電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

J.S.バッハ「ゴールドベルク変奏曲」を聞く

2005年09月02日 20時05分33秒 | -独奏曲
窓から涼しい風が入って来る。今日は、しばらくぶりにグレン・グールドのピアノで、J.S.バッハの「ゴールドベルク変奏曲」BWV.988 を聞く。このCDは、1981年5月にデジタル録音された、グールド2度目の録音である。(CBSソニー、22DC-5543) あまり音量を上げず、ただ静かに流しておくだけで、ゆったりしたテンポに次第に引き込まれ、急速な変化に目を覚まされ、バックに聞こえる歌声や唸り声などに耳をそばだて、多彩な変奏に唖然とする。何箇所か、突然大きな音がしてびっくるするところもあり(たとえば静かな第25変奏の後の第26変奏)、睡眠の音楽に使うにはぜったい不向きであるし、毎日のように聞くにはちょっとつらいものがある。

もう1枚は、クリスティアーヌ・ジャコテのハープシコードによる演奏。コンサートホールのLP(SMS-3509)である。こちらは、ずいぶん昔から親しんでいるもので、テンポも中庸で、安心して聞ける。カセットテープに録音して、実際に睡眠の音楽に使ってみたこともある。お風呂に入ってこの演奏を聞きながら寝たら、実に気持ちよく眠れた。演奏家のみなさんには怒られそうだが、ほんとに気持ちよい音楽であり演奏だと思う。ハープシコードの音が好きなせいもあるが、毎日のように聞いても大丈夫な演奏だ。
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4 コメント

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ゴールドベルク変奏曲はエエですね。 (mozart1889)
2005-09-03 05:16:25
TB有り難うございました。

ゴールドベルク変奏曲、ボクもこのグールドの最後のの演奏を愛聴しています(1回目の録音は未聴なんですが)。ピアノで聴くときは、グールドかペライアが多いです。

チェンバロの演奏、このジャコテのは、安売り海賊盤で持っています。ジャコテのチェンバロ、バウムガルトナー/ルツェルン祝祭管のブランデンブルク協奏曲(オイロディスク)で大好きになりました。

おっしゃるように、ホンマ、気持ち良くなる演奏ですよね。
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クリスティアーヌ・ジャコテ (narkejp)
2005-09-03 08:30:56
コンサートホール・レコードや安売り海賊盤で見掛けたりする名前ですけれど、いい演奏家です。どんな人なのかな。よく知りません。デンオンの1000円盤CDにも一部登場していますね。

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このところ、グールドのことをよく出しますが・・・ (畑山千恵子)
2009-09-07 20:30:04
このところ、yurikamomeさんにはグールドのことをよく話題にします。ルーカス・フォスの作品のCDを取り上げたものがあって、夫人で画家コーネリアさんがグールドと恋愛関係にあったことが明らかになったことを取り上げました。
グールドとフォス夫妻が出会った時がロス・アンジェルスで、帽子・マフラー・手袋・コートといった典型的なグールドスタイルで現れました。コーネリア夫人は「帽子とスカーフの塊」だったと回想しています。
グールドはフォスに自作の弦楽4重奏曲の楽譜を贈ったり、音楽祭などへ招いたりしました。
夫妻との友情がグールドとコーネリア夫人との恋愛へと発展、グールドがコーネリア夫人に求婚、コーネリア夫人は子供たちと共にトロントへと移り住みました。しかし、グールドはパラノイア、フォアビア症候群といった精神障害を起こしたことから恋愛関係は破綻、コーネリア夫人はフォスのもとへ帰っていきました。それでも諦めきれぬグールドはフォスの別荘へ押しかけたり、電話をかけたりして、戻ってきてほしいと頼んだものの、コーネリア夫人は応じませんでした。2人はフォスの別荘で会った時が最後でした。もう、2度と会うこともなく、グールドは薬物依存がもとで高血圧、ついに脳卒中に倒れ、1982年10月4日、50歳で悲惨な死を遂げました。
グールドはフォスの家庭を壊すようなことをしでかしてしまい、大きな過ちを犯してしまいました。そうした恋愛しかできなかったことがグールドの悲劇であり、生涯最大の汚点となりました。
フォスも2月1日、コーネリア夫人、子供たち、孫たちにみとられ、86歳で安らかな死を迎えました。グールドの悲惨な死に方と比べるといい死に方したものだと思います。
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畑山千恵子 さん、 (narkejp)
2009-09-08 06:18:34
コメントありがとうございます。グールドの悲劇は、ほんとに言葉もありません。音楽家もさまざまな人生があり、何物かを犠牲にして音楽に捧げるような面があるのだと思いますが、それでも地域社会や聴衆とつながり、比較的幸福な音楽人生を歩む奏者も少なくなく、それができずに孤立したグールドの境遇が気の毒です。米国の某スーパースターの死も、華やかななかに、なんだか類似の孤独を感じてしまいます。
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