アラフォーの「あをによし」ブログ

奈良に住むアラフォーのおっさんの日常をつづります。ほんまにどこにでもいるおっさんです。

最後のバンディエラ

2017-06-17 01:00:09 | サッカー
 先日、イタリア・セリエAの強豪ASローマの10番、フランチェスコ・トッティの退団セレモニーを観た。偶然にもスカパーの無料デーに録画放送してくれたので、試合後半と場内一周、スピーチを見ることができた。スピーチは何言っているかわからなかったけど、ネットで訳を見るかぎり素晴らしいスピーチだった。

 トッティは40歳。1976年9月生まれだから、私と同級生だ(日本の学年では)。

 知る人も多いだろうが、ローマで生まれたトッティはローマのユースチームに入り、15歳にして早くもトップチームでデビューしている(1993.3)。そこから足掛け25シーズンずっとローマ。97-98シーズンからは20年にわたって10番を背負い、00-01シーズンにはチームをスクデット(優勝)に導いている。「ローマの王子様」と呼ばれたトッティにも幾度とあった強豪からのオファー・・・特に銀河系軍団レアルマドリーからの誘いには心動くものがあったというが、それでも残留し、ローマのキャプテンを務め続けた。イタリア代表でも10番を背負って活躍し、2006年にはワールドカップを制覇している。セリエA619試合250得点って、もう凄過ぎる!!

 トッティがチームを去る。外国に移籍するのかという噂も流れていたが、スピーチの内容からして本人はローマ一筋で現役を終える模様。

 栄光の背番号10。90年代はどこのクラブにも偉大な10番がいた。いわゆる「ファンタジスタ」というやつである。特に90年代末期から00年代前期のイタリアでは、ローマの10番トッティのみならず、ユーヴェのデルピエロ、インテルのR・バッジオ、フィオレンティーナのルイコスタ(→ミランでも10番)、ボローニャのシニョーリなど、いわゆる「ファンタジスタ」が百花繚乱の時代であった。ちょうど中田英寿がイタリアでプレーしていた(そういや中田もパルマの10番だった)こともあり、フジテレビ系でセリアAの中継や「セリエAダイジェスト」をやってくれたので、トッティも非常になじみ深い10番として記憶されている。

 世界の移籍金相場は年々爆上がりし、人気選手はどんどん移籍していく。世界最高峰リーグの座はイタリア・セリエAからスペインのリーガエスパニョーラやイングランドのプレミアリーグ、ドイツのブンデスリーガなどへと変わっていき、インテルやACミランの没落や八百長疑惑と共にユベントス一強時代のセリエAは主流の座を滑り落ちていった。それでもローマにはずっと10番が居て、その10番を観るたびに自分も20代前半の頃に戻れたような気がしたから不思議である。

 そんなトッティの引退は、ファンタジスタによって彩られた90年代フットボールの終焉を告げる事件である。スタディオオリンピコを埋めた大観衆は涙に暮れていた。セレモニーの間、カメラはいろんなファンの顔を映しだしたが、そのほとんどが涙顔で、それだけトッティが余人を以て代えがたい存在だったということを如実に示していた(もっとも、カメラが泣いている人々を中心に映したのであろうが)。

 スタジアムを埋めたファンなら、涙にくれるのもよく判る。しかし、なんで、どうして、ローマからはるかに離れた極東の地にいる冷めた会社員のおっさんが、こんなに切ない思いになるのか。フットボールという病はそういうものなのか。
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