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音楽は、すべての壁を越えて、一つに!!

現在、フェイスブックでの発信が増えています。

「藤芳洋」「畑のテーブルSai菜」「なのはな食堂」で、検索して下さい。

なのはな村の日々のよしなし事が、綴られています.

 


「第24回人権について考える県民の会」に、牧原裕樹がギター独奏の招待を受けました。

みんなで行きたかったのですが、帰りが遅くなりそうなので、卵の配達を兼ねてフジサキ一人で行って来ました。

宮崎市・オルブライトホール。宮崎では、かなり有名なホールです。

「市民・学者・文化人部門」代表として、登場です。

”音楽は、すべての壁を越えて、一つに” 

~夢は・世界を駆け回るギタリスト~

「自閉症というハンディも自分の味方にして、夢に向かって毎日練習に励んでいます。目標である”世界を駆け回るプロギタリスト”になるために、1曲1曲大切に演奏します。」(プログラムより)

 

「プロギタリストになるための支援をして欲しい。」と、親御さんに言われた時のフジサキのとまどい、その時の雰囲気で席に着きました。

本人は、事業所での練習のときと何ら変わらぬ様子で、椅子に座り、ギターを抱いています。

思えば、4年も立たないのに随分と遠くまで歩いてきたものだ、そんな感を強くします。

周りはは見守るだけ・・・本人の意思の強さが一度も崩れなかった、ということだろうと思います。

今は、フランス留学の夢も語ります。

さあ、演奏です。

アンコールも含めての、1時間の演奏でした。

 

 

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お礼状

久しぶりの通信で、申し訳ありません。

現在、フェイスブックでの発信が増えています。

「藤芳洋」「畑のテーブルSai菜」「なのはな食堂」で、検索して下さい。

なのはな村の日々のよしなし事が、綴られています。


 

きょうは、この間、なのはな村を訪ねて来られたグループからのお礼状を紹介します。

このような文章は、大体にして常套句があるもので、フジサキなどもいつもそれに倣っております。

でも、この文章は、これを書かれた方の気持ちの細やかさがあふれています。

こんなところに、人の生き方というものが現れるんですね。

自己反省です。

(なのはな村が褒めてあるので、気恥ずかしいですが・・・。)

 

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M精肉店

7月・8月と続いた、M精肉店の仕事の最終日。

お肉が味噌漬けになり、真空パックされ、商品となるまでの工程を全て任せていただいております。(もう何年になるでしょうか。)

一台の機械をお預かりする、責任ある仕事です。コンテナに積めるパック数も、間違えるわけにはいきません。

本来は3人の仕事ということですが、なのはな村では一人の支援員と、4~5人の利用者さんとで出勤体制を組みます。レーン上を流れるお肉に適切に対応しなきゃいけないし。土曜出勤、仕事が終わらないと残業・・・等々、厳しい仕事環境ですが、なぜか希望者の多い仕事です。

 

「何故か。」ではないのです。

精肉店の従業員に交じっての責任ある仕事、厳しいけれど充実感があります。また、自分の労働量を、賃金という形で的確に評価さしていただきます。

 

福祉事業所、情けないです。(よそのところのことは言っていません。なのはな村のことです。)

 

M精肉店様、ありがとうございました。11月、12月、またよろしくお願いいたします。年の瀬の31日まででも頑張ります。

 

本来は、農場班の中田君(サッカーの)似のKさん。

大慌てでひげ面を隠しましたが、本人はカッコ良いと思ってる?!・・・

近くのGHで生活していますので、土曜日皆勤賞でした。

 

就労経験もあり、ご家族も就労を望んでおられるけど、M精肉店の仕事には腰が重かったです。

1週間前に、ようやく腰を上げてくれました。

これをきっかけに、就労が意欲が湧いたらしめたものです。

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土はいのち

トクシゲばあちゃんに会いに「紅梅園」へ。

昔からばあちゃんだったのに、現在もやっぱりばあちゃん。

齢を重ねるのを、あるときからやめたのか・・・。

「妖怪ばばあか。」と、呟きましたが、オコラナイデクダサイ。フジサキ最大の賛辞のことばです。

 

ばあちゃんは、「土はいのち」と言います。

フジサキも真似して言ってみますが、土台、言葉の重さが違います。

 

ときに、ばあちゃんに会って、フジサキは元気をいただきます。

 

きょうは、ばあちゃんにお願いごとをされて、フジサキ鼻の穴を膨らまします。

 

「なのはな村で梅園の仕事を手伝ってくれんね。」

昨年、青梅を割る仕事をなのはな村で請け負いました。

そのときの印象が強く残っているみたい。

「ホントに、みんなで最後まできちっとするがね。」

みんなの頑張りと、支援員の責任感が、ばあちゃんに評価されたようで、フジサキ関係なかったみたい。

「みんなの都合で来れる時に、仕事を用意するから・・・。」

 

返事はみんなの意向を聞いてから、ということにしましたが、

なのはな村の作業が途切れる冬場の、剪定屑の片づけなんか良いかもしれないなあ、と思ったところです。

どうです、この梅の木を見て下さい。

一代で、この梅園を育てたばあちゃんです。

何と、ビワの木と共生しています。

 

 

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我が闘病記

8月14日、無事生還しました。

何故に、こんなことになってしまったのか。

自分の生を引きずるように、盲腸を大事には引きずってきたから・・・

緊急手術!

夜も来て、朝もめぐり来て・・

 

もう、何日も食事をしてなかったような

重湯とジュースが、とても美味でございました。

後は、切り裂かれたお腹の傷の回復を、ただひたすら待ち続けるのみ。

朝、昼、晩、と三度の食事を食らうのみ。

おかゆになって

 

病院最後の晩餐

凄い量です。

これを夕方6時に頂きました。

 

病院最後の、朝の宴。

 

ありがとうございました。

病院のみなみなさまに、お礼を申し上げます。

 

農場で待っていてくれたのは、

なぜか、かたつむり。

同じカタツムリではないですよ。

 

 

 

 

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