(万葉歌碑は旧碓氷峠、熊野神社の南にある見晴台付近にある。)
東山道随一の難所、信濃と上野国境にある碓氷峠の歌二首
『巻第14-3402』
「日の暮れに 碓氷の山を越ゆる日は 背なのが袖も さやに振らしつ」 読み人しらず。
(日暮れ時に、碓氷の山を越えて行かれたあの日には、あの方のお振りになる袖までが、はっきり見えた)
『巻第20-4407』
「ひな曇り 碓氷の坂を越えしだに 妹が恋しく忘らえぬかも」 他田部子磐前(おさたべのこいわさき)
(日が曇って薄日がさすという碓氷の坂、この坂を越えるにつけて、置いて来たあの子が恋しくて、忘れようにも忘れられない)
創建:昭和42年
群馬県境の坂本宿から軽井沢宿に至る碓氷峠は古代より「薄日」のさす険しい難所の山道であった。
近代の道路は旧国道18号線と碓氷バイパスが走り現在は高速道路で軽井沢に抜けられる。鉄道もアプト式で有名だった信越線が廃止され、新幹線が走って避暑地である軽井沢は日帰りコースとなっている。
(碓氷峠の概念図)
(旧信越本線の橋脚、めがね橋・群馬県側)
(旧碓氷峠長野・群馬県境にある熊野皇大神社と樹齢千年の大シナノキ)
(熊野神社は社殿が県境にまたがっていて本宮が真中にあり、群馬県側の新宮と長野県側の那智宮がある)
遠くから手を振り、山また山の奥深い峠・急坂、坂東と信濃の境、忘れられない別れの場所であったのである。
週末を利用して友人とゴルフ(嬬恋高原GC)に行った途中、寄り道したので写真は一部別の日の写真を入れてあります。この時期でも旧軽井沢銀座は車が入れないほどの混雑でした。(今年は9月になっても猛暑日でしたからねえ!別荘族がうらやましい。)
神社前の御茶屋さんで力餅とそばを食べて混雑している夏の軽井沢を後にしました。
今後ともよろしく!
9月の奈良歴史地理の会であいますが、ご自分の都合で欠席と伺っております。