西暦2012年のラグビーフットボール

優雅で感傷的な日本ラグビー

オーヴァーアンダーウッド

2012年05月19日 19時29分08秒 | ジャパン
小野沢はテストマッチ通算51トライでローリー・アンダーウッドを超えた。世界歴代4位ってすごいことだ。シェーン・ウィリアムズの60トライは射程圏内に入ったと思うが、それ以上を狙えるかどうかは本人があと何年やるつもりでいるか次第だろうか?

JAPANは良くなっていることは間違いないのだが、この相手では評価できないこともまた確かだ。ブレイクダウンやスクラムも今はまだ何とも言えない。ただ、今のうちはもうちょっと「大きなラグビー」を指向した方が良いような感じはするが、これがエディ・ジョーンズのチームづくりなのだろうから、今のところはパシフィック・ネイションズ・カップを見守るしかない。

問題は、エディ・ジョーンズがどこを見据えているかだ。ワールドカップでフランスやウエールズに勝つことを本気で狙ってくれているだろうか? だとするとちょっと早くから小ぢんまりとまとまり過ぎている感じはするが、でも、やはり、これが彼のチームの作り方なのだろう。

しかし、何はともあれ、チームの一体感が客席に伝わってくるのはこの10年くらいなかったことで、我々のJAPANが帰ってきた感じはする。それとタックルミスの少ないこと。あと、一人一人の選手がトップリーグのゲームよりも真剣な表情をしている(当たり前のことなのだが)。「どうして今までこれができなかったのか?」の恨み節はさておいて――ジョン・カーワンの藁人形を作るよりは、エディ・ジョーンズのてるてる坊主を作りたいからね――性懲りもなく期待を膨らませてしまっている自分がいる。

訃報を聞いて(日本選手権決勝の朝に)

2012年03月18日 10時27分16秒 | ラグビー・クラシックス
シックス・ネイションズのウエールズ対フランスの試合前の黙祷で、元ウエールズのキャプテンのマーヴィン・デイヴィスと元ニュージーランドのキャプテンのジョック・ホブスが亡くなったことを知った。

マーヴィン・デイヴィスはウエールズ黄金時代のナンバー・エイト。選手生活の後半は頭部のけがに悩まされていたことが思い出される。ナンバー・エイトとしてはもちろんだが、ウエールズのラグビー史上燦然と光り輝くあの1970年代のレッド・ドラゴンの名キャプテンとして、その名前は世界のラグビー・ヒストリーに刻み込まれている。ウエールズが来日した時も彼がキャプテンだったと記憶している。一つの時代が終わった感じがしてとても淋しい。

ジョック・ホブスは以前から白血病を患っていて、昨年のワールドカップではリッチー・マコウの100キャップの戴冠式の時に出てきて賞賛の言葉を贈っていた。決勝でも表彰式に出てきたのだが、その時に起こった場内の拍手に、ああこれはニュージーランド国民の惜別の喝采だなあと、イーデンパークの観客席でジーンときてしまった。昨年のワールドカップのニュージーランド開催は彼の功績なくしてはあり得なかったと聞いている。

世界のラグビーを牽引した二人の偉大なキャプテンのご冥福を祈ります。

西暦2011年のラグビーワールドカップ・日本編(トンガ戦を終えて)

2011年09月23日 21時37分27秒 | ワールドカップ
こんなチームで勝てるのだろうかという疑いはもともとあった。でも、ジョン・カーワンの口調があまりにも確信に満ちているものだから、「2勝」くらいはできるのかと思ってしまっていた。

蓋を開けてみたら、過去のどの大会と比べても見劣りのするチーム。あの「145」の大会だって、個々にはもっと輝きがあった。心に残るプレイがあった。

突き刺さらない。ハイパントを自分から取りにいかない。チェイスもしない。バックアップディフェンスをさぼらないのも一人だけ(マイケル・リーチ)だ。相手ゴール前の大チャンスでは、簡単にポゼションを放棄して確率がいちばん低いプレイを選択する。自陣ゴール前ではいきなりとってつけたようにパスを回しに掛かる。まるで大人と子供。ブレークダウンを敗因に挙げるのは10年早い。

どういうゲームプランだったのかがわからないし、そもそもゲームプランがあったのかどうかさえ疑わしい。もっとシンプルに戦い方を絞り込んで、一点か二点に何としても集中して戦い抜くのが格上(トンガは冷静に分析すれば完全に格上だ)に勝利する唯一の道だと思うのだが、全員で何らかのイメージを共有できているようにはとても見えなかった。それともそれは技術の未熟さゆえなのだろうか?

少なくともプランBとかプランCが存在しなかったことは明らかだ。ハーフタイムで戦い方を変えてきた場面も皆無。仮にブレークダウンで負けているから劣勢だったのなら、ブレークダウンに人数を掛けて勝ちにいくか、ブレークダウンの少ないゲームをするかのどちらかではないのか?

キックオフもハイパントの処理も、お粗末極まりない。完全な準備不足。でも「時間がなかった」ではとても納得できない。いったい4年間何をしていたというのだ?

そもそも、4試合あるのに最初から「2勝」という目標はどうなのだ?「4勝」を目指してようやく「2勝」が手に入る世界ではないのか?

試合直後のインタビューで、キャプテンの口から「次の試合に向けて切り替えます」とか何とかの言葉が飛び出すのも気に入らない。今試合が終わったばかりなんだぜ? 悔しくて悔しくて死にたいくらいの気持ちになるようでなければ、改善も向上もないと思う。

しかし最大の敗因はジョン・カーワンに選手選考の能力がなかったことに尽きる。気の毒なのは選ばれた選手たちだという言い方もできる。例えばトンガ戦、10番を取り替えていればあと10点は縮まっていたはずだ。もっと優秀な選手は国内に何人もいる。そういうことが半分以上のポジションについて言える。

ジョン・カーワンは2試合目のオールブラックス戦のあとに「これから我々のワールドカップが始まる」と言ったそうだが、このトンガ戦のあとに、「これで我々のワールドカップは終わった」と感じているのは筆者一人ではないだろう。

大いなる後退。実りなき終戦。喪失感と言うか虚脱感と言うか、言いようのない無念と失望とが広がる。Four more years boys! また4年間待たされるのだ。他競技がどんどん結果を出しているこの状況の中で、ジョン・カーワンと彼に全権を委任した協会の責任はとてつもなく重い。冗談ではなく、「ラグビー、なくなっちゃうかも」だ。

釜石シーウェイブスを支援する夕べに参加して

2011年05月05日 04時15分57秒 | 釜石
「がんばろう東北ラグビー! 復興支援の夕べ」という会に参加してきました。

今回の東北の大震災で真っ先に心配したことの一つが「釜石は大丈夫なのか?」だったのは、同年代以上のラグビーファンであれば共通するところだと思います。TVの画面が伝える釜石の被害は非常に甚大で、現在のシーウェイブスの選手たちと、かつての新日鉄釜石のOBたちとの安否は、家族・親族や友人・知人の安否と同等に、いちばん最初から気になっていました。V7の前半期を支えた佐野正文さんの訃報は大変に悲しく聴きました。

私はとりあえず状況が一段落するのを待ってから、4月の第1週に東北各地の仕事仲間の状況を取材してきました。その中で釜石にも立ち寄って、松倉グラウンドも訪問してきました。私にとってはV7直後の3月以来ですから、26年ぶりです。緑の芝生のグラウンドを確認して、何とも言えない感慨を覚えました。

そして今日(5月4日)、東京・丸ビルで釜石並びに東北ラグビーの復興のためのイベントがあるというので参加してきました。私は普段はラグビーのトークインベントの類はまったく行く気にならないのですが、テーマが釜石であれば、しかもこういう状況であれば話は別です。この会があると聴いて真っ先に参加を申し込みました。

高橋善幸さん、松尾雄治さん、石山次郎さん、菅野朋幸さんのトークは大変に楽しくて味わいがあって、素晴らしかったです。釜石の現況と、今どのような支援が必要なのかが良くわかりました。それとなぜ釜石が7連覇できたのかの理由も改めてちょっとわかった気がします。懇親会では、上記の皆さんに加えて、高橋博行さん、角日出夫さん(小林日出夫さん)もいらして、思わず駆け寄って握手を求めてしまいました。そのほかに瀬下和夫さん、大西一平さんの顔もありました。

当面、私もできる限り釜石シーウェイブスをサポートしていきたいと思います。目標は「会員を増やすこと」だと、石山次郎・「スクラム釜石」代表は語っていました。それはとても良い目標だと思います。どんどん声を掛けて、シーウェイブスのサポーターを一人でも増やしていきたいと思います。

釜石シーウェイブスのホームページ

ラグビー・ワールドカップ2011、クライストチャーチでの試合開催中止

2011年03月16日 11時53分48秒 | ワールドカップ
準々決勝2試合はイーデンパークと今日通知があった。とてもとても残念だ。

まずは第一関門クリア

2010年07月02日 22時37分36秒 | ワールドカップ
2011年ニュージーランド大会、準々決勝2試合(クライストチャーチ)と3位決定戦のチケット確保!

ワールドカップ出場決定

2010年05月23日 06時17分30秒 | ジャパン
しかしこういうゲームが出場決定戦になるのはやはりまともではない。競ったゲームを繰り広げている欧州などとの隔たりが大きすぎる。嬉しさも中くらいだ。何の感慨もない。

そもそもこういうスコアはIRBが放置しておかないのではないかと思う。自分たちから提案して何とかしなくては。

韓国なら韓国、香港なら香港の強化に、本気で力を貸すことはできないのだろうか? しかし香港というのはこれからは中国のことで(今でも思わず国歌斉唱は「God save the Queen」を待ってしまうのだが)、そういう脅威には水をやりたくないのだろうか?

でもそろそろどちらかを選択するべきだ。

アジア各国を本当に育てるのか、フィジー、サモア、トンガとの決定戦を戦うのかだ。

第2回ワールドカップ予選の感激が懐かしい。本当の厳しさを自らに設定しないと、進化はない。

元木由紀雄引退試合

2010年04月18日 21時58分42秒 | その他
オール早明戦なんて観戦に行くのはよほどの時だけだ。そしてこれはその「よほど」のことだった。

近年で言えば吉田義人や今泉清の時がそうだったように。あるいは舞台は異なるが、ヤマハスタジアムでの村田亙の時のように。

大工大高時代のことはほとんど知らない。あとになってあの元気な2年生CTBが彼だったのかと思ったものだが、その元の記憶が正しいのかどうかは定かではない。

最初の確実な記憶は明治の1年生CTBとして何度となく防御を切り裂いていたあの猪突だ。それは僕が早明戦や大学選手権のファイナルを必ずスタンドで観戦していた最後の時代だった。大学ラグビーが「そういう時代」だった最後の時代と言っても良いと思う。

いちばん印象に残っているのは、ジャパンのキャプテンを務めていた苦渋の時代だ。あの当時の彼の苦悩はスタンドから観ていても感じ取れるほどだった。その頃、秩父宮の一角で握手を交わして一言二言を交わしたことがある。その時も何となく気の毒な感じがして、この選手はキャプテンから解放してプレイに専念させてあげた方が良いのにという印象を強く持ったものだった。あの時は本当に大変なものを背負っていたのだと思う。

僕が観戦したベストゲームは、秩父宮でアルゼンチンに勝ったゲームか、駒沢でACTブランビーズに勝ったゲーム(日本選抜として)。平尾監督就任直後の秩父宮でのカナダ戦の逆転勝利や、花園まで観戦に行ったサモア戦の勝利も忘れ難い。TV観戦では、ワールドカップのオーストラリア大会でスコットランドを追い詰めたゲームとフランスに食い下がったゲーム。そしてもちろんワーストゲームはあの「145」しかないだろう。

僕は自分が彼のファンだと思ったことは一度もなかったのだが、今夜はつくづく、淋しくなるなあと思い出を噛み締めている。「一つの時代が終わる」という陳腐な言い方が許されるとしたら、今日を置いてほかにはない。

後半9分に自分からグラウンドを出た時の場内の拍手は一生忘れられないだろう。僕のすぐ前には早稲田の首脳陣が陣取っていたのだが、増保と辻を筆頭に、全員が立ち上がって力強い拍手を贈っていた。

試合後の早明両選手による胴上げにも胸が熱くなったが、そのあと、同じく今日を最後に一線を退く近鉄の南條と九電の三輪を伴なってバックスタンドに挨拶に行った時には、あのミスター・ジャイアンツこと長嶋茂雄の引退試合――昭和49年10月14日(当時の野球少年はこの日付を空で言えたものだ)――を思い出してしまった。バックスタンドのファンにお別れの挨拶をしたいというその思いは、握手ができた子供たちの心に何かを灯したに違いない。そう思いたい。

そしてこのミスター・ラグビーと呼ばれた男――一人のラグビー選手――が今日グラウンドを去る。一つの時代の終わりは、同時に一つの時代の始まりでもある。そして僕たちは、平成22年4月18日という日付を空で言えることを後年まで誇らしく思うだろう。

元木由紀雄さん、長い間本当にお疲れ様でした。しばらくはゆっくりと身体を休めて下さい。そして、指導者としての新たな挑戦に期待しています。

今日が晴れて良かった。本当に良かった。

映画「インビクタス」を観てきました

2009年12月12日 11時45分35秒 | その他
12月11日夜、東京新橋ヤクルトホールに、クリント・イーストウッド監督「インビクタス 負けざる者たち」の試写会に行ってきました。

ANCの闘士から南アフリカ大統領に就任してアパルトヘイトを撤廃したネルソン・マンデラと、同国代表スプリングボクスのキャプテンのフランソワ・ピナールの交流を通じて、1995年のラグビーワールドカップ南アフリカ大会におけるスプリングボクスの優勝を描いた、実話をベースにした映画です。米国での一般公開が同じく12月11日で、すなわち時刻としてはそれに先行する上映になるとのことで、非常に期待して臨んだ鑑賞会でした。

映画作品としての出来不出来はともかくとして、クリント・イーストウッドが取り上げたこの物語は、世界中のラグビーファンにとって最高の、かけがえのない「宝物」です。第3回ワールドカップの南アフリカの自国開催・自国優勝は、ラグビーフットボールの歴史の中でも特筆すべき、記念碑的な出来事でした。それはネルソン・マンデラが提唱していた「虹の国」が世界に最初の一歩を踏み出した瞬間でしたし、「もう一つのラグビー王国」が最高の形で国際舞台に復帰した瞬間でしたし、ワールドカップが名実ともにワールドカップとして誕生した瞬間でしたし、アパルトヘイトの撤廃が「ワンチーム、ワンカントリー」という標語のもとに世界中の観衆に刻み込まれた瞬間でした。

この第3回ワールドカップが南アフリカの国家的プロジェクトだったことはともかくとして、ネルソン・マンデラがスプリングボクスのことを本当はどのように思っているのかは、当時はわからないところがありました。マンデラについてはどうしても、「スプリングボクスのテストマッチで相手のチームを応援していた」逸話が知られてしまっていましたし、南アフリカの白人(アフリカーナー)の象徴としてのスプリングボクスに対して、ANCのリーダーだったマンデラが「負の感情」を抱いていたとしても仕方がないだろうと、当時の僕などは思っていました。

だからあの決勝戦でネルソン・マンデラがスプリングボクスの「6番」のジャージを身にまとってグラウンドに現われた時には、世界中があっと驚いたものでした。僕もそれで心を掴まれてしまったことを覚えています。一国の大統領がそこまでするなんて。かつての「敵」の象徴だったボクスのジャージを着るなんて。あれは本当に感激的な場面でした。

今回のこの「インビクタス」の中で、一つの象徴的なエピソードは、南アフリカの新生スポーツ評議会(非白人中心)が、スプリングボクスという呼称とエンブレムとグリーンとゴールドのジャージを廃止して「プロテアス」という名称を採択しようとした時に、マンデラがそれを止めて評議会のメンバーを諭そうとする場面です。「スプリングボクスは彼らの宝物なのだから、それを取り上げてはいけない」。憎しみを捨ててかつての敵を赦すこと。愛を持って一つの国家を建設すること。マンデラのその姿勢は少しずつ周囲の白人・非白人に浸透し、人々を動かしていきます。なるほどこういうことだったのかと、あの決勝戦のボクスのジャージの背景が良くわかりました。今さらですが、ネルソン・マンデラがどれほど偉大な指導者だったのかを改めて認識しました。

映画としては、ちょっと前半は散漫な印象を受けました。エピソードを詰め込み過ぎていて、テーマを絞り込めていないように感じました。もうちょっと場面を刈り込んで、特定のエピソードの意味を際立たせると良かったのではないかと思いました。その反面、スプリングボクスの栄光の歴史の説明も、このワールドカップの優勝の要因の説明もなく、その点は残念に思いました。これではまるでスプリングボクスが歴史的に弱小チームであったかのようですし、ワールドカップでどうして優勝できたのか、どのような準備がなされたのかはわからないままでした。

あとは字幕に不満が残りました。「インビクタス」という一語を含んでいる詩の最後の一行は「I am the captain of my soul」と言っていたと思いますが、このcaptainはフランソワ・ピナールのボクスのキャプテンという立場にも掛かっているわけですから、そのあたりは汲み取ってルビでも振って欲しかったです。また、springboksをスプリングボクスと表記しているのですからbokkeは発音に関係なくボクと表記すれば良いのにと思いました。ほかにも雑だなと思うところがいくつかありました。

ラグビーのゲームのシーンは、良く撮れていると言えば良く撮れているのですが、本当のゲームに比べると迫力に欠けることは否めません。ボールを持っている役者がトップスピードで走っていないのはどうしても気になってしまうし、オールブラックスのマーテンズがキックオフで10メートルに足りないキックを蹴るところなどは、ラグビーファンであれば「そういうのあったなあ」と思い出すのですが、何だかまるで失敗したキックみたいに見えました。それと、チェスター・ウィリアムスには焦点は当たっているのですが、マーク・アンドリュースやジョエル・ストランスキーあたりはもうちょっと描いて欲しかったような気もします。

それにしても、ラグビーフットボールにとって最高の宣伝になることは間違いありません。日本協会は配給会社に頼み込んで2019年ワールドカップ開催に向けた告知活動をさせてもらうべきだと思います。

*あとはジャパンの「145」は観た人にはばれてしまうようになっています。サッカーのワールドカップの日本代表の試合会場が決まったことでこれはまた取り上げられるなと思っていたのですが…。