どんな物事も、視点を変えると、全く違って見えるものです。
私は、近衛文麿という人物について、家柄は最上級、頭脳は明晰、しかし実務能力は今ひとつで、常に逃げ腰で…等と、いい印象を持っていませんでした。
しかし、どうやら、彼なりに懸命に日本の早期終戦に向けた努力をしたものの、その声に耳を傾けない者の壁に阻まれるばかりか、誤解されるようにし向けられ一層の戦争責任を負わされてしまう…つまり、敵は、軍やマスコミばかりではなく、あらゆる手段を用いて保身に走った、最も身近にいた者だった…
きっと、徳川慶喜と同様、違う時代に生きていれば…と思われる人物の一人でしょう。
また、賊軍と誤解される幕末の会津藩士や、東京裁判で一切弁解しない広田弘毅のように、仁に、そして義に生きようとした人だったと思えるようになりました。
そして、山本有三が近衛宛に詠んだ句は、夏の暑さに、いや、平和というものに漫然としている私のだらけた精神に、気合いを入れてくれました。
「日のもとの われはをのこぞ 日のもとの をのこのつとめ いまはたさなん」
私は、近衛文麿という人物について、家柄は最上級、頭脳は明晰、しかし実務能力は今ひとつで、常に逃げ腰で…等と、いい印象を持っていませんでした。
しかし、どうやら、彼なりに懸命に日本の早期終戦に向けた努力をしたものの、その声に耳を傾けない者の壁に阻まれるばかりか、誤解されるようにし向けられ一層の戦争責任を負わされてしまう…つまり、敵は、軍やマスコミばかりではなく、あらゆる手段を用いて保身に走った、最も身近にいた者だった…
きっと、徳川慶喜と同様、違う時代に生きていれば…と思われる人物の一人でしょう。
また、賊軍と誤解される幕末の会津藩士や、東京裁判で一切弁解しない広田弘毅のように、仁に、そして義に生きようとした人だったと思えるようになりました。
そして、山本有三が近衛宛に詠んだ句は、夏の暑さに、いや、平和というものに漫然としている私のだらけた精神に、気合いを入れてくれました。
「日のもとの われはをのこぞ 日のもとの をのこのつとめ いまはたさなん」