事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

自分の野球人生を投影して苦笑・・・

2017-08-18 08:49:54 | Weblog
小生、1984年の夏から、新潟県の高校野球を見てきた。当時は中越高校、新発田農業、新潟南高校、明訓高校、高田工業、十日町高校、長岡高校、糸魚川商工などがベスト8の常連校としてしのぎを削っていた。そんな中にいつしか日本文理が台頭してきた。最初の印象は荒っぽいチームだった。勝つときは大差で勝つ、負ける時も大差で負ける。いつだかはっきりと覚えてはいないが、もう20年以上前の北信越大会でのことだが、金沢市民球場で9回に7点差をひっくり返されて負けたこともあった。甲子園に初めて出場した時も、大量点は取ったが、大量点を奪われては大敗した。よく言えば、豪快、悪く言えば粗い試合運びが目に付くチームだった。しかしここ10年くらいで野球が変わってきた。相変わらずの粗い試合がなくなったわけではないが、エラーもなく、僅差をものにするチームに変身した。それは文理高校野球部の指導体制が確立してきたことと無関係ではないだろう。そしてもちろん全国制覇という大きな目標を掲げたこととも関係していると、小生は想像している。そうした背景から推測すると、大井監督は二言目には打撃、打ち勝つ野球と豪語するが、準優勝した時の伊藤、今回の稲垣にしても好投手を育てて甲子園に乗り込んでいる。投手を育てていないというわけではない。主軸を打撃においているというだけである。
 それではなぜ、打撃のチーム作りなのか。その考えのルーツはどこなのであろうか。大井監督は、宇都宮工業でエースとして準優勝した。その時、味方からの援護がなく孤軍奮闘だった。その裏付けとして、当時を振り返って大井監督は、「高校時代は打てないチームをバックに投げた」と、回想している。「打てないチーム」が「打てるチーム」に、大井監督の高校時代からの願望が「打てるチーム」なのだ。大井監督の打撃チーム作りのルーツは高校時代にあるのかもしれない。新聞には、大井監督から池田高校の蔦元監督を思い浮かべるという記事もあった。なるほど。蔦元監督も言うまでもなく、打撃のチームだったが、しかし当時の池田高校の投手が悪かったというわけではない。畠山や水野を輩出している。大井監督も現役で言えば飯塚(DeNA)を輩出している。似たもの同士という言い方もうなづける。
 さて、きのうのゲームだが、大井監督は1点に抑えた稲垣には満足していると思うが、稲垣と孤軍奮闘した自分の甲子園のピッチングを思い出していたのではないか。「甲子園でユニフォームを脱げるのは幸せ」とコメントしているが、結果0-1という打てずに負けたことで、どこか自分の野球人生をきのうの試合に投影して、苦笑しているのではないか。ふとそう思った。
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