なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

嫌みな自分に腹も立つと

2008-02-29 13:24:30 | 日記
土日にも家にいないんですよ。
時にはドライブにも買い物にも行きたいんですよ。
いつだって、子どもを片手に抱いて方でに買い物袋なんですよ。
話したくても話せないんですよ。
と、話すのはフルタさん。

どうして男は普通に「モアイだから」なんてでていくんですかね。
「だったら私にも・・・」と思いません。と新米のヤマガタさん。
「そうそう、結婚しても子供ができても生活難にも変えなくていいのですかねー」と、

顔を見たら厭味を言ってしまう自分が嫌になるし、そんな自分が好きになれない。
とフルタさん。
夫婦であっても甘えすぎると一方に負担がかかっているのに
気づいてくれない夫たち。

「ありがとう」のことばだけで十分なのに言えない。
言ってほしい。誠意や愛情を態度で見せてほしい。

こんなことをいうのは悪い妻なのだろうかと、反面またそれで悩む。
妻自身の不満は当たり前で人間として、そう思うのは当たり前ですよ。
「そうですか」「そうですよねー」「うんうんもちろんよ」

なんくる家で色々と発散はしても、再び夫の顔を見れば
嫌み妻になってしまう。

だから今回の」パパ塾」は講座が終わったら一緒にご飯でも食べましょう。
講座の間にママたちが料理をするというのはどうかなー。
それがいいそれがいい。と、

私だって、若いパパたち戸は仲よくしたいからさー説教だけで終わるのはどうかなーと思うのよー。
「いやだ園長、鼻の下長くしてない?」
食べながらさー和やかにパパ講座を終了したいのです。

ママの気持伝えることの役割を頂いたのです。
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三歳児の仲間意識

2008-02-29 12:24:52 | 日記
一年間はこどもにとっては「一」という数時ではくくれないほどの時間だと
365回の朝を迎えて
そして一日の大半を遊び、日常で起こることを体験し
子ども同士の交わりの中で揉まれて
そして夜が365回もの夜が訪れる。
365日という日々の積み重ねが一年なのだということを
子どもの成長を見ていると理解する。

連続の中で生きているのだと。
三歳は一番個性的な年令だといわれる。
自我の芽生えが著しく、「わたし」ということが一番であり
そばにいる友だちとも,平行遊びの状態だったのが
三歳後半になると
自分の目的と、友だちの目的をスリ合わせしながら一緒に遊ぶことへと
感情のコントロールができるようになるのである。

自分が一番で自分がやりたいことをまっすぐに通していた時期から
少しづつ
他者と協調することの方が楽しいということに気づくのである。

このごろの
バラ組を見ているとそれが分かる。
あっちでもこっちでも群れて遊び、それが継続し遊べる。
簡単なルールな守れるし、ガマンもできるから
遊びの盛り上がりがあり、共感性が高いのだろうと思う。

クラスの友だちとの意識もあり
お兄ちゃんたちへの敬愛の心もすごいものがある。
尊敬「あんな風になれたいいいいなー」「カッコイイなー」という
憧れが、あんな風になりたいという出発である。

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一才児のことば

2008-02-27 12:14:46 | 日記
とってもとっても個性的なリュウマ君
半年前ならわたしがよって行っても「ダメ!」とはねつけていたものの
この頃、めっきり仲良しになって
朝から砂場で遊ぶ。

「せんせいー手が冷たいねー」と指先を見せる。
「そーねー冷たいねー」と小さな両手を自分の掌でつつむ。
すると「せんせーの手温かいねー」という。

そしてその時北風がサーと吹いてきた。
とっさに首を縮めて
「寒いねー、寒い風だねー」と同意を求める。
わたしは、心の中で唸っていた。
この年令で、この微妙な体感を言葉に表現できるのかと。
子どもと遊ぶってだから面白い。
わたしにとっては発見の連続。

一人一人の言葉の数には差がある。
だからその時々に発する言葉にも意味がある。
まだまだ発することより、言葉数を語彙を貯め込んでいる最中の子もいる。
いつかシャワーのように次々と発するまで待つことも又大切。

冷たいねー。温かいねー。寒いねー。この微妙さを表現する。
一歳児にとってはすごい認知力ではないか。
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2歳児と遊ぶ

2008-02-27 11:51:22 | 日記
昨日の好天気とはうって変わって寒い朝。
北風も何のその
もうすでに子どもたちは庭で思い思いに遊ぶ。

子どもが風に負けていないのだから、園長だってと・・・。
寒がり屋のわたしも庭に。

チューリップ組のミクとヨシノが何やら楽しそうにブランコに揺れながら
ミクの頭にはおーかみの帽子。
お遊戯会の時のオペレッタで使ったもので、まだまだその名残で続いている。

見ると、箱型ブランコのベンチシに大小様々な石ころが置かれている。
砂や石ころが積まれたブランコを見てとっさにわたしは言った。
「ダメダメ、こんなところに石ころを置いたら」と。
そしたら、ミクとヨシノが口をとんがらして曰く。
「だってー狼さんのお腹に詰める石ころなんだもの」と。
「あらあらごめんなさいそうだったの・・・」と口をモゴモゴのわたし。

子どもには子どものストリーがあるんだと。
大人には見えない。現実的な大人にはみえない物語の世界へと
少しばかり誘われた朝でした。
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誠意

2008-02-27 11:16:14 | 日記
なにか事が起こったときに誠意をちゃんと見せることで
問題の解決が見えてくる。
昨日の太郎君のお母さんと担任は長い時間の話し合いが行われた。

担任が誠意を見せてお母さんの心に届く言葉で話し合いがもたれた。
もちろん、一番前に出て園としての反省や誠意を示さなければならないのは私の役割である。

その後、
いつも延長保育のためになかなか担任と直接話す機会のない太郎君のお母さんは
園での太郎君の状況を聞くにつれて
家庭での悩みや問題点を話されたという。
お母さんの方の両親がお若いので、夕方の迎えはいつも決まって祖父である。
とはいえまだ50代。

太郎が生まれたばかりで離婚した。その後とにかく働き詰めで頑張っている。
5才にもなると自我が芽生えてお母さんの言うことを聞かなくなる。
そのことでもお母さんは心の内を担任に話してくれたようで
結果的には色々な情報の交換の場にもなった。
お母さんの不安や気持を聞く場にもなった。
なかなか時間内に迎えにこれない場合、意思の疎通を上手に取らないと、今回のようなことにつながりやすい。

擦り傷は太郎の身体からは跡形もないが、お母さんの心に残った傷も癒えたような気がして、嬉しかった。
問題が起こったことで、お互いが話し合いの場ができたことは儲け物だった。
しかし、小さな傷だからと自己判断をして、誠意を尽くさなかったことは
今後の反省材料である。
明日は全体の勉強会と職員会議、このことをみんなで議論する必要がある。
と、そうおもった。

とはいえ今は担任も深く反省しているし、落ち込みショゲて元気がない。ところなので、その気持を汲みながら
この事例から客観的に見えてきた反省点を探っていくことで、次へと生かす方法を考えていきたい。
問題は誠意の表現。伝え方。
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お母さんの気持(苦情受け付け)

2008-02-26 14:56:54 | 日記
お散歩に行って
大きな遊具の階段を飛び越えようとして
5才の太郎がひっかき傷を負った。
担任は、これくらいならば大したことはないと判断して
そのまま遊び、いつものように食事時間まで遊び
園に帰って来て
ケガのことを保護者に伝えることをしなかったという。

これは私の落ち度でもある。保育者への徹底した危機管理の伝達がされていなかったということになる。
家に帰って、わが子の顔に傷があったらこれはもう納得しない。
当然である。
今日の午後わざわざ園まで来ていただき説明と謝罪をということになった。

お母さんのいわれていることはとてもよく分かる。
保育士が連絡ちゃんとしていなかったということに尽きる。
その後の経過、救急の方法にたいしての疑問も含めて
誠意が欲しかったということ。

当然である。
今し方、わたしはそのお母さんとの話し合いというか謝罪をして
事務所に戻ってきたばかりである。
園外い保育が多い当園にとって、怪我をさせないというより
ケガをしない子に育てることをモットーにしている矢先
ケガをした後の処理を誤ると、別の形で神経質になり
「園外保育は控えましょうか」という不安な気持が職員の心の中に芽出しする。

そうではなく、
起こったとき、どうしたかをもっと深く反省することで
やるべき処置が見えてくる。
お母さんもそのことを言っていた。
園外保育はリスクも大きい。が、子どもには最も楽しい環境である。
そのことはお母さんも理解している。
誠意を伝えて謝罪したら分かってくださった。
これに臆せず園外保育は続けたい。
子どもたちが自分の力で自分自身を守れるような判断力や体力や回避能力をつけさせルには欠かすことができないから。

話せば分かることなのに伝え方や、内容によってはすれ違うことになってしまう。
大きな反省天を頂いた。
心痛めたであろうお母さんごめんなさい。
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春の日

2008-02-26 13:00:06 | 日記
暖かな日。
もう4月の日和かな。

風が少々強くて砂ぼこりがあがる。
ジョロで水撒きの先生のしぶきを眺めていたマナが言った。
「水遊びしたい」と。
「えっ水遊び?」と聞き返すわたし。
「うんプールしたい」と続ける。
半袖で汗をかく子どもたちもいる。
なるほど、体感的には今日は水遊びかも。

でも、頭の中ではまだ2月だよー。と大人はおもう。
家の中の方が寒く感ずる。
登園時の服装は、どの子も冬の格好である。

いきなり水遊びしたいと言い出したマナだったが、そんなに強く主張しているわけでもなさそうで。
天気に誘われて~ジョロの水を眺めている間に誘われたのかもしれない。
そういえば、水道の周りにたむろする子も多いみたい。
あれほど冷たかった水もぬるんできた。

ふとみれば、さくらはすっかり葉桜になって。
新しい葉っぱが瑞々しく風に揺れていた。
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たんぽぽの詩

2008-02-25 14:45:19 | 日記
まるで太陽が舞い降りたように
まるで星たちが流れ着いたように
たんぽぽが咲きました。
たんぽぽを見つけた朝は、だれもが幸せな気持になります。
朝、一番に畑にでかけたおじいさんも
朝露を受けて咲くたんぽぽから幸せを届けられます。
たった一輪のたんぽぽの花が
こんなにも嬉しい気持にさせてくれることを
家で待つおばあさんも知っています。
庭の片隅から、たんぽぽを摘んできたのは孫でした。
朝の食卓に飾られると
にわかに天使が降り立ったような明るさに家族が包まれます。
こんなにも、身近に幸せがあることを教えてくれたのも
道端に咲くたんぽぽでした。
やがて飛び立つときがやってくると
たんぽぽは空に向かって首を伸ばします。
ぐんぐんのびで綿毛になって
「それっ」とばかりに春風に乗って飛び立ちます。
あなたの心に幸せを届けるために
たんぽぽは咲くのでしょうか・・・。
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たんぽぽを見つけに

2008-02-25 11:20:04 | 日記
今日も朝からいい天気
お日様が出ると、こんなにも人の心は温かくなるのだと。
風も南向きにかわりつつあって。
日向ぼっこには最適な日よりだなー。

カエデとアッコをつれて、ちょっとそこまでお散歩に。
松田さんの向かいの畑にはほうれん草やら、トマトやらあっニンニクもあって
トマトはまだ青くて、みずみずしい。鼻をつけると懐かしい香りがぷーんと。
ちょっととげとげのみきにしっかりと太陽を受けて
美味しくなるのを待っていた。

あぜ道に、太陽の申し子のようなたんぽほのぽの花の群生みっけ。
「ねったんぽぽみてみて」とチビたちをあぜに誘うが
この子たちは、飛んでいる小さなちいさな生き物に興味は向いていて
もう、ちょっちょっうも動き出すほどの陽気なんだと、
子どもにとっては、お花よりも動き回る小さな動物たちの方が興味をひくのであって
それは当たり前なのであって、
と、おもいながら
畑は、それぞれを満足させてくれる世界があることを知る。
こんなに小さなあぜ道の小さな物語だった。
春だ春だもう、春なんだねー。
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十六日

2008-02-22 14:41:34 | 日記
旧暦の一月十六日は、沖縄ではお墓の正月という。
亡くなって人のお正月。
特に一年目の場合。村中の人々が法事の用に参る。

腰の曲がったオバーさんが黒い服をまとい忙しそうに動き回る光景が
目に焼きついている。
私の子ども時代の光景である。
さて、いまはどうなのか。

去年亡くなった妹の十六にになる。
お重の注文を兄嫁にお願いして、夕方から兄宅に集まる。
昨夜は月が綺麗だった。今日は十六夜、ゆっくり月をみながら妹を忍ぶ。ことに。
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