温泉湯どうふは、かの遣唐師が豆腐の製法を日本にもたらし
たものと伝えられています。その後、嬉野の里で、製法に手
が加えられ、現在のとろける湯どうふができあがりました。
長崎街道の宿場町として栄えた時代から、多くの人が温泉
と湯どうふを楽しみ、旅の疲れを癒したと伝えられています。



明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
九龍壁というのは、九匹の龍が宝珠と戯れている様子を
五彩の瑠璃板で描いた大きな照壁(写真は中央の金色龍)


太和殿の屋根には、皇帝の数を表す「9」の数の龍が並ん
でいます。「金」色に塗られたこの龍は神獣を表わしていま
すが、これらは魔よけの意味がこめられているそうです。

初めてのロックトラウトです! しかも2匹(57cm)・・・
ロックトラウト=ニジマス×イワナ
岩魚の岩(ロック)とニジマスの英名であるレインボウトラウト
のトラウトを合わせてロックトラウトになったようです。
(イワナの方が強く出たのが、色は茶色っぽい)





北の海は荒れて波の 飛沫(しぶき)が頬を打つ





鳥取の代表的な伝統工芸品の1つである『因州和紙』を
ちぎった時にできる“けば”という部分を利用して、本物の
花のように仕上げてあります。

増上寺の「徳川将軍家霊廟」には、二代将軍秀忠公をは
じめ、六人の将軍及び正室や子女が埋葬されています。
嘗て増上寺山内の南北に広がっていた徳川将軍家霊廟
は、国宝に指定されるも、昭和20年の二度に亘る空襲に
よって多くの建造物を焼失し、その厳粛かつ壮麗な姿は
失われてしまいました。
戦後、詳細なる学術調査が行われ、現在は安国殿裏手
に位置し、六代家宣公宝塔前にあった「中門」が現在の
墓所の門として、当時の厳粛な姿の一端を表しています。
徳川霊廟内右奥には、大河ドラマ「お江〜姫たちの戦国
〜」の主人公である「お江の方」(崇源院)の宝塔があり、
二代秀忠公と合祀されています。
たまたま見かけたましたが、毎週、録画して観ていた大
河ドラマの終了に合わせて、タイムリーな特別拝観でし
た!(しかも最終日に間に合いました・・・)



18世紀初期にドイツのザクセン王国の国王、アウグスト強王
が金を作らせようとしていた一人の錬金術師が1707年に赤茶
色の陶器を開発。目標としていた白磁とはほど遠いものでした
が、1708年についに東洋の白磁と同じものを作ることに成功。
これがマイセン磁器の誕生となりました。
1710年にアウグスト強王は「王立ザクセン磁器工場」を設立。
これがマイセン磁器製作所の始まりです。
最初は東洋のデザインをそのまま模倣していましたが、1720年
から30年にかけて招かれたヨーロッパの絵付師たちによって
ヨーロッパのデザインになりました。
マイセンのトレードマークは、贋作防止のために1720年に作ら
れましたが、当時はAR(アウグスト強王の名から)でした。
その後、1723年から2本の剣が交差したデザインに変わり、
何度かのデザインの変更を経て現在のマークになっています。

写真左のプレートは非売品ですが、何とかゲットできました!




























