事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

33年ぶりの再会・・・

2016-10-29 13:37:08 | Weblog
きのうのニュースで、中日のスカウトが医療福祉大学に指名あいさつに来たというのを見ていた。新津高校出身で、高校時代は全国的には無名で、まさか4年後にプロ野球球団からドラフト指名されるとは自分でも思っていなかっただろう。どこでなにが起きるのか、わからない。
 ニュースを見ていて、はっと気が付いたことがあった。それは40年近くも前のことになる。そのことを知っている人は少ないだろう。しかし当の本人同士は意識したかもしれない。中日のナカタと聞いて、「あれ」と小生は思った。まさかと思い、ネットで調べてみると、やはりだった。ナカタと佐藤の出会いがこんなところで実現するとは思ってもみなかった。
 40年前、小生は獨協大学の野球部員であった。校内を歩いていて、たまたま高校時代に対戦したことのある奴から強い勧めがあって、半分はしかたなく入部した。獨協大学の野球はあまり聞いたことがないし、半分は馬鹿にしていたが練習に参加してみると、それなりに力があるのに驚いた。そのころ、獨協大学が加盟している首都大学リーグのスーパースターは、今記憶している限り二人いる。一人は東海大学の遠藤だ。遠藤はその後に大洋に入団した。フォークボールに切れ味は記憶に新し。もう一人が、日本体育大学のナカタだった。佐藤医療福祉大学の監督も当時は日本体育大学の野球部のメンバーだった。しかしベンチ入りはできずに苦労をしていたようだが、それでもおそらく中田とは面識があるはずである。正確にはわからないが、同級生だと思う。中田は、大阪の上宮高校からだった。中田の4年間の戦績は、44試合に登板して、24勝10敗、防御率1.80、185奪三振というものであった。その後、中田は卒業後にドラフト外で中日に入った。しかし公式戦は5シーズンでわずか7試合でしかなく、期待に応えることはできなかった。そして1983年に引退、翌年からスカウトになり、立浪らを入団させている。佐藤監督が明訓に来たのは、1983年秋である。中田は夢破れて引退、佐藤は高校野球の監督として新しい道を歩み始めた。それから33年が過ぎた。まさかに再会だった。
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