虹の向こうに

4人の子どもの父親をしています。
リバ剣(ブランクを経て再開した剣道人)で、段位は三段です。

「しょうがい」ってなぁに?

2010年09月27日 | ひとりごと
昨日記事に取り上げさせていただいた乙武さんが、ブログで「『障害』=『個性』?」という記事をUPされているのを読ませてもらい、ちょっと書いてみようと思いました。


「障害」とは何か。

ボクの答え。

「障害」は「障害」。


「障害」とは?=「障害」を別の表現で表すとしたら何?

この問いに対して、ボクがいつも感じること。


なぜその問いが必要なのか。

それをきいてどうするのか。


「障害」を他の言葉に言い換えることに頭を使うくらいなら、目の前の「障害者」が抱えている「障害」からくる生きづらさに目を向けたい。

そしてその生きづらさを解消できるよう互いに考えあっていきたい。


プロとして「障害者」に接する人(医療はもちろん、福祉や教育の領域で対峙する場合など)には、それぞれの「障害」について専門的かつ一般的な知識が必要でしょう。

それでも、一個人である「障害者」に接する上でもっとも大切なのは、専門的、一般的知識よりも、目の前の個人とその実態を理解する姿勢と見方だと思うのです。

「障害」を別のわかる単語に言い換えてわかったフリをするよりも、「障害者」を身近に感じて、接して、関わり合っていきたい。


「障害」は「障害」。

それ以上でも以下でも、それ以外の何でもない。

そして特別な「何か」でもない。

「障害」を、何か壁のように感じて違う世界の人のように扱ったり、特別に気を遣って腫れ物をさわるように関わったりするのは、「障害」そのものに何か意味を与えてしまっているからなのではないでしょうか。

「障害」はそれとして受け止めつつ、「みんなちがってみんないい」の「いい」に目を向けて、同じ地平に暮らす仲間であることには変わりないと言うことを自然に思える社会になったらいいな。


そういう意味では、「障害とは?」っていう質問自体がなくなることが、ボクにとって理想の社会なのかも。

バリアフリー社会と言われて久しいけれど、そして物理的なバリアーをなくす施策は増えてきたけど、日本ではまだまだ心理的なバリアーをなくそうという気運が高まってないなぁと思います。

かく言うボクだって、ボランティアで知的障害の人たちと関わったり、仕事で肢体不自由の児童・生徒と関わらなければこんな思いには至らなかったかも。

心理的バリアフリー社会を実現するために最も大切で、かつ第一歩となるのは、やっぱり直接ふれあうことなんだなって思います。



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4 コメント

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Unknown (Gacha)
2010-09-28 00:02:08
分かりやすくて、すごくスーっと心に入ってくる内容でした。
言い換えるとか、「害」の字を「がい」や「碍」で表すとか。
そんなことより、もっと大切なことが目の前には展開されているんだよね。
そして、そーやって接している僕らがこんな社会にたいして発信していかないといけないなーと感じます。
ありがとう (ばーる@管理人たっさん)
2010-09-28 00:10:11
「分かりやすくて」って言ってもらえて安心した。

どうやって発信して、どうやって形にして提示していけるか。
それを考えることが最近のボクの目標にも励みにもなっています。

それにしても、これに絡めて「障害」の表記について書こうと思ってたのに、心読まれたか(笑)
Unknown (YUCO)
2010-09-28 21:36:31
障害を持っている彼らが感じているのは
生きづらさではなくて、生活しづらさでは?!

生活しづらさを解消することに、
協力したいと思うけれど、
生きづらさを解消するとなると、ハードル高いな。


心理的なバリアフリー、私の生活の中には、
そういう思想を行動に反映する機会がないから・・・
コメント感謝 (ばーる@管理人たっさん)
2010-09-28 23:13:04
YUCOのBLOGも読みました。

「生活しづらさ」を抱えているのは確かだけれども、それを解消していくのは物理的なバリアフリーに拠るところが大きいんじゃないかと思います。

「生きづらさ」は、ボクを始めみんなが持ちうるものだけど、「障害」のある人たちにとっての生きづらさは決して感覚的、内包的なものだけではないと思うのです。

「障害」に対する偏見や過干渉、あるいは差別や無理解・・・。

そのあたりの心理的なバリアーを考えたとき、同じ社会で生きていることが当たり前のこととみんなが思えることがまず必要なんだと思うのです。

とするならば、彼らが抱える「生きづらさ」に対する視点が、ボクとしては必要かな、と感じたわけです。

たしかにハードル高いけど、だからこそ一緒に飛び越えたい。

それはボク個人の願いであり、目標。

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