こぶとりばばぁの鬼退治日記

ぶっそうな題名でスミマセン。

女性の「オトコ運」は父親で決まる!?

2005-05-30 20:38:52 | Weblog
『女性の「オトコ運」は父親で決まる』(香川大学教授、人間行動学 岩月謙司著、二見書房)読了。
以前、偶然に本屋で見かけ興味をそそられたけど、ここはぐっと我慢して、
「図書館、図書館、、、」とやり過ごした。本はよっぽど気に入らないと手元に置かないようにしている。だって、「ツンドク」になってしまうもんねー。私の場合。買っただけで読んだつもりになってしまう。。。。そして読まない本が家の中で繁殖している。

ところで、その本と図書館で出会えることもなく、私の記憶からすっかり消えていたんだけど、偶然にも某所で再会し、借りることが出来た。聞くところによると、著者はセクハラで訴えられているとか。。。この著書にも書いてある、子供の頃、親から愛されなかったために、それを取り戻すための行為をある女性に求められ行ったところ、セクハラ行為とされたらしいが、、、、。

ファザコンというのは、「父親が大好きで、他の男の人にも父性を求めるあまり、他の男性では満たされない」ものかと思いきや、「父親から性を越えた愛をもらっていない」娘のことだと言う。マザコンもしかり、母親からきちんとした母性で愛されていない男のことを言うらしい。世の中、ファザコン女とマザコン男のカップルが多いらしいが、ということは父親失格、母親失格の人口の比率が多いと言うことか。。。。

自分も含めて、まわりの友人達を見ていると、確かに子供は「親が育てたように」育っているように思う。「親が育てたように」と言っても、「親が無意識に育てたように」と言ったほうが正しいような。。。
それは子供の頃よりはむしろ、大人になってから如実に表れるような気がする。だから、コワイ。
かなり前になるけれど、皇太子様が朗読した詩を思い出した。

ドロシー・ロー・ノルト Dorothy Law Nolte

『子は親の鏡』
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない

誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

少子化が問題になっているけど、親としての適正のある人が親にならなければ、日本は良くならないと思う。「量より質」よね。親からたっぷりと愛されてきた(もちろん正しい意味で)子供たちでいっぱいになったらいいなぁ。

さて、ナゼ『女性の「オトコ運」は父親で決まる』と言う題名に惹かれたかと言うと、そうです。私の父親は父親失格男だと、私が思っているからなのです。
ところで、その本を貸してくださった方が、私にもう一冊本を貸してくださいました。

『ずっと彼氏がいないあなたへ』(岩月謙司著)

…なんだよォ~!!あたしゃ、そんな本、貸してくれとは頼んでないぞぉ~!!



感動した!

2005-05-29 21:09:13 | Weblog
また行ってきました。Alvin Ailey American Dance Theaterの公演を。
前回、茶谷さんは「徹子の部屋」に出なかったのかな?なんて言ってたら、いらっしゃいましたよ。黒柳徹子さんが。

きょうは最終日と言うことで、ダンサーもリラックスしているのか、配役も良かったのか、金曜日の時より断然良かった。初めて観た「Caught」。初演は1982年で、Aileyでは2002年に初めて踊られたもの。これ、スゴイ。何がスゴイって、ダンサーのClifton Brownの跳躍力やフレキシブルな動きもすごいけど、照明との息がピッタリというか、、、。あのX光線、チカチカするやつね。(X光線って言うんだっけ?)ちゃんと見えるところで、きちんと見せ場になっているんですよ。たとえばジャンプのときは、飛んでるときにチカリと見える。着地しているときや中途半端な動きのところは見えないようにしている。まるで、ピアノ線でつられていて、生身の人間が演っているようには見えない。劇場自体が不思議な空間に迷い込んでしまったような感じ。ふつうさ、X光線って、動きを誤魔化すためにあるよね。私なんかは一番に思い出すのは、ドリフターズのコント。なんか、こんな使い方があったんだ、と新しい発見に感動!

「Revelations」もダンサーひとりひとりが、輝いていた。以前、一番感動した「Revelations」を彷彿とさせる。

ところで、よく「日本人の観客はおとなしい」って言われるけど国民性だから仕方ないよね。でも、観客が参加型で、声援や拍手を一杯送ると、ダンサーはもっと元気になって輝ける。いいものを観たいなら、観客も大いに舞台に参加すべし!皆で場を盛り上げて、もっといいものを観よう!!

あ、開演中に、携帯の時計を見ているのか、携帯をずーっと光らせたままの人がいる。すごい迷惑!マナーが守れないなら、劇場には来ないほうがいいかも。。。。


6年ぶり!

2005-05-27 20:55:19 | Weblog
きょう、国際フォーラムに行ってまいりました。Alvin Ailey American Dance Theaterの公演を観に。。。。なんと、日本に来たのは6年ぶり。やっとスポンサーが付いたのね。そして今日のマチネは、そのスポンサーが応募者のうちの当選者を無料でご招待!おおっ、太っ腹!
きょうは特別に、元ダンサーで今、芸術監督補の茶谷さんの解説付きと言う。なんだか茶谷さん、郷ひろみみたいなしゃべり口調になっているし、落ち着かない。今年は「徹子の部屋」には出なかったのかな?よく日本公演前には出演しているんだけど。。。。
それはともかく、
演目はスポンサーの好みで決まると言う。そうよね。客が呼べなきゃスポンサーの意味ないものね。スポンサーは客が呼べそうな演目を指定する。なのか、今回の演目はどちらかと言うと、古い看板作品よりも今流行りのヒップホップ系の要素がふんだんにこめられた作品が多かった。Mr.Ailey自身の作品はたった「Revelations」のみ。それはチト淋しかったかなぁ。
Aileyが生存中は、カンパニーのダンサーは個性の強いメンバーが多かった。それが芸術監督がJudithなって体の利くダンサーが重視されるようになった。そのかわり、身長にこだわることはなくなったけど。。。でも、作品に「アソビ」がなくなって、ただ、「スゴイ」し「綺麗な」舞踊団になってしまった。6年前の来日した時の感想だ。
でも今回のメンバーは確かに、技術的にすごいけど、以前より個性的で(でもやっぱりAiley時代とは比べようもないけど、、、)精気が戻ってきた、と言う感じがした。

今は、ヨーロッパ系のコンテンポラリーというジャンルの踊りが流行っているというか、高尚だと思われているのか、もてはやされている。けど、私はなんだか分かりにくくして、誤魔化されているような気がする。
私はやっぱりAileyが好き。決して高飛車に人生を説くことはない。そこには生きることの悲哀や情熱が、何気なく語られている。
またスポンサーがサポートしてくれて、来年とは言わないけど、再来年あたりにAiley自身の作品を沢山携えて、日本公演してくれたらいいなぁ~。
あ、日曜日は自分のお金で観に行きますよ!もう何十回も観た「Revelations」。また観に行きます!もう、一緒に踊れる位だもんねーーー!

「おのぼりさん」してきました!

2005-05-26 22:00:12 | Weblog
ニューヨーク在住の友人が、帰国してきたので会った。
きょうは、「浅草に行こう!」と言うことになった。実は家から歩いて15分くらいで行ける距離なのに、一度しか行ったことがなかった浅草。
きょうは平日なのに、修学旅行生や外国人観光客や、定年退職したような人たちでいっぱいだった。相変らず「ウンコビル」(あ、失礼)は光輝いていた。

仲見世通りのお店の人たちのお客に対する食い下がりには圧倒。でもちょっと、路地に入ったところの方が、同じものでも断然安い。

鳩の数はかなり減った。土鳩の被害はすさまじいもので、「鳩に餌をやらないように!」と言う区のお達しが浸透してきたためか、、、。ところが、雷門のスグ横のアイスキャンデーを売っているお店の前には数羽の鳩が、、、。お店の前に置いてあるベンチに座って、アイスキャンデーを食べた。嫌な予感が当たった。アイスキャンディーは残すところあと2,3㎝、棒にくっついている。そして、ボトッ。。。。。。。そうです。鳩は私のような、どん臭い人間を待っていたのでした。アッと言う間に、十数羽の鳩がアイスキャンディーめがけてきました。そして瞬く間に、アイスキャンディーの姿は消え去りました。溶けた形跡もなく、、、。台東区よ、ごめんなさい。鳩に餌をやってしまいました。。。。

昭和の匂いのするブロマイドのお店にも入ってみました。フィンガー5、ずうとるび、天地真理、朝丘めぐみ、桜田淳子、、、オオッ!!なんでこんな古~い、ブロマイドが店頭に置いてあるんだろう!美空ひばりや石原裕次郎なんかが一番目立つところにあるのは、さすが浅草!!

地方出身者の私としては、浅草は東京の象徴、と言っても過言ではありません。まさか、その近くに住むなんて思ってもみなかった。だからなのかな?近くに住んでいるのに、浅草は何故か遠い。こうして浅草を探索していても、どこか「おのぼりさん」気分は消えない。

勉強会

2005-05-25 23:54:05 | Weblog
きょうは勉強会。
一番下っ端だった頃がなつかしい。下っ端だと、知らなくて当然みたいだったのに、ヘタにキャリアがあると、知ってて当然、、、、みたいに思われちゃうもんなぁ~。しかし、現実は知らないことばかり…。今は、「我以外は、皆、我が師なり」と思って謙虚に研鑚しよう!

求人広告の見方

2005-05-24 22:30:20 | Weblog
最近、スーパーなんかで無料の求人広告雑誌が置かれている。
私はこれを見るのが結構好き。社会勉強になると言うか…。だって看護師さんの月給や時給や、葬儀屋さんのバイト代なんて、今までじゃ、なかなか知る機会なかったけど、フリーペーパーだと気楽に伺える。気のせいかな?こういう求人広告、昔はなかったような気がする。
さて、もうひとつ気になることがある。それは「マッサージ」や「整体」、「リフレクソロジー」の広告。なんでさぁ、「未経験者可」なの??整体やリフレクソロジーには国家資格はいらないけど、マッサージは必要でしょう??
と、言うか、
同じお金を払うなら、キャリアのある人にやってもらいたいよねぇ。コワイもん。
と、言うのも、
もう随分前の話。私はとある鍼灸院の件で、警察に呼び出されたことがある。私が通っていた鍼灸院は女性の院長に、2,3人の男性スタッフがいた。私はいつも院長に診てもらっていたが、ある時院長が忙しくて、別の男の人に診てもらうことになった。以前にもそんなことがあったので気にしなかったけど、その人やたらと私に、
「マッサージはよく受けるんですか?」と訊く。
「はい」。と答える私。しばらくすると、また同じ事を訊く。
「だから、『はい』って言ってんだろう!」と心の中で思っていたが、「ヘタだなぁ。こいつ」とも思っていた。どうもしっくりこない、と言う感想を持って家へ帰った。そして2,3ヶ月後、警察からのお呼び出し。
看板に派手に「治る」とか謳ったみたいで(薬事法違反)、それを誰かにチクラれ、家宅捜査に入ってみると、資格のない人が雇われていた、との事。それが彼だった。私は彼について事情聴取され、んもうォ~貴重な時間を無駄にされたんですよぉ。2度も警察署に出向き…。
その院長は初のその業界での逮捕者になってしまい、全国紙にも載った。何ヶ月か営業停止をくらい、それからしばらくして場所を変えて営業を再開したらしい。私はそのことがあってから、そこへは行かなくなったけど、、、、。
今は、緩和されてきているのだろうか?だけど、同じお金を払うなら、やっぱりキャリアのある熟練した施術者から受けたい。だって大切な身体をあずけるんだもんね。
求人広告から、いろいろと感じることがある今日この頃です。


リハビリ・ショー!

2005-05-23 20:30:27 | Weblog
昨日、ダンスの発表会だった。
今回は何故か、いつもより増して緊張した。ダンサー個人として緊張するよりも、作品を振付け発表するほうが緊張する。メンバーのことも考えながら舞台に乗るのは、本当に大変だ。何しろ、誰よりも稽古回数が少ないのだから…。

よく、ダンスの発表会や公演を観に行くと、一番ヘタだったりするのが、主催者だったり、先生だったり…「なんであんな人が先生なんだろう?」と若い頃、よく思ったものだ。
「あんな風になりたくないなぁ~」と。
がっ、しかしッ!
「あんな風」になりつつある自分がいる。おーーーっ!!これが世の常なのかッ!!
人にエラソウに、「あーしろ、こーしろ」とか言ってる割には、自分が出来ていない。
自分の作品は踊らない、人の作品で踊る…これが理想なんだけどなぁ~。誰か振付けてくれと言うと、皆顔をそむける。
振付けだって大変なのよ。才能豊かならいいだろうけど、なんせ乾いたタオルから水を絞り出すがごときの苦労。そのワリには大したもん出来ないしなぁ~。

今回の発表会は、私にとっては特別な意味を持つ。つまり今年は「リハビリ」と「次の手術の体力づくり」と「更年期障害対策」を目的としたものなのだ。
今年も発表会に出る、と言った時、まわりの友人たちはビックリ。「大丈夫なの?」と言う声があちこちから聞こえ…。

術後、運動をすると傷口の細胞が、本来の姿を取り戻すため規則正しく並ぶそうだ。動いた方が傷の治りが早い。それが証拠に一番よく動くところのお腹の傷が1cmくらい、まるで切られていないみたいに劇的にきれいになっている。でも術後3ヶ月は歩くくらいで、本格的には踊れないけどね。

女性ホルモンの分泌が少なくなると、「ウツ」状態になる人もいると言う。女性ホルモンは気持ちを明るくする作用も持っているからだ。何か気を引くことをやっていれば、精神的に暗くなることはないか、と思った。そうでなくても独り暮らし。何か考え事が始まると、わるぅ~い方へ、わるぅ~い方へ、、、、とドツボにはまって行くしね。

私を見て、手術に踏み切れない人たちもそれなりに考えてくれるかな。とも思う。
術後5ヶ月で、立派に(?)人前で踊ってまーーーす!筋腫と一緒だけど、、、。


マスコミって?

2005-05-21 21:50:20 | Weblog
今日、知り合いの仕事場へ用があって訪ねた。
彼女は最近、TVや雑誌にもバンバン取り上げられて本も3冊出している。とかくマスコミに載ると勘違いして、天狗になってしまう人が多いけれど、彼女はいつもの通り。

マスコミに載るって、すごいことだと思っていたけど、案外運次第なところもあるんだと、この業界に入って思った。なんだかすごくいいレストランみたいに紹介されていても、実は記事を求めて、記者がふらりと極秘で客として入って、それなりに合格点だったらあらためて取材を申し込む。ほとんど記者の主観とページを〆切前に埋めるためのもので、近所の人達の評判とかをリサーチして得たデータではない。
それを「雑誌に載った」から、「TVに出た」から「いいもの」と信じきっている消費者のいかに多いことか、、、、。ほとんど洗脳に近い。あー、マスコミの力っていい加減だからこそ恐ろしい。

別の知り合いが言っていた。
ある日、あるTV局から電話があった。ある番組に出てくれとのこと。それはお笑い芸人が出てくる番組だったらしい。彼が「もっとキャリアのある方を紹介しますよ」と言うと、「いえ、そういうのは必要ないんです」と先方は答える。
なので、彼はその話を断った。自分の本当にやりたいことではないから、と。
結局、マスコミ好きの別の人がその番組に出たらしいが、、、。

「マスコミ、イコール正しい」ではない。きちんと自分で、正しいもの、いいものを見極める目を養いたいものだ。



骨密度

2005-05-20 20:38:56 | Weblog
きょう病院へ行き、骨密度を測ってまいりました。この結果次第で、今後の私の治療方針が決まります。合格点を取れたら、このままホルモン注射のリュープリンをあと4ヶ月継続。もし不合格なら、これで注射は中止。そして手術の日程を決めなくてはなりません。

しかし、何よりも問題なのが、「果たして筋腫は小さくなっているのだろうか?」と言うこと。私の大腸にすっぽり包まれていた筋腫。「あなたのは、とにかく小さくしないといけません」。と、今度の担当医は言う。だから様子を見て、リュープリン使用が可能なら最長期間まで続けると言う方針だ。

前回入院した時の、隣のベッドの人は全くリュープリンが効かなかったそうだ。
「更年期症状も出なかったけど、全然小さくもならなかったのよォ。一本13、000円もするのにぃ!ほんと金返せーーー!って感じよね」
との事。
かと思えば、劇的に半分の大きさになったのに、注射を止めた途端に元に戻ったと言う人の話もよく聞く。
人の体質は本当にまちまちだなぁ、と思う。女性の一生涯で分泌される女性ホルモンはほんのスプーン一杯分。たったこれだけのものが、女性の人生を時には左右する。すごいよね。血圧をコントロールしたり、骨密度をキープしたり、心を明るくする作用すらもつと言う。

うちの祖母も母も、更年期に入る前に病気になってしまったので、私の更年期症状はどのようなものになるのか皆目見当がつかない。今日で、6回目。更年期症状の自覚なし。ただ単に、鈍くて感じていないだけなのかもしれない!?

彼女。

2005-05-19 22:00:59 | Weblog
知り合いから、市販のビデオのコピーをもらった。
その市販のビデオというのは、スマトラ沖地震で犠牲になってしまった大学の同期が関わっていたものだった。偶然にも、彼が持っていたので何も考えずに、
「貸して」。って頼んだ。

まさか、そのビデオに彼女が出ているなんて思わなかった。ビデオはコピーのコピーなのか、かなり状態が悪い上に、大学を卒業してから一度会ったきりの彼女を、すぐに認めることは出来なかった。ただ、最後にテロップで彼女の名前が出てきたので、もう一度巻き戻して見る。確かに一度だけ、彼女は名前を呼ばれていた。

自分の無用心さに、我ながら呆れた。
「彼女が出ている」ことを知っているのと、知らないのとでは、私のビデオに対する見方が違ってくるのだ。私の好奇心は「彼女に」ではなく、そのビデオ自体にあったのだから。。。

なんて言ったらいいんだろう。切なさだけではない。また、彼女の死を受け入れられない自分に戻ってしまったというのだろうか?

本当に、明日のことは誰にもわからない。