日蓮聖人の教義は正と負の両面が混在しています。純粋にこの両面を受け継いでしまうと、現在の富士門流系に行き着いてしまう。代表的な団体は創価学会です。最近はこの団体も日蓮正宗から破門され、世間との融和路線に転じ昔のような過激さは無くなってきました。同じく富士門流系の顕正会は数年前、無理やり教団に入会させようとした信者が暴力事件を起こしたことでニュースになりました。どちらも大石寺の教義を基本に置いています。法華経以外は邪宗で、他の宗教は不幸を撒き散らす教えとし、折伏と称して自分の宗教に改宗させることを善とします。これらの団体は太平洋戦争後の団体ですが、それ以前でこれに近いことをやっていたのは、日扇師を祖とする本門仏立宗の初期の活動です。
日蓮教義の正の部分を述べると、大乗経典の中で法華経という最高の教えの中でも、庶民が簡単な方法で仏種を植えることができるようにシステム化された内容になっています。日蓮教義は何だかんだ云っても日本天台宗の教義を母体とします。日蓮聖人以前にも法華経の簡略化は本場の比叡山でも考えられていましたが、完成には至りませんでした。これを完成させたのは日蓮聖人の偉大な功績と個人的には考えています。御書もまともに読んだことの無い方には日蓮教義がどれ程凄いかは理解出来ないと思います。兎に角、知れば知るほど凄いの一言です。
負の部分ですが、御書を読むと日蓮聖人のエネルギーが伝染したかのように、稀有壮大な気持ちを持ちます。即ち、広宣流布の戦士たらんとする戦意の発楊です。他宗を攻撃して、自宗に入れることを善とするドグマです。当時、浄土念仏の間違っていた教えが日本を席巻していました。約8割は浄土のおかしな教義に日本は染まっていたんですね。この頃の浄土は今のような浄土宗とか真宗ではないんです。死後に極楽があるとする非常に厭世感の強い教義でした。元々、聖人当時の攻撃対象は念仏だったと思います。佐渡後、真言、天台にも批判を向けますが、その多くは念仏教義に対する折伏でしょう。
時代を経て、この負の部分は徳川幕府の宗教政策により規制され、大部分の教団は現在の日蓮宗のように他宗と融和する宗教になりました。富士門流は宗祖のDNAを直接受け継いでると云われていますが、宗祖在世当時とは事情も変わりました。念仏も教義内容も改まり、折伏の考えも修正する必要があったと思います。世間はあまりにも日蓮教義の正負の両面を混在させ、負の一面ばかり捉えすぎているように思います。また、日蓮教義の正の部分は、理解するのにかなりの努力を要するので、そこが残念に思われます。
日蓮教義の正の部分を述べると、大乗経典の中で法華経という最高の教えの中でも、庶民が簡単な方法で仏種を植えることができるようにシステム化された内容になっています。日蓮教義は何だかんだ云っても日本天台宗の教義を母体とします。日蓮聖人以前にも法華経の簡略化は本場の比叡山でも考えられていましたが、完成には至りませんでした。これを完成させたのは日蓮聖人の偉大な功績と個人的には考えています。御書もまともに読んだことの無い方には日蓮教義がどれ程凄いかは理解出来ないと思います。兎に角、知れば知るほど凄いの一言です。
負の部分ですが、御書を読むと日蓮聖人のエネルギーが伝染したかのように、稀有壮大な気持ちを持ちます。即ち、広宣流布の戦士たらんとする戦意の発楊です。他宗を攻撃して、自宗に入れることを善とするドグマです。当時、浄土念仏の間違っていた教えが日本を席巻していました。約8割は浄土のおかしな教義に日本は染まっていたんですね。この頃の浄土は今のような浄土宗とか真宗ではないんです。死後に極楽があるとする非常に厭世感の強い教義でした。元々、聖人当時の攻撃対象は念仏だったと思います。佐渡後、真言、天台にも批判を向けますが、その多くは念仏教義に対する折伏でしょう。
時代を経て、この負の部分は徳川幕府の宗教政策により規制され、大部分の教団は現在の日蓮宗のように他宗と融和する宗教になりました。富士門流は宗祖のDNAを直接受け継いでると云われていますが、宗祖在世当時とは事情も変わりました。念仏も教義内容も改まり、折伏の考えも修正する必要があったと思います。世間はあまりにも日蓮教義の正負の両面を混在させ、負の一面ばかり捉えすぎているように思います。また、日蓮教義の正の部分は、理解するのにかなりの努力を要するので、そこが残念に思われます。
新年、おめでとうございます。
昨年は様々なご指導をいただきまして、誠に有り難うございました。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
日蓮義は本当に難しくて複雑ですね。
一見簡便な方法なんだけれども、そこに込められた深い意義を掴み取ることはじつに難しい。非常に誤解を受けやすい宗教だと思っています。
>負の部分ですが、御書を読むと日蓮聖人のエネルギーが伝染したかのように、
>稀有壮大な気持ちを持ちます。
以前読んだ日蓮聖人の本の中に、「道元や親鸞に心服する人はいても“憑かれる”人はいない。しかし日蓮に人は“憑かれる”のだ」という一節がありました。
「末法の世」に雷鳴のごとく登場し、独自の法華経世界を展開した大聖人様の圧倒的なパワーに、人は魅了され憑かれるのでしょう。
時にそれが人にとって非常に有意義な体験になることもありましょうが、一歩間違えれば世間で言われるところのカルトになってしまうのでしょう。
また探玄様の仰る通り、折伏についても時代背景を鑑みて、もう一度考え直す必要があると思います。
探玄様にはお忙しいことと思いますが、どうぞ健康にも留意され、本年もためになる記事のアップをよろしくお願い致します。
ご無沙汰しております。
更新がないのでどうされたのかと思っていたのですが、今年は探玄さまにとっていろいろと大変な年だったようですね。お見舞い申し上げます。
麦茶さんのコメントを丁寧に読ませていただいたのですが、なるほど大聖人様の教えを忠実に守られている方のようですね。
私は個人的には日蓮法華を信仰の土台に置きながらも、神信心によって外護を期すという考えなので、身延山系の信心がやはり性に合っています。とはいえ、忠実に大聖人様の教えを守られている方のことも尊敬しています。
私の考えとしては、内ゲバのような細かい言い争いは横に置いて、日蓮大聖人の教えを信奉する教団が大同団結し、もっと法華経を世に広めるべきではないかと考えております。まぁ難しい話だとは思いますが、日本に天変地異が頻発している昨今、もう一度法華経の霊力を日本に巻き起こす必要があるのではないかと考えています。
最後になりますが、探玄さまもご自愛なされて、年末年始はゆっくりと養生され、新たに良いお年をお迎えくださるよう、お祈りいたします。
お元気になられましたら、探玄さまの記事の更新を楽しみにしております。
今後ともよろしくお願い致します。
三千具足さんも、よいお年をお迎えくださいね。気にかけていただき、ありがとうございます。
法華から浄土に重心を移していますね、今の僕は。
仏壇の阿弥陀さんとは別に、名号掛け軸を本尊に据えかえました。山下現有師の阿弥陀名号です。日蓮教義から止揚したと自身では思っています。
だって、日蓮教義は得るところも多いですが、教義自体自己矛盾に満ちています。ハッキリ言うと、分裂する感覚になるんです。やはり、日蓮さん自身、本当の師匠を抱かず、我流で教義を構築した反動があるからでしょうね。
今の浄土宗は優れた学匠らが教義を再編し直しているんで、非常に素晴らしいです。日蓮さんは傍らの信心にします。
学会は元檀家団体で僧団ではありません。しかも、宗門から破門されています。勝手に日蓮正宗の教義を真似、他の宗旨を誹謗するオカルト集団です。
昔、身延は偽日蓮宗旨と贋札を例えに誹謗していた学会さん。実は学会自身が極めつけの偽日蓮宗旨。極めて精巧に作られた贋札だったみたいです。笑