直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

serial experiments lain についての考察

2009年05月15日 | ちょこのひとかけ


lainは放送当時すごくはまりました。
たしかわたしが買って持ち続けているアニメのDVDは、
lainと地球少女アルジュナだけ、というくらいです。たぶん。

お話は、
現実とネット内は完全に別物とは言い切れず、
ならば同一だと考えてみたらどうだろう、
というようなserial experiments(一連の実験)を
このアニメの世界を作っている神様のような存在が
やってみたという感じです。

基本的に話はないと言えばなく、このお話の中の世界観が、
見ている人の頭の中にインストールされていくような感じがします。
雰囲気が好きな人は楽しめる気がしますが、いったん置いていかれると、
もうまったくついていけなくなると思います。
わたしは当時見ていて、変にはまってしまいました。

今回なんとなく見直してみて、当時好きだったという印象は思い出したものの、
話はなんだかよくわからないまま終わってしまいました。

でもそれではなんだか残念すぎるので、
あえて意味がわかるように考察と解説をしてみることにします。

---------------------

現実世界には、世界を作った神様がいます。
ずっと世界は一つだけだったのですが
現実世界の位相をずらしたような世界であるネット世界ができると、
そこにも位相がずれた神様ができてしまいました。

現実世界では、違う国に住む人同士が多人数で
同時に語り合ったりすることはできません。
なぜかといえばもちろん、距離の隔たりがあるからです。

電話やテレビ電話を使えばできると言いたい人もいるかもしれませんが、
それこそが、電話線やその他通信回線で接続されたもの、
すなわち、ワイアードです。

現実上だけではできないものが、線を介せばできてしまいます。
現実世界ではできないことがネット世界でできるなんて、
それでは現実よりもネットのほうが優れているようです。

そこで、ネットに生まれた、ネット神様は
現実の上位世界と思えるネット世界を現実世界と混ぜ合わせ、
世界を一段階上のものにしようとしはじめます。

それをいち早く察知したプログラマーの男は、
そのネット神様の位置を奪おうと考えます。

なお、ネット神様というのは本物の神様とは違い、
たとえば『神の見えざる手』のような言葉で説明される、
人間の総合的な意識の集合体のようなものです。
今の概念でいえば、意識の伝達子、『ミーム』に相当するでしょうか。
ただ、彼はそれを『ミーム』と名づけるのではなく、『lain』となづけました。

たとえば江戸時代から明治になるにつれて、
ちょんまげをやめて散切り頭になったのも、
『ちょんまげを結うことはしない』という『ミーム』によって
意識が伝達されたと考えられますし、
江戸幕府を倒して民主国家を作ろうと人々が考え出したのも、
『民主主義を作ろう』というミーム(集合意識)の高まりが
人々に伝播していったものと考えるとわかりやすいでしょう。

ただ、それでは『lain』は漠然としすぎていて、形もありません。
そこで、ネット神様になろうとした男は、『lain』に形を与えました。
たとえば『立川市』という観念上の区分である『市』に、
『タチカワたん』という萌えキャラの姿を与えて
親しみを持たせるようにしたような感じです。
または、人が集まっただけの『会社』というものを
擬人化して『法人』としてとらえるようなもの、
といったほうがわかりやすいでしょうか。

つまり、ネット神様になろうとした男がおこなったのは、
一つは人の意識の集合体(=『ミーム』)に『lain』という名前をつけたこと。
そしてもう一つは、その『lain』を萌えキャラ化したことです。


それでどう神様になれるのかと言えば、やりかたはすこしずるいです。

たとえば先の倒幕を見てみると、
・人々が幕府に不満を持つ
 =幕府への不満を生む『lain』が発生する
・人々が幕府を倒そうと思う
 =討幕という『lain』が人々を染めていく
・人々が幕府を倒す
 =自分が作った『lain』によって影響された人が幕府を倒す

ここで、もともと意識の集合体は自然発生的にできてくるものなのですが、
『lain』という名前も形も自分が作ったので、
それに影響された人間は、自分が影響したようなものだ、と考えます。
それが、人々を操作する『lain』を作る自分は神のような存在、
というような論理展開をしてしまうのです。

一方、『lain』というものを定義し、
萌えキャラ化したことで弊害も生まれました。

もちろん人の意識の集合である『lain』は
人の考えがある場所にはどこでも存在します。
それがただの概念であれば、だれもそれは意識しません。
でも形が与えられたことで、被害妄想のある人は、
「自分は『lain』に常に見られている」
と取れるようにもなってしまったのです。

そこで、本物の神様はふと考えました。
「ネット上にも現実にも『lain』は限りなく存在している。
しかもあたかも人のような存在を与えられている。
ならば、いっそ現実世界に一人の人間として存在させてみたらどうなるのだろう」

これを実験してみることにしたのが、
アニメ版の物語の開始地点です。


『lain』は最初は人間として存在していましたが、
もともとは人間ではなく単なる観念の集合体です。
存在すること自体が不自然です。
そこで、周りの世界にだんだんと齟齬が生まれてきます。
その齟齬を書きつつ、話は視聴者に問いかけます。

ネットは言葉を運び、観念も伝達します。
たとえばブログ炎上や、ネットの流行などというように、
意志の集合体のうねりが存在することはわかるでしょう。
つまり、ネット上には『lain』が存在し、
ネットにつながっている人たちに伝播しているのです。

一方、ネット世界ではない現実世界にも、もともと『lain』はありました。
世界でジーンズパンツが流行したのも、
日本人が黒い髪を茶色くそめたがるのも、
意識の集合体のうねり、すなわち『lain』の作用です。
(ただし、当時は個人個人が線でつながる、ワイアードという形式ではなく、
 流行を捏造して新聞やテレビで流し、それにより影響を受けるという
 ブロードキャストという形式が主流でした。
 その証拠に、たとえばファッションなどでは、
 流行になる前から、『今年の流行は○色のこちら!』なんて情報が
 一方的に垂れ流されて、人々に伝播していましたね)

なら、on line(線でつながっている状態)と
off line(線でつながっていない状態)との差異はなんでしょうか?
現実とネット世界とを区別する理由とはなんでしょうか?

人の意識の奥底が『lain』によって影響を受け、操作されていると考えるのなら、
世界には『lain』があればよく、
個人の肉体も意識も、意味がないのではないでしょうか?

それが、この『lain』というアニメで
問われていたものだと、わたしは解釈しました。

その証拠として、1話で自殺した千砂ちゃんを考えましょう。

千砂ちゃんは言っていました。
『あたしはただ肉体を捨てただけ』
『早くワイアードに来て』

これが、人の意識の奥底が『lain』によって影響を受け、
操作されていると考えるのなら、世界には『lain』があればよく、
個人の肉体も意識も、意味がない、という考えの体現です。

話の一番言いたいテーマは、分割ものなら一話目で、
一本ものでは冒頭に近い最初のほうで語られるというのが
ドラマツルギー(話を作るお約束)ですから、
方法論としても全体からの解釈としてもそう間違っていないはずです。


この、
【人の意識の奥底が『lain』によって影響を受け、操作されていると考えるのなら、
世界には『lain』があればよく、個人の肉体も意識も、意味がないのではないか】
という問いの答えは、後に示されます。

そのきっかけを作ったのは、人格を与えられた『lain』が
神様たちも予想していなかった行動を起したことです。

本来ただの、人間の意識の集まりでしかなかったはずなのに、
『一つの人間』という形を与えられたことで、『lain』は自我をもったのです。
というよりも、無数に存在する『lain』の中に、
自我を持つものがあらわれたのです。

これはとても危険なことです。
たとえば、授業中に
「この問題がわかる人、手を上げて!」
と先生が言っても、日本人のクラスでは基本的に手はあがりません。
それは、クラス全員の意識が影響しあい、
『手をあげられない』という雰囲気が作られていることによります。
言い換えれば、『手をあげない』という『lain』が
生まれてその場の人々に影響を与えているということです。

でも、もし『lain』が人格を持つならば、
そこで一人がすっくと立ち上がり、
「みんな! わかってても手をあげるのはやめよう!」
と音頭とりをするようなものになります。
この危険性がわかるでしょうか。

ネット神様になろうとした男が、影響力と影響によって起こった事象に、
あらかじめ名前をあたえたことで手柄を掠め取って神様気取りをしたのとは違い、
集合意識自体が自我を持って自分の望む方向に
集団の意識をコントロールできるようになったとしたら、
それは本当の神様にすら近づくことなのです。

そこで本当の神様は実験をやめ、『lain』から『lain』という名前もとりあげて
元の単なる概念上の存在に戻しました。

……いいえ、戻そうと、しました。

実験前の状態に戻そうとしたのに、
完全には戻しきれなかったのです。

『意識の集合体』が『lain』という名を持ち、実体を持ち、自我を持ったことで、
関わった人の中に、一個体である『玲音』としての
残像のような記憶が残ってしまいました。

それは『lain』という存在が最初からいなかったように
作り変えた中でも人の奥底に残り、
関わった人たちの中で影響を与え続けたのです。

これが、前の問いに対する答えだとわたしは考えます。
『自分なんかいらない』『個人の体なんてなくてもおんなじ』と、
物語のはじめで言った千砂ちゃん。
『自分でありつづけたい』『個を失っても、個の影響は残り続ける』と
物語のおわりで示したレイン。
二つは完全に対比します。

つまり、肉体を持つということ、個が個であるということは
それほど大きい影響をもつということ。
人は無意識や他人の意識に影響を受けるけれど、
それは極論すると『自分なんかいらない』という話にはならず、
個人個人は尊重するに足る、とても大切なものなのだ、ということです。

もっと言ってしまえば、人は死にます。
どうせ死ぬのに何をやったって無駄だと考えてしまうこともあるでしょう。

でも、違うのです。
ある人がやったこと、その人ががんばったこと、
『その人』が『その人』であったことは、
その人と直接的にでも間接的にでも、関わった人に影響を残すのです。

『その人がその人であること』は『その人』しかできません。
そして『その人』が『その人であったこと』は、関わる人に残ります。

集合意識『lain』が人の意識を作ってしまうこともあるけれど、
個人個人の意識が、『lain』を作る方向だってあるのです。
個人が個人でいることも、個性がかならずあることも、
人が生きていることだって、それはそれはものすごいことで、
すばらしいものなのです。


以上を簡単にまとめて、アニメ版lainをくくるならば、
鬱っぽかったり精神病っぽかったりしますが
根底は『個という存在への賛歌』、『実存への賛歌』というものだと
考えられるのです。


---------------------

……というのが、わたしの解釈です。
わたしなりにがんばって矛盾なく説明したつもりですが、どうでしょうか。



追記:

話も雰囲気も好きなアニメですが、こどもキャラの声が苦痛でした。
とくにタロウ。
出てくるたびにその回全体さえぶち壊しになる感じがして
見ながらすごくいらいらしました。

一般のサブキャラは手堅い感じでしたし、
メイン周りはあれはあれで合っている感じがしました。
でもこどもは……。こどもだけは堪えられません。
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53 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なるほどね (name)
2009-07-08 23:47:44
納得できる考察発見。
ありがとう
でもなぜ今更このアニメを・・・
返信する
Unknown (あまね)
2009-07-09 07:08:03
コメントありがとうございます。

たまにむらっと昔のものが
見たくなるときがあるのです。
返信する
Unknown (g)
2009-09-07 09:18:10
とても面白くわかり易い考察でした!
返信する
Unknown (あまね)
2009-09-07 18:25:17
それはよかったです。
意外と知っている人がいることに驚きです。
返信する
分かりやすい (yu)
2010-11-01 22:31:04
今更ながら見終えましたが、かなり
納得できる考察でした。

ありがとうございます!!
返信する
Unknown (あまね)
2010-11-02 12:11:56
よかったです。
この時期に見たということは
もしやブルーレイ版でしょうか?
返信する
Unknown (Unknown)
2010-11-23 22:12:48
lain1日で一気に見ました。
正直ちんぷんかんぷんでしたが、この考察見てなんとなくlainというものが分かった気がします。
返信する
Unknown (あまね)
2010-11-25 08:18:29
飽きずに見られたのなら、ある意味成功です。
いつかまた見直すと、違った見方もできますよ
返信する
Unknown (Unknown)
2010-12-10 22:19:13
lainがらみの考察を読んで納得できたものの
数少ないうちの一つ。
返信する
Unknown (あまね)
2010-12-11 04:08:15
それはよかったです。
うれしいです。
返信する

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