電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

遠藤展子『父・藤沢周平との暮し』を読む

2007年02月20日 20時10分11秒 | -藤沢周平
この1月26日が没後10年の節目にあたる藤沢周平の、長女展子さんによる回想本の2冊目です。藤沢周平の作品が好きで、作家の素顔を知りたいと思う人にとっては、またとない贈り物になっています。

構成は、次の五部からなっています。
(1) 男手ひとつ 父の奮闘
(2) 父と母のいる家庭の幸せ
(3) 私の転機 父の一言
(4) 作家・藤沢周平
(5) 家族の情景

冒頭の「二冊のアルバム」は、著者が高校生の頃、隣室の父親に呼ばれて行くと、二冊のアルバムを渡される話です。産みの母の成長が記録された1冊目と、小菅留治と結婚してからの生活が記録された2冊目。結婚して1人の子どもを産み、わずか8ヶ月でガンのため亡くなってしまった、自分に良く似た生母の成長の記録を目にしたときのことが、淡々と綴られます。
「保育園の連絡帳」「赤い三輪車」「幼稚園生活の始まりと祖母」「手作りの手提げ袋」「運動会のお弁当」「上野動物園と父」「凧揚げ、羽根突き」の8編からなる第1部ですが、とりわけ「手作りの手提げ袋」が、中年おじんのハートをうちます。
ある日、幼稚園で手提げ袋に何かを入れて持ち帰ることになりますが、展子ちゃんは手提げ袋を持っていません。持っていないもう一人のお友だちとジャンケンをして、先生の手提げ袋を借りて家に帰ります。そして、先生に言われたから、明日まで手提げ袋を作って、と無邪気にお父さんに頼むのです。父・小菅留治は、先生の手提げ袋をひっくり返し眺めてから、夜なべ仕事で、やや小ぶりの手提げ袋を作って持たせます。材料となった生地は、どうやらパパの背広だったようで、というお話です。

こういう男手ひとつの奮闘を描いた後で、父が「倒れる寸前に木にしがみついた」ように再婚した後のささやかな幸福を描いたのが、次の「父と母のいる家庭の幸せ」です。世の中には多くの「父と母とがいない」家庭があり、必ずしも不幸とばかりは限らないと思いますが、こうした題名は、生母を失い、今また失った父を思う著者にはじゅうぶんに許される表現かと思います。

「七五三と新しい母」「下町育ちの母」「大雨の日に」「私の入院」「散歩の途中で」「父は虫取り名人」「母と娘の自転車特訓」、第2部は以上7編です。小学校に入学する前に、と急ぎ結婚した家族ですが、母子が信頼を築いていくには様々なことがあります。「私の入院」には、心配する母の気持ちがわからない、あっけらかんとした娘の言動を、父親が優しくたしなめる場面が描かれます。藤沢周平の作品に出てきそうな情景です。

第3部「私の転機 父の一言」は、「人並みの人間に」「私の進路」「花嫁の父」「初孫の誕生」「孫への童話」の5編です。塾通いもせず、高校卒業後に西武百貨店に就職した展子さんは、初めての給料で両親に贈り物をします。父親には、パーカーの万年筆。ペン先は中細で、インクはブルーブラック。研修が終わり、配属された職場は書籍売り場でした。そして、作家のサイン会が開かれます。社員は勤務時間中でサイン会には並べませんので、希望者の名前を書いた紙を本に挟んでおき、後で井上ひさしさんのサイン本が届きます。そこには、なんとも粋なはからいがありました。

このあたりは、井上ひさしさんが、同郷の作家・藤沢周平に寄せる親愛感とともに、職場の上司の誰かが、陰に陽に、作家の娘にあたたかい眼差しを注いでいたことをうかがわせ、なかなかいい場面です。

第4部「作家・藤沢周平」の章は、作家としての仕事にかかわるものです。「父のスケジュール」を読むと、有名になった作家として、1976年当時、実に多忙な生活を送っていたことがよくわかります。「テレビ出演」で言及されている、山形放送でのインタビュー番組は、昨年秋に仙台市での「藤沢周平の世界」展で見ることができましたので、あの番組のことだな、とすぐわかりました。インタビュアーの石川牧子さんが「小説に英雄が出てこないのは?」と聞いたときの回答が、いかにも藤沢周平らしいと感じたことを思い出しました。

第5部「家族の情景」の中では、最後の「父が私に教えてくれたこと」が印象的です。著者はこんなふうに言っています。

 父のことが語られるときに、「藤沢さんは物事にこだわらない性格」とよく言われます。しかし、娘の私から見ると、それは少し違います。
 父は物事にこだわらないのではなく、普通でいること、平凡な生活を守ることにこだわっていたのです。普通の生活を続けることの大切さや、普通でいることの難しさを、私は父から教えられました。人を外見や持ち物(財産)で判断することは間違っているということも学びました。偉そうに威張っている人のなかに本当に偉い人はいない、なぜなら、本当に偉い人は自分で威張らなくても周りが認めてくれるから、とも教えられました。
 父の言う普通の生活とは、平凡に、家族が仲良く、病気や怪我をしないで健康に平和に暮せるという、ただそれだけのことです。しかし、ただそれだけのことが難しいかを、父は身をもって知っていたのです。普通の生活を毎日続けていけることが本当の幸せであると娘の私に言いつづけたのは、結核で前途を閉ざされ、家族を病気で亡くして、幸せが一瞬に崩れるという経験をした父だからこその言葉だったと、私は思っています。

ほんとにそうですね。
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2 コメント

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遠藤展子について (業界人)
2017-02-04 14:20:48
遠藤展子って、エッセイがテレビ化されたのですね。
彼女は、藤沢周平の娘なんですが、藤沢周平関連の件で一度、メールでやりとりしたことがありますが。
正直、ヒステリックな印象の方でした。
遠藤展子ではなく、藤沢周平の著作についての質問だったのですが、色々と聞いたら、「あなた失礼です」みたいなことを言われたことがありました。
「あなた失礼です」という人、遠藤展子自身が、本当は失礼な人だと思いましたが。
性格はヒステリックでも、文才はあるのかしら。
読んだことがないけど。
当時は、偉大な作家の売れないエッセイストでしょ。
と思ってましたが。
売れているのかしら。
でも、遠藤展子と個人的にメールのやりとりをした感じでは、著作を読んでみたい気にはなれませんでした。
偉そうにし過ぎ。
ずいぶん昔の記憶ですが、 (narkejp)
2017-02-11 07:16:29
高校に入って文系か理系かを決めなければいけなかったとき、文系ならば、漠然と雑誌の編集の仕事をしてみたいと思いました。で、某出版社で文芸編集部につとめていた叔父に話したところ、「やめておけ」とのこと。作家や文筆家は奇人変人の集まりだから、夜討ち朝駆け当たり前、家庭的な幸福を願うならばやめておけ、とのことでした。人物の好き嫌いは当然あったでしょうが、叔父の業界人としての覚悟は相当なものがあったようです。どうやら叔父と同じ業界の方のようですが、貴殿が良い仕事をされますようにお祈りします。

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