は、丹那トンネル工事における地下水湧出とのたたかいを彷彿とさせる状況でしょう。トンネル開通のような華やかなゴールがフクシマでは全く見えず、今後何十年にわたって困難な作業を続けなければならないという状況だけに、なんとも複雑な読後感でした。


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2 コメント

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今読むと (こに)
2016-11-03 14:59:07
色々と複雑な思いが残りますね。

まるでプロジェクトXのようでした。
トラバお願いします♪
こに さん、 (narkejp)
2016-11-04 06:10:45
コメント、トラックバックをありがとうございます。思わず圧倒される迫力がありますね。
福島でも、何十年後かに、「あのときは大変だったけれど、なんとかやり遂げた」というドキュメンタリーが制作されるようであればいいと切に思います。

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