吾日三省2‐シュウシュウの季節

All it needs is courage, imagination, and a little dough.

ゴタゴタ

2008-01-08 01:12:17 | Weblog
引越しでネットが使えず更新が滞ってしまった。
おまけにブログ引越しも途中ということでさらに更新がおっくうに。

そうこう言っている間に仕事が始まりました。
内容としては修習のつづきのようなものなのだが、書面に職印を押したりすると『ああ、共同受任とはいえこの人が依頼人なのか』と緊張感がありマス。

修習の季節も終わりなのでブログも引越します。
gooブログよりも使いやすいといいけど、、


非自発的埼玉県民をもうしばらく続けることになるのか、、

M1グランプリ

2007-12-24 12:13:21 | Weblog
今年は優勝予想するのを忘れてました。
この手のコンテストは、演じる順序が結構大事なのだが、
笑い飯がトップということで、これはアンラッキーだった。
順番を見た時点で笑い飯の優勝は無いなあとがっかり。

いつも、M1の審査の傾向として、突飛でバカなコンビよりも、
本格派とか、上手なコンビを選ぶ傾向があるので、
笑い飯は損ばかりしている。

ということで、今年乗り遅れたので、来年の優勝予想。

ズバリ『ナイツ』




くぢら

2007-12-22 00:13:50 | Weblog
ブログの引越しもリアルの引越しも準備が進んでいます。
しかし、区役所に行くのを忘れてしもた。

捕鯨のことがニュースになっていますね。
いつも、この議論はかみ合っていないので、
歯がゆいというか、むずむずするというか、
へんてこな気分です。

賛成論も反対論も根拠の中に変なのが入り混じっています。
多分すれ違いのやりきれなさから、そうなるのでしょうが。

結論を先に言えば、適度の量なら鯨を捕って食ってもいいと思うんだけど。

反対論の中に、野生動物だから、というのがあります。
動物絶滅させまくりの西欧人(オーストラリア人も同族でしょう)
にそんなことを言われる筋合いはないし、適切な量なら、
絶滅する心配もないでしょう。
このバリエーションに「鯨は可愛いから」というもっと意味不明なのがあります。
お前ら、牛とか豚とどう違うんじゃ?と問い詰めたいですね。

訳のわからん論拠に反対せねばと力が入りすぎるのか、
容認論も不合理な理由があります。
その中に、鯨がたくさん魚を食いすぎて水産資源が減っている、
というのがあります。
人類が大きい船を作るようになるまでは、鯨なんて、入り江に迷い込んだのを
囲い込んで捕るくらいしか出来なかったんだし、
そのころ、鯨を捕らないから魚が居なかったかというと、
そんなことはあるわけがない。

でも、結構この「魚が減ってる説」にだまされる人が多いのにびっくりする。

テレビでも、鯨の胃の中から、何十キロというさかなが出てきました、
と、さも害獣のように扱うことがあるので要注意

あと、伝統だからというのも、理由にならないでしょう。
アマゾンの人の中には、焼畑が伝統という部族がいるが、
そういう奴らが、伝統だから、という理由で好き放題やられたのでは、
たまったものではない。
(人食い人種というのもいるしネ)


縦割りではなく、小魚がたくさん増えるような海岸沿いの環境作りをしつつ、
適切に鯨を捕まえて食う、というふうにならないものか。




引っ越します

2007-12-20 21:34:47 | Weblog
全国三千万の女子高生ファンの皆さん今晩は。
ヤッターマンが実写でリメイクされるそうですね。

引っ越すことになりました。
短い間でしたが池袋の隣町のこのアパートも
残りあとわずかです。
東京での一人暮らしがどんなものか、そのにおいをかぐ程度のことは
出来たんじゃないかと思います。

やっぱり東京のはずれといっても便利でした。
生まれつき便利が好きで面倒が死ぬほど嫌いな自分としては、
こういう便利なところで育ちたかったぜ、という気持ちで
自分の幼少時代がかわいそうで腹が立って、、と
きりがないのでなるべく考えないようにしています。

ああ、でもやっぱり地元でもないのに埼玉の田舎に住むというのは、
下層階級の再生産でしかないのだ、と実感します。
子供の頃にこういうことを言うと、食うものに困らないのだからと
親にこっぴどくしかられましたが、
やっぱり客観的に見て割を食ったなあと、、、


引越しの話にもどると、
身軽な身と思っていましたが、意外に荷物が多くて驚き。

腐れ縁でまた埼玉県に引っ越します。
事情があって今度の住まいはやけに広いので、
それがちょっと楽しみです。

そろそろ、シュウシュウの季節も終わりそうなので、
ブログも引っ越そうかな?

最高裁

2007-12-14 10:32:20 | Weblog
ニュースをみていたら、郵便局を首になった人の事件について
最高裁判決がでたらしい。

細かいところは良くわからないとしても、納得がいく判決ではない。

大昔の有罪判決を理由に解雇するなど非常識である。

そういう決まりになっている、という反論もあるかもしれない。

でも、決まりをそのまま当てはめると不合理な結論になるときに
最後に救済をするのが裁判所の役目ではないのか。
とくに、最高裁が今回のような結論をとるのは、いただけないと思う。

理由のひとつとして、本人が隠していたことをあげているが
これもよくわからない。
本人の態度を判断要素に入れるということは、
ただ有罪判決があったかなかったか、という事実以外の事情も考慮に入れる
ということなのだろう。
そうだとしたら、今回のように軽い罪で長年勤続していたような場合、
解雇は権利濫用ということに何故ならないのか。


平和運動の公務執行妨害で執行猶予判決というから、
だれでも起こしうる犯罪だろう。


そもそも、有罪判決を受けた公務員が解職される根拠は
どこにあるのか。
それは、正当化できる根拠といえるのか。
そういうところから、最高裁には説得的に説いてほしいものだ。

だいたい公務員がそんなに偉くて特別なものなのか、と突っ込みたくなる。
無能だから解雇、なんてことはなかなかしないくせに、奇妙だ。

凶悪事件の起こったときの犯人の心の闇なんてものの解明は
裁判所に求められていないけれど、
今回の件のようなときに、長々とした判決を書いたとしても
しゃべりすぎの裁判所と責められることもないだろう。
<iframe width="312" height="176" src="http://www.nicovideo.jp/thumb/sm1101318" scrolling="no" style="border:solid 1px #CCC;" frameborder="0">【ニコニコ動画】時をかける少女ED「ガーネット」

いいニュース

2007-12-12 21:29:29 | Weblog
写真はいいニュース。

スーザン・サランドンと聞くと、皿うどんを思い出すみなさんこんばんは。
皿うどん、うまいですよね。
皿うどんが好きで、蕎麦が好きで、パスタも好きで、
ラーメンもつけ麺も嫌いではない。
麺類の好きな度合いは、前世が何かそれに関係があるのかと言いたくなるくらいである。

良い店

「皿うどんください」
「軟らかいのと硬いの、どちらにしましょう」
(むむ、両方あるとは本格的だ) 「じゃあ、軟らかいので」
(むむむ、迷わず軟らかいほうとは、出来るな)「かしこまりました」


悪い店

「皿うどんください」
「なんですかそれ?」
(なんだ、無いのか、ちゃんぽんのクセに)
 メニューを指差し「じゃあ、これ下さい」
「かしこまりました、ちゃーめんですね」

「どうぞ、こちらチャーメンになります」
 と、硬い皿うどんを出す。


硬い皿うどんは、それはそれで嫌いではないのだが、
上の悪い店の例のような場合、たいていおいしくない。


柔らかい皿うどんを食べていると、
「それ、ちゃんぽんとどこが違うん?」
と、聞かれることがある。
確かに似ているが、気分が違えば違うものなのよ。

気になるのは、
何度か行ったことのある虎ノ門のちゃんぽん屋で「柔らかい皿うどん」を注文したら、
果たして、それが出てくるのかどうか。






時代

2007-12-12 00:33:14 | Weblog
最近、ひと昔まえに流行っていた歌をよく聴く。
今の歌は歌のヒットのサイクルが早くて、
自然に歌を覚えてしまうということはほとんどなくなってしまった。

そうやって、耳についてしまうというのに、
昔の歌には異常な歌詞が多い。

ストーカーまがいの曲もたくさんある。

放課後の校庭を走る君を遠くでいつも見ているくらいは序の口で、
秀樹の「激しい恋」の2番なんて
「やめろと言われたら、死ぬまではなさない」
!!!
言われても、じゃなくて、言われたら、ですよ。
それにむかって、キャーひできーといいながら失神するファン、、、
すごい時代だ。

夕暮れのまちかーど、のぞいたきーっさてーん
(曲名が「まちぶせ」だもの。おまえは兵隊か)

荒井由実も他人の曲を書くときは無責任である。

ひとつ間違えたら放送コードに引っかかってしまう。



憲法

2007-12-11 11:23:28 | Weblog
新垣結衣の歌は確かにひどいけど、将来原田知世みたいになるかも、
と予想している皆さんこんばんは。

最近昭和20年代に関係する本を読みました。
その当時の憲法の位置づけが良くわかる本でした。
私は日本国憲法というのは、憲法としてよくできていると思うのですが、
その成り立ちはいろいろゴタゴタがあったそうです。

あたりまえのことですが、米ソが仲良しだった時代に
日本を軍備なしとする草案がつくられ、米ソが仲が悪くなってからは、
防共のとりでとしての日本の役割が期待され、再軍備が米国から
求められたのだから、
ほんとうに米国の意向に翻弄されっぱなしだったのですね。

事実上憲法改正が出来ないというのは、危険な状態でもあります。
立派な自衛隊という組織をもちながら、憲法上は武力を持たないことになっているというのは、憲法の解釈の範囲を明らかに超えています。

立派な高速道路にいきなり30キロの速度制限を課してしまえば、
そこでは、まともな速度の80キロも危険な200キロも
速度違反ということになってしまう。
むしろ、制限を100キロにして、それ以上の速度を厳しく取り締まるほうがまともな規制の仕方だろう。

今の憲法は武力が無い前提だから、法律軍備の行き過ぎを縛るということも
なかなか難しいのでしょう。
GNP1パーセント枠という言葉も最近聞かないから、総額規制というのも今はどうなっているのか分からない。
軍事費の支出について、本当に民主的統制が及んでいるのかどうかも、一連の接待騒動をみていると、疑いたくもなる。

正義感でいっているのではなく、ケチ根性で言っているのです。
お金をむだにつかわないでくれ。
最小限の支出で最強の軍備をする、という当たり前のコスト意識を持ってほしい。
軍備はやむを得ないが無駄がねをだすのはやむをえなくない。