例えば。
朝、陽気にさえずるシジュウカラの声に目を覚ます。
カーテンの隙間から洩れる光に、今日もいい天気なのだと悟る。
そうなるともうダメだ。
ぼくは布団の中で『どうしても起きてやるものか』と意地を張る。
そんな朝がここしばらく続いている。
だけど学校は――そういう都合に関わりなく――毎日同じように始まる。
冷淡に。機械的に。
そのお陰でかえって、気が保てているんだと思う。
まるで時計の針のようだ。
凛としていて、勤勉で、個性のない針。
そうやって何とか一日を終えた。
今日はぼくが夕食を作る日だ。
土曜日。授業のあと、部活に出てから帰路についた。
玄関のドアを開けると、学校指定のローファーが二足並んでいた。
一つは皐月のもので間違いない。
もう一つもきっと友達か何かだろう。
このところ、皐月は学校のいろんな人のことを話す。
ぼくは、そのいちいちの名前を覚えている訳ではないけれど。
できるだけ気に留めずに靴を脱ぎ、キッチンの冷蔵庫を開ける。
残り少ない牛乳をパック飲みしながら、目についたジャガイモをどう料理するか考えていたら、二階から皐月が降りてきた。
「あ、帰ってたんだ」
「今帰ったんだよ」
皐月は制服のままだ。
「ジュース、何でもいいからグラスに二つついでくれない?」
そう言うと、勝手気儘な姉は部屋の隅でスナック菓子を漁り始める。
その背中に向かってぼくは訊く。
「お客さん?」
「そう。あんたも知ってる子よ」
「え?何で知ってるの。附属の人?」
曲がりなりにも小学校から九年間いた学校には、多少の顔見知りくらいいる。
違う違う。ガサガサという音に声が混じる。
「いるでしょ、あんたのクラスに。吹奏楽部の子」
皐月は背中を向けたまま、さも当たり前のように言う。
右手と左手で、ポテトチップスにするかカールにするか悩んでいる。
「いるだろうけど、知らないよ」
本当のことを言う。
初めて皐月が驚いた顔をする。
ポテトチップスは山に戻して、カールを左手に持っている。
「知り合いじゃないの?」
「別に驚くことでもないでしょ」
驚かれたことが意外だ。
ぼくの性格くらい解っているだろうに。
「だって、今もちょっと水無月の話してたし」
「勝手に人の話しないでよ」
「するわよ。話くらい」
「………」
「………」
沈黙が流れた。
皐月が『え、ほんとに知らないの』という顔をする。
知らないものは知らない。
そもそも、クラスに名前が解る人もそんなに多くはいない。
誰が何の部活をしているかなんて、完全に興味の外だ。
だいたい皐月の客なんだ。
ぼくがその人のことを知らなくても問題はないと思う。正確には、思った。
けど、うちの姉はそんなに甘くはない。
「じゃあ、挨拶しとかなきゃね」
何が「じゃあ」なのかも解らないし、皐月は明らかにこの状況を楽しんでいる。
ぼくが困るような状況を。
うちの姉は、時々性格が悪い。
「毎日顔を合わせてる人が家に来てるんだから、挨拶の一つもしなきゃ失礼でしょ」
確かにそれは、道理にはかなっているけど。
「それに、お菓子とジュースとは一度に持って上がれないわ」
勝ち誇った皐月が見せるカールおじさんの、間の抜けた表情が憎い。
お盆に乗せたグラスに、ジンジャーエールを注ぐ。
ふつふつと気泡が揺れて昇ってくる。
両手でお盆を持つぼくは、スナック菓子一袋しか持たない姉の身軽さを恨む。
皐月について階段を上がる。
ドアの前で、少し緊張した。
NEXT INDEX
朝、陽気にさえずるシジュウカラの声に目を覚ます。
カーテンの隙間から洩れる光に、今日もいい天気なのだと悟る。
そうなるともうダメだ。
ぼくは布団の中で『どうしても起きてやるものか』と意地を張る。
そんな朝がここしばらく続いている。
だけど学校は――そういう都合に関わりなく――毎日同じように始まる。
冷淡に。機械的に。
そのお陰でかえって、気が保てているんだと思う。
まるで時計の針のようだ。
凛としていて、勤勉で、個性のない針。
そうやって何とか一日を終えた。
今日はぼくが夕食を作る日だ。
土曜日。授業のあと、部活に出てから帰路についた。
玄関のドアを開けると、学校指定のローファーが二足並んでいた。
一つは皐月のもので間違いない。
もう一つもきっと友達か何かだろう。
このところ、皐月は学校のいろんな人のことを話す。
ぼくは、そのいちいちの名前を覚えている訳ではないけれど。
できるだけ気に留めずに靴を脱ぎ、キッチンの冷蔵庫を開ける。
残り少ない牛乳をパック飲みしながら、目についたジャガイモをどう料理するか考えていたら、二階から皐月が降りてきた。
「あ、帰ってたんだ」
「今帰ったんだよ」
皐月は制服のままだ。
「ジュース、何でもいいからグラスに二つついでくれない?」
そう言うと、勝手気儘な姉は部屋の隅でスナック菓子を漁り始める。
その背中に向かってぼくは訊く。
「お客さん?」
「そう。あんたも知ってる子よ」
「え?何で知ってるの。附属の人?」
曲がりなりにも小学校から九年間いた学校には、多少の顔見知りくらいいる。
違う違う。ガサガサという音に声が混じる。
「いるでしょ、あんたのクラスに。吹奏楽部の子」
皐月は背中を向けたまま、さも当たり前のように言う。
右手と左手で、ポテトチップスにするかカールにするか悩んでいる。
「いるだろうけど、知らないよ」
本当のことを言う。
初めて皐月が驚いた顔をする。
ポテトチップスは山に戻して、カールを左手に持っている。
「知り合いじゃないの?」
「別に驚くことでもないでしょ」
驚かれたことが意外だ。
ぼくの性格くらい解っているだろうに。
「だって、今もちょっと水無月の話してたし」
「勝手に人の話しないでよ」
「するわよ。話くらい」
「………」
「………」
沈黙が流れた。
皐月が『え、ほんとに知らないの』という顔をする。
知らないものは知らない。
そもそも、クラスに名前が解る人もそんなに多くはいない。
誰が何の部活をしているかなんて、完全に興味の外だ。
だいたい皐月の客なんだ。
ぼくがその人のことを知らなくても問題はないと思う。正確には、思った。
けど、うちの姉はそんなに甘くはない。
「じゃあ、挨拶しとかなきゃね」
何が「じゃあ」なのかも解らないし、皐月は明らかにこの状況を楽しんでいる。
ぼくが困るような状況を。
うちの姉は、時々性格が悪い。
「毎日顔を合わせてる人が家に来てるんだから、挨拶の一つもしなきゃ失礼でしょ」
確かにそれは、道理にはかなっているけど。
「それに、お菓子とジュースとは一度に持って上がれないわ」
勝ち誇った皐月が見せるカールおじさんの、間の抜けた表情が憎い。
お盆に乗せたグラスに、ジンジャーエールを注ぐ。
ふつふつと気泡が揺れて昇ってくる。
両手でお盆を持つぼくは、スナック菓子一袋しか持たない姉の身軽さを恨む。
皐月について階段を上がる。
ドアの前で、少し緊張した。
NEXT INDEX










